図版[I]
晩秋から初冬を迎える季に、常緑の樹が繁る小高い山の小径を歩いていくと、紅葉の落り葉に合せてドングリの中に椎の実を観することが出来ます。
椎は、うず高く厚みがあり硬質な樹を指し、その特性から建材や柄や家具などに用いられております。
その椎には、小さく長実の「イタジイ(スダジイ)、ナガジイ」とやや大き目の長実の「マテバシイ(マタジイ、サツマジイ)」に、円らな実の「ツブラジイ(コジイ)」の三種があり、『万葉集』では、この中の中部から南の暖地に生えるイタジイの樹が詠まれております。
そのスダジイを、江戸時代の『本草図譜』では『柯樹、しい、しいのき』と記され、その実と葉の絵を図版[I]で参照して見て下さい。
『万葉集』で椎の葉を歌った著名なものとして、
有馬皇子の
(家にいたならば、器に盛って食べる飯だのに、旅の身では椎の葉に盛ることだ)と歌っております。
この歌には「有馬皇子、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首」とあり、松に続く「自傷歌」とし名高いもので、孝徳天皇の皇子でありましたが、蘇我赤兄に皇位継承をめぐって、教え唆されて謀反をはかったのでありますが、当の赤兄から謀反の罪で逮捕されることとなり、紀伊の牟婁の湯に行幸中の斉明天皇と中大兄皇子のもとに護送され、さらに都に戻される途中の椎などの常緑樹が生い茂る藤白の小径で歌われたものです。そして、その後の十一月十一日に、その藤白坂で十九歳の若さで絞殺されたのです。そして今日、その悲劇の皇子を偲んで「有間皇子まつり」が同じ日に催されております。
万葉の時代に木の葉を器としていたものには、「保宝我之婆(朴の木)、我之波(柏)、神聖な御綱葉(隠蓑)」があり、この三種の葉と比べると、椎の葉はその五分の一以下であり、この小さな葉に飯を盛り食すことにより、未来への生活感との異なりの大きさ、そして光の薄さを身に感じえながら切々と詠ぜられたものです。
図版[II]
そんな椎に飯(米)を盛り、嫁菜の可愛い花を添え、桃山時代の
蔦赤絵塗盆に盛り
挿けた作品を、図版[II]を参照して見て下さい。
そして、次の歌では、
(遅かろうと速かろうと、お前だけを待とう。向こうの丘の椎の小枝のように、どんなに時や盛りが過ぎても、逢うことは間違いない)と、椎の小枝が伸びて相交りをもつことを逢瀬に比喩させて詠じております。
椎は、往時より食用として愛され、その後の室町・桃山時代に入っても茶の湯の菓子として用いられております。
どうぞ、この季に椎の実を食し、また葉に飯などの色々に盛って食し、心の傍らで皇子のことを思い見て、食への感謝の心を高めて見て下さい。