新しき年を迎えたる季、緑々たる松や杉や檜の常緑樹を観することをもって、精神的に言祝を感じさせてくれます。
図版[I]
自然の木々に合せて、その常緑の木を植えておられている庭の樹下に佇みて、とても新鮮さを感ずることができ、時として檜の緑々とした葉の密に茂り、
掌の如くの姿をした
児手柏と出合うことがあり、ただちに万葉の歌を高らかに
口遊みます。
その歌は、「
侫人を
謗る歌一首」と題され、
博士消奈行文大夫作る
(奈良の児手柏が両面であるように、ああもいいこうもいいと、
何れにしても
諂うやつらだ)と歌われ、児手柏の裏表のない葉姿の美しさを「両面」と詠まれており、また「侫人」とは「ねぢけびと」即ち心が真直ぐでなく、へつらいのある人を意します。
そして、この両面の表葉の児手柏の別名としては「
両面、
手柏、
相手、
張木」と称されており、中国では「
側柏」と称され、さらに生薬名としては「
柏子仁」と称して、その種子を採集し
煎じたものは「
滋養強壮剤、
不眠症、
記憶症」などの病の
回復の効ありし樹葉の実であり、その実は図版[I]を観して下さい。
図版[II]
その樹葉の図を、日本の最初の植物図鑑の『本草図譜』を図版[II]を観して見て下さい。その図版の表記には「
叢栢、このてかしは、
手掌柏」と記されており、その「手掌」とは「手のひら」で、その手のひらの姿から「天下を無事に治めることができる木」であることを意味し、また「叢柏」の叢は「
叢生(むらがりはえる)」の意味をもっております。
そして、さらなる歌として、
千葉郡の
大田部足人の歌では
(千葉の野の児手柏のように、少女はまだあどけないが、いうに言えないほど可愛らしいのは、誰れがそのままにしてきたのだろうか)と歌われており、この歌から
正に小女は児手柏の葉の如く、心に裏表がないのですよと、切々と歌われております。
この歌から自然の草木の裏表のなき理美学を
詠みとることができます。
図版[III]
その裏表のなき
両面の葉先が
僅かに黄色と化しはじめての児手柏を、中南米の古代コスタリカの両面の人面土器に、
茶褐色の
榛の実に、この冬季からの温もりにて咲き始めたる
躑躅を出合せての
挿花を図版[III]で観して見て下さい。
どうぞ、この虎の年ではありますが、厳しき枝葉のものではなく、緑々とした児手柏の美しき両表葉を有する木の葉を観して、心を緑々とさせて
一年をお過ごし下さい。