緑々とした野山の道端に、様々な野草が生え、そのなかに緑葉の脇に可愛らしき花を咲かせる姿を観することがあり、その中にすっきりとした括れある緑々とした葉の蔓草の金葎と出逢うことがあります。
この金葎の特性は、蔓性の茎や葉脇に刺が生えており、万葉時代以降には邪魔物扱いにされた植物として対されておりますが、正し、薬草として胃病や利尿の病に効があり、一面では好みの植物でもあります。
『万葉集』にては「六倉」と称して四首が詠まれており、そのうちの一首としての、作者未詳の「問答歌」として詠まれており、その歌は
(恋しい人がおいでになると知っていたなら、生い茂る六倉で雑草に覆われた庭にも、玉を敷いてお待ちしましたのに)と詠まれております。
この金葎は、原野や路傍に這う蔓性の草で、時として庭内にも這い伸びて覆うこともあると詠われ、そうした姿を「荒れ屋」に喩たりされ、ここでは、そんな「八重葎」が生い茂ったところにお出掛けいただくのであれば、稀にしております、と詠じられているのです。
そして、このように女性人からか詠まれたことに対して、男性人の返す意の歌として、
(玉を敷いてある立派な家が何だというのでしょう、雑草に覆われた小屋でも、あなたといっしょに居たらうれしい)答歌されております。
この歌に詠まれております金葎は、桑科の一年草で、荒地や野原に生えており、茎や葉柄にはこまやかな逆刺があり、対生する葉にも刺毛が生じてます。
図版[I]
この金葎の別名として、「
八重六倉、「
八重葎、
葎、
勒草、
性根草、
執根草、
水神手、ななもぐら」、と詠られ、さらに漢名では「
葎草、
葛勒蔓、
釈勒草、
來苺草」と称されております。そして、さらに「薬草」としては、「健胃・利尿」に特別なる効薬があるとされております。
その金葎を時代の
荒目深籠を横に
寝せて、自由に延い伸びたる六倉に可憐なる
河原撫子を
出遇せて、軽ろやかで生々しき姿美として
挿け上げた花を図版[I]を参照して見て下さい。
図版[II]
そして、さらに日本の最初の植物図鑑の江戸時代の『
本草図譜』には「
葎草、かなむぐら、すくもかづら」と称され、薄い桃色の小花と葉の姿が鮮明に描かれております図を、図版[II]を御覧下さい。
その金葎のいとしき姿美を、自然の風姿感の
漂う草の生えたる所にて出合いて観してみて下さい。