文化講座
蓮の清らかな美
この季、あちこちの水田や沼沢では蓮が、青空に向かって大きな葉を広げて咲き匂っています。
蓮は、太古から日本の風土に相応しく、仏教伝来期と重なる『万葉集』には、仏教的の香りの歌としては詠まれておりません。往時は「はちす」と呼称され、その花の美しさを中国での蓮の別名で、美人の形容である「芙蓉 」などを意して歌われております。
(雨でも降ってくれ、蓮の葉に溜まった水の玉に似たさまを見よう)と詠じております。
蓮の葉の表面には、里芋の葉と同じように微毛が生えており、その葉に雨が降ると、雨露は微毛のため葉面から浮き、その姿はまさに水晶玉の如く眩 く光り輝くのです。この歌は、そのことを意して詠っているのです。 そうした輝く蓮葉は、清きものとして重され、食べ物を盛る最高の皿として称されてもおりました。そんな葉を主体として姿を整え、その葉下陰に花を遣い爽やかで瑞々しい花が、いけばな古書から拾い出せます。[図2]参照
そして、さらにその清らかな蓮葉は杯としても用いられ、その名を「象鼻杯 (別名 荷葉杯 )」と称し、葉の中心に小さな穴を開けてお酒を注ぎ、ゆるやかに曲げた茎から吸い飲むのです。葉柄(葉茎)の中をお酒が通ることにより、僅かな蓮の香りから清涼感を味わうことが出来るのです。
この季には、是非とも蓮葉に光る露を賞で、さらに、水揚げを程よくして清々しく生け表わして下さい。そして、象鼻杯も楽しんで見て下さい。
蓮は、太古から日本の風土に相応しく、仏教伝来期と重なる『万葉集』には、仏教的の香りの歌としては詠まれておりません。往時は「はちす」と呼称され、その花の美しさを中国での蓮の別名で、美人の形容である「
![]() (勝間田の池は私も知っていますが、そこには蓮などありません。そうおっしゃるあなたに髭がないのと同じです)と歌い、さらに後文に「勝間田の池を見るに、水影 そんな麗しき蓮の挿花が、中国の そして、蓮の美しさもさることながら、葉も往時の人にとっては大切なものであったのです。 次の歌で ![]() |
![]() [図1] 『写錦袋後編続一』江戸時代 ![]() [図2] 『高野之玉川』天保14年(1843) |
(雨でも降ってくれ、蓮の葉に溜まった水の玉に似たさまを見よう)と詠じております。
蓮の葉の表面には、里芋の葉と同じように微毛が生えており、その葉に雨が降ると、雨露は微毛のため葉面から浮き、その姿はまさに水晶玉の如く
そして、さらにその清らかな蓮葉は杯としても用いられ、その名を「
この季には、是非とも蓮葉に光る露を賞で、さらに、水揚げを程よくして清々しく生け表わして下さい。そして、象鼻杯も楽しんで見て下さい。