春の季を迎へて、田舎の畦道を散策していると、春の七草の一つの芹が丈を高く伸ばしている姿を観することがありました。
そして、その芹を最初に摘みて食したのは、奈良県の万葉の散歩道にて、三輪大社に通ずる山脇の小径にて、水田に生えた芹を摘ませて頂き食したとき、とても素晴しき香りの美味を感じさせてくれたことを思い出します。
その芹を奈良時代の『日本書紀』には「都加都美」と称され、平安時代の『本草和名』には「水斳、世利」、さらに『倭名類聚鈔』には「芹、勢利」と称されております。そして、漢名として「水英、水芹、水菜、水芹菜、水斳、菦、䓅」と銘せられ、そして吾国の別名として「白芹、根白草、白根草、田芹、川芹、つみましぐさ」と称されております。
これらの名からは、芹の水に縁のある菜草であることよりの、さらなる名として「芹藻(神を祭るのに用いる水芹菜)」であり、さらには「芹羹(芹のあつもの)」として愛されているのです。
そして、さらに奈良時代の『万葉集』においては二首が詠まれており、その一首の「天平元年の班田(公民に田を班給して租税を確保する制度)のとき、使ひの葛城王が、山背国より薩妙観命婦等の所に、芹の包みに添えて贈りし歌一首」との前書が記され、
(昼間は班田の仕事が多忙であったので、やっと暇のできた夜に摘んだ芹です)と、天皇の命による班田(耕作すべき田を各人に班つこと)の仕事が多忙であることから、なかなか大切な芹摘みができないことと詠ぜられたのであり、「奴婆多麻」は「夜」の枕詞であります。この歌からも、食用に心の薬菜として好まれていたことが窺い知ることができます。
図版[I]
その芹を、日本の最初の植物図鑑としての江戸時代の『本草図譜』には、食菜で
救荒本草としての
水芹では「つみましくさ、ねしろくさ、
水勒、
楚葵」の異名が記され、葉の
爽やかなる緑葉の上部に、可愛らしき白き花が画かれております。図版[I]を参照して見て下さい。
図版[II]
そして、そんな花が咲く前の春の季の芹を、黒の輪島
漆の菓子器に
菫草と
薮萱草を出合せて挿花した作品を、図版[II]で参照して見て下さい。
どうぞ、この季には、水田に生えている水芹を摘みて、お粥などにて食すれば、胃腸、肺、肩こり、保温、発汗や食欲不振の病に高き効がありますので、その効を得て見て下さい。