文化講座
楝の散る理美
初夏から梅雨の瑞々しい季、暖かな地の海・川・山里に佇む樹の中に、扇の如く広げた葉の中に淡紫色の細やかな花を懸 け咲かせる楝 の花を観することができます。
図版[II] 楝は、今日の「栴檀
」のことで、香木の栴檀とは異なり又、漢方名として、秋に熟した実を酒に浸したものを「
苦楝子 」、樹皮を乾燥させて煎じたものを「苦楝皮 」と称し、何れも内服すると腹痛の薬効があるとされております。
このことから端午の節句の「薬玉 飾り」には必須であり、『万葉集』で大伴書持 は次の歌で、
(玉に通す楝を家に植えたなら、山ほととぎすは途絶えることなく来るだろうか)と、薬玉飾りを「玉」と歌い、この薬玉飾りは「紅白の杜鵑花 ・花橘 ・菖蒲 ・蓬 ・楝」を五彩 の縷 で結び飾られ、これらの花の開花を霍公鳥が告げてくれるのです。端午の節句は、七夕に合わせて恋を成就させる大切な月であり、往時の人たちが、自然の摂理や条理と一体感の中で過ごしていたことが、この歌から窺 い知れます。
図版[I]
その「薬玉飾り」を図版[I]で参照して下さい。
そんな楝の花を待ち望み、開花しても散らないようにと切望した歌として、
(楝の花は散ってしまわないで、今咲いているように、このまま咲いていてくれないだろうか)と歌い、ここでの「相市 」は恋しい人に「逢 ふ」ことへ音通させて詠ぜられております。
そして、次に散る歌として山上憶良 は、
(妻が見た楝の花は、もう散ってしまいそうだ、私の泣く涙はまだ乾かないのに」と、端午の季には必ず妻と伴に楝の花を観し楽しんだものだが、その妻は黄泉 の国に行ってしまったことから、今は亡き妻への恋しさがこみあげ、花の散るのと悲しみの涙との競い合う光景が、この歌から切々とつたわってきます。
葉を広げ花を咲かせた楝の散る姿を、天目釉 徳利に挿けた花を図版[II]で見てください。
この切々たる涙の歌から触発をうけてなのか、原爆が投下された広島の城南通りの街路樹には、この楝の樹が並木佇んでおります。
この季には、そんな楝・せんだんの開花に合わせて散り景色を静やかに観してみて下さい。
図版[II]
このことから端午の節句の「
(玉に通す楝を家に植えたなら、山ほととぎすは途絶えることなく来るだろうか)と、薬玉飾りを「玉」と歌い、この薬玉飾りは「紅白の
図版[I]
そんな楝の花を待ち望み、開花しても散らないようにと切望した歌として、
(楝の花は散ってしまわないで、今咲いているように、このまま咲いていてくれないだろうか)と歌い、ここでの「
そして、次に散る歌として
(妻が見た楝の花は、もう散ってしまいそうだ、私の泣く涙はまだ乾かないのに」と、端午の季には必ず妻と伴に楝の花を観し楽しんだものだが、その妻は
葉を広げ花を咲かせた楝の散る姿を、
この切々たる涙の歌から触発をうけてなのか、原爆が投下された広島の城南通りの街路樹には、この楝の樹が並木佇んでおります。
この季には、そんな楝・せんだんの開花に合わせて散り景色を静やかに観してみて下さい。