文化講座
黍と粟の美学
『万葉集』での粟の歌として

[図Ⅰ]『生花早満奈飛』8編嘉永4年(1851)

[図Ⅱ]『千筋の麓』明和5年(1768)

そんな逢瀬への心の
次に黍と粟を出合わせた歌として

そして、この歌は、秋の七草に次ぐ多くの植物を詠いあげたものでもあります。
いけばな古書からは、実の出る前の黍の撓 み葉に、朝顔の蔓が延いまとわり、如何にも逢瀬を意する男女の仲睦まじさを感じさせる花としていけ表されています。図版[Ⅱ]を参照。尚、こうした粟や黍の五穀は「生けることは憚
るべし」と古書に記され、いけることは禁止されて居りますが、但し、
畏敬 の意ももって遣 えば宜 いともされております。
万葉人たちはこの実りの季を迎えると、食の実りは無論、恋の逢瀬の実りを望して如何ばかりか心をわくわくさせたことかが伺い知れます。
そんな実りの黍や粟も、最近では粟餅や黍餅などの原料程度の栽培となってきております。しかし、いけばなの花材としては栽培され、早い時は夏の青々とした実房のころから秋季までいけ楽しまれております。
万葉人たちはこの実りの季を迎えると、食の実りは無論、恋の逢瀬の実りを望して如何ばかりか心をわくわくさせたことかが伺い知れます。
そんな実りの黍や粟も、最近では粟餅や黍餅などの原料程度の栽培となってきております。しかし、いけばなの花材としては栽培され、早い時は夏の青々とした実房のころから秋季までいけ楽しまれております。