秋の季に入り、日本中のいたるところの川を中心とした水辺や湿地に、丈高く生える葦穂の姿が見られます。
[図版Ⅰ]
「横行伝蘆」
書名未詳
[図版Ⅱ]
「禅機図」『千筋の麓』
明和5年(1768)
この葦の初生を「
葭」、長く連なり生えるを「
蘆」、長大に成熟したものを「
葦」とも称され、『万葉集』では、52首中で葦が30首と最も多く、そのうち「
葦原の国」と詠じたものが5首あります。その一首の長歌に、
(葦原の瑞穂の国に、先祖の
天っ神を祭るために、天から降りてこられた沢山の神々から語り継いできた)と、葦の生える日本の国は神々しくも瑞々しいと詠まれ、「葦原の国」は、古代日本の国名であったのです。
そんな葦原に生息する動物を歌ったものの中でも、特異なものとして蟹があり、「
乞食者の詠」と題した長歌に
(照りわたる難波の入江に、仮小屋を作って隠れ住んでいる葦間の蟹を、天皇さまがお召しであるという。どうして私をお召しになったのでしょうか)と、天皇は、蟹人が歌や楽器などを奏でることの出来る
伎人として見てとっての事であるが、蟹人の方は、砂穴を
栖とする乞食のような者なのにと、擬人化して詠じております。
この葦と蟹の出合いは、とりわけ美術の南画の文人志向の世界で取り上げられ、必須的な存在であり、葦辺を横歩きする蟹図を「
横行伝蘆」「横行
介士」と題し称されるもので、この雅題は、中国で古くから
科挙(高級武官の登用試験)に勤しむ姿を意し表したものなのです。[図版Ⅰ]は、それを描いたものです。
このことから先の歌も、天皇がその蟹人の才能を認めて選したことが伺い知れます。
そして、さらなる葦を題材にしたものの中で
達磨の有名な問答があります。「達磨大師が
梁の武帝と問答し、その末に知識で理解するものにあらず―
不識と断じて揚子江に、一葉の蘆を舟に見立てて江上し、さらなる悟りを開く」とあります。この禅機図に因んだものが、いけばなの古書から拾い出せます。竹の釣舟花入に穂蘆を靡びかせ
挿け、その脇に一点を凝視するが如くの達磨の一幅が懸けられ、この図からは江上に吹く風の音に賢者の一言までが聞こえてきそうな観が滞います。
どうか、この秋の季、葦を手折って挿けてその脇に蟹の置物を飾り、さらなる新しき道を極めて見ては如何でしょうか?