師走の季、柳は厳しい寒さに向きあいながら、時折りの大地の温りをえて蕾をふくらませます。
図版[1]
『千筋の麓』
明和5年(1768)
図版[2]
柳には、枝の垂れる「
垂柳」と、枝垂れない「川柳(猫柳類)」の二種があり、『万葉集』には、垂柳が多く詠まれており、そのうちの冬の季を迎えた垂柳の歌として、
(霜枯れの冬の柳は、見る人が縵にできるように芽ぶき出したことだ)と歌われ、春に向けて着々と芽を吹き出し、その生命力のある垂柳で
鬘を作って
挿頭すことで、さまざまな願い事が成就できる兆を感じとって詠じられております。
この「縵」とは、垂柳を輪にしたり結んだりしたもので、後に「
綰柳・結柳」と称されて賞愛されていきます。このことは古く中国で「
折柳」と呼称され、親しい人の旅立ちの折りには、垂柳を手折って
餞としており、柳は、春の生命を意する木として往昔より重されておりました。
次に、その生命の木を言祝ぐ歌として大伴家持は、
(青柳の梢の枝を引き寄せ折り取って、縵にするのは、わが君の家に千代の寿を祝う気持からです)と詠われております。
そんな縵の姿を、いけばなでは「結柳」としていけ表わされ、古書には竹の獅子口の
掛け花入れに椿をあしらい
挿けたものを拾い出せます。図版[1]を参照して下さい。
そして、垂柳も春の兆に向けて葉を伸ばしてしなやかに
撓みます。その姿を家持は長歌として、
(美しく輝いた面だちの中には、青柳の細葉が撓むほど眉を曲げて微笑んでいる)と詠じられております。
この「細き眉根」とは、古く中国で「
柳眉」と称され、美人の眉を柳の細葉に諭えたもので、美人の形容言葉として唐美人などに用いられております。細き眉根の柳図[2]を参照して下さい。
どうかこの大晦日には、新しき年に千代の言祝ぎの訪れんことを祈して、結び柳を
懸けいけて、光り輝く年を迎えて下さい。そして早春には、柳眉の優美な姿を合せて観してみて下さい。