図版[1]
図版[2]
梅雨ごろから夏にかけて、山野の日当りのよいところで、小さな五弁の花を咲かせる紫草。
紫草は『万葉集』の中でも名高きもので、その根(紫根)から紫の染料をとり、「古代紫」と称されて最も高貴で優雅な色として賞愛され、日本の歴史の中でもさまざまな物語を生み出してきました。図版[1]を参照して下さい。
その始まりとして、
額田王の歌に
(
茜色をおびるあの紫野に行き、その野の番人は見ていないでしょうか、あなたが袖振るのを)と、近江国の
蒲生野で
天智天皇が催する
遊猟の折りに、天皇の弟に当る
大海皇子に対して発せられた歌であり、現在は天皇の寵愛をうけていることから、皇子が袖を振って下さるのは嬉しいのですが、そのことを野守に知られたら、大変なことになるとの危惧感を抱いて詠じたのです。
この歌に答えて、皇子は
(紫草のように色美しく匂い輝くあなたのことを、高貴の方の人妻であることと知りながらも、恋い慕う心をどうして抑えられようか)と、訴えて詠じております。
そして、次の歌では紫草の呪術性について、
(紫草の
絞り染めの縵のように、鮮やかに今日見た人に、後で恋い焦がれることであろうか)と、絞り染めにした紫布を鉢巻姿の縵とすることで、高貴な人への恋の高なりを抑えることが出来ないのかと、詠じております。
この紫草の紫根は、薬草としても著名であり、「解毒、殺菌、消炎」などの
病癒、即ち色々な病がいえる効果をもっております。上記の歌での恋の炎症を癒そうとする思いが秘められても居るのです。
その紫の縵に縁りある江戸歌舞伎に「
助六」があります。江戸紫草で染めた鉢巻(
喧嘩鉢巻)をして花道から登場する姿はよく知られており、とり訳「江戸紫に京鹿子」からも、紫は江戸っ子の誇りであり、
粋美の象徴であったのです。図版[2]を参照してください。
そんな紫草も、現在では野生種のものの姿が見られなくなりましたが、万葉植物園や薬会社の薬草園で見られることがあります。どうぞ紫草に限らず紫色の縵を懸け結んで、この梅雨の憂いを払ってみてください。