文化講座
<卯の花腐しの美学>
春が過ぎて初夏の訪れが近づくと、山野のいたるところで卯 の花の撓 み咲く姿を観することができます。
卯 の花は、幹が中空となる「空木 の花」の別称で、白色の小花の撓む姿を愛賞 で「雪見草 、夏雪草 」また、陰暦4月に咲くことから「卯月花 」の別名でもよく知られております。
その卯月のころの『万葉集』の歌に

(時期はずれに玉を糸に通したことだ、卯の花が咲く5月を待っていたら、とても待ち遠しいので)と、恋を成就させるための端午の節句を待ち望んで歌っております。
ここでの「玉」は、端午の節に飾る「薬玉 飾り」の薬香を入れた玉袋のことで、季の変り目に到来する邪気を払う効に合せて、恋の願いを叶えさせてくれるもので、その薬玉に菖蒲 と蓬と五彩の縷 を通すことから、この歌での「玉をそ貫ける」と詠じられているのです。

図版[2]
その卯の花の美しく撓む姿を、白花躑躅 を出合せて砂篭 形花入に挿 けた図版[1]と、「薬玉飾り」図版[2]を参照して下さい。

図版[1]
次の歌で、大伴家持は

(卯の花が咲くと同時に鳴くので、ほととぎすには、いよいよ心にひかれることよ。自分の名を告るように鳴くにつけ)と、卯の花の開花の時を知りつくしたように鳴く霍公鳥から、卯の花と霍公鳥を愛すべき友に比喩させて詠じております。
そして、5月の強い霖雨 に卯の花は散り落ち、花弁で白色の美しい小川をつくり、ときとして蹟 をつくって流れを止めた時は腐 す小川と化すのです。
そんな情景を次の歌で、「霖雨 の晴れぬ日に作る歌一首」と題して、

(卯の花を腐 らす長雨に流れる水に寄るごみのように、私のところにも寄る娘 がいたらよいのに)と、卯の花が木屑 の如きに化して流れ集まる姿を、愛くるしい娘として見て取り、その卯の花腐しの中から、自分へ心を寄せてくれる娘がいたらよいのにと、恋への切望感を漂 わせて詠じられております。
この五月雨 の季に卯花腐しを観しては、その花の中から一弁の恋の輝きを得てみてください。
その卯月のころの『万葉集』の歌に

(時期はずれに玉を糸に通したことだ、卯の花が咲く5月を待っていたら、とても待ち遠しいので)と、恋を成就させるための端午の節句を待ち望んで歌っております。
ここでの「玉」は、端午の節に飾る「

図版[2]

図版[1]

(卯の花が咲くと同時に鳴くので、ほととぎすには、いよいよ心にひかれることよ。自分の名を告るように鳴くにつけ)と、卯の花の開花の時を知りつくしたように鳴く霍公鳥から、卯の花と霍公鳥を愛すべき友に比喩させて詠じております。
そして、5月の強い
そんな情景を次の歌で、「

(卯の花を
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