新たなる年を迎えて、自然の草木が生えている小さな森の小径を散策し、草木の花や葉や実を観しながら近くの田畑に出向くと、僅かに赤みをおびた李の木に出会うことがあります。
その李は、三月の桃の節句の頃には、白く清らかな花が咲き薫い、そして夏の季を迎へると、木肌の色の如くの赤き果実を熟すのです。
図版[I]
そして、その白き花と果実の図を、江戸時代の『
本草図譜』に、白い花には「
碧雪」と
銘され、その下には、赤色の可愛らしい果実が描かれている絵を図版[I]を参照して見て下さい。
李は『万葉集』では、一首詠まれており、「
天平勝宝二年三月一日の
暮に、
春苑の
桃李の花を
眺矚して作る二首」のうちの李の歌として、大伴家持は、
(わが園の李の花が庭に散るのか、それとも薄雪がまだ残っているのだろうか)と歌われ、その前書の「桃李(
桃と
李の花)」で、「眺矚(
眺めること)」、そして、この歌の「はだれ」は(まばらに降りつもった雪や霜)を表すもので、この歌は家持が越前という雪国にて、李の白き花を観して、その清らかさから雪の情景を漂わせて詠じられたのであります。
そして、この表題に記されている「桃李」の言葉は、古代の中国では大切な言葉であり、「
桃李不言、
下自成蹊」(
桃や李は美しい花や実があるから、招かなくとも人が争って来て、その下に自然の小径ができる)と詠じ、さらには(徳のある人には、だまっていても自然に人が
帰服する)たとえでもあります。
そして、さらに「
桃花歴乱として
李花香し」(桃の花はいっぱいに咲き乱れ、李の花は
宜き香りを
放つ)と『唐詩選』の「
春思」と題して
賈至の詩で詠ぜられております。また名言の詩としての「
李下に
冠を
正さず」は(人から
疑いを持たれそうな、あいまいなふるまいや言は慎むべきである)との喩え言葉で、(たわわに実った李の木のもとで冠を直そうと頭に手をやれば、李の果実を盗もうとしているように、人には
疑われやすいから)の言葉はよく知られております。
図版[II]
その貴き李の花の咲き
薫う桃の節句(
上巳の節句)が終へる頃に、江戸時代の
備前焼の
四方の
角壺に、上品な白花の李に
躑躅を出合せて
瓶花として
挿け表わした花を、図版[II]で参照して見て下さい。
どうぞ、この新春を終へて春の李の白き花に合せて、そして、本年の御
勅題は『実』でありますので、夏の季に熟する甘味の深い果実を想い入れて言祝ぎの日々をお過ごし下さい。