晩春の季、山里の川沿いや海辺に至るあちこちで、美しく懸け垂れる藤の花を観することができます。
[図版Ⅰ]生花早満奈飛
天保14年(1843)
[図版Ⅱ]
生花早満奈飛
弘化2年(1845)
『万葉集』では26首が詠まれ、その中で「
藤波
」と詠んだものが18首あり、波の如く咲きおおれる姿から称され、そんな
藤波への思いを
大伴四綱
は
(藤の花が波うちながら盛りとなりました。奈良の都を恋しくお思いでしょうかあなたは)と歌い、また、藤波を観した
久米広縄
は、
(さほどにと思って来たのだが、
多祜
の浦に咲いている藤を見て一夜を明かすべきだ)と、夜に入ると一段と輝きを増す藤波と伴に過ごしたいものだと詠じております。そんな藤波をいけ表したものが古書から拾い出せます。「図版Ⅰ」参照。
また、他の藤波の歌の中には「藤波の 思ひもとほり 若草の 思ひ付きにし」とあり、藤の蔓が他の木にぐるぐると巻きつきながら伸びる生命の
理
に喩えて、今まさに恋心が熱く
纏りついて、すっかり恋の虜となってしまい離れることはないと詠み表しています。
このような纏る藤を『枕草子』の「めでたきもの」の段に「色合ひよく、花房長く咲きたる藤の松にかかりたる」と、松を選んで言祝を意して捉えています。
こうした支を得た藤をいけばな古書からも拾い出せ、「藤はことに夜陰をもって
賞翫す・・・・・・また纏わすることは松に限るべし」と記され、逆釣りの
風鐸(風鈴)に
挿けられております。「図版Ⅱ」参照。
そうした藤もやがては散り、土面を紫や白色に染める時が訪れるのです。次の歌では、
(春日野の藤はすっかり散ってしまった今、いったい何を手折って挿頭にするのだろう)と、端午の節に藤の花飾りをして
薬狩
を成就させんとしたことへの不安感が詠じられております。
そして、これらの歌にから藤の生態の理美に大いに触発を受けながら、藤の
諺も生み出され「藤は木に
縁り人は君に縁る」(人は支える主が大切な頼りである)と喩えられております。
どうか、この春から夏への移ろいの季に、懸け垂れ纏る藤の雅な美しさを観して、豊かな自然の風姿を
賞でてみて下さい。