春の季を迎へ、野原や岳の草木を観するなかに、緑々とした小葉の葉の照り輝やく姿を観して、万葉の人々が愛した黄楊の木であります。
その黄楊は、漢名として「黄楊木、錦熟黄楊、知命樹、柞木」と称され、そして和名としては「本黄楊、朝熊黄楊、唐黄楊」と称されて伊勢の朝熊山に生じており、何れも葉には光沢があり、丸みを帯びたる卵形をしております。
図版[I]
そして、さらに、日本の最初の植物図鑑としての『本草図譜』には、「
柞木、いぬつげ、
亀甲つげ、
黄楊木、はんてんつげ」さらに「
扁てんつげ、
錦塾黄楊、ほんつげ、あさまつげ」と記された黄楊の絵図を、図版[I]を参照して見て下さい。
その黄楊の歌は『万葉集』にては四首詠まれており、黄楊の木で作られた「
黄楊櫛や
黄楊枕」と詠まれております。
その黄楊櫛の歌として、「古今
相聞往来歌」の「物寄せて思ひを
陳ぶる歌」と題しての
柿本人麿の歌集としての第一首として、
(朝日に向かう黄楊櫛のように、古い仲だが、どうしてあなたは、いくら見ても
飽きないのでしょうか)と、黄楊櫛を用いて髪をとくことにて、恋しき人との恋心は、古くなっても変わらないと切々と詠われております。
そして、さらに二首目の歌では、
(夕方になると、床辺を離れぬ黄楊枕よ、どうしておまえは、主人を待ちそびれているのか)と詠われております。
この二首の黄楊の歌から、黄楊の木を
素材として作られたことの
喜こび感として、詠まれております。
図版[II]
こうした黄楊は、黄楊の櫛以外にも「版木」や「
将棋の
駒」などに適用されて往昔より今日も愛されております。そしてその可愛らしき
撓みを有する黄楊を手折りて、西洋産の淡橙色のガラスの花入に、
玉紫陽花を水際に出合せた花を図鑑[II]で観して下さい。
とき折りとして、暖かな
陽が照る庭を
眺いて見ると、緑々とした小葉が輝やいている黄楊の姿を感することがあります。