秋季に入りて、稲穂の美しく撓む姿を感することから、身近にある田圃に訪れますと、緑色から黄色へと化して、凜とした茎の穂先が柔らかに撓む姿の稲穂を観することがあります。
そして、この季としての生命感美として、『万葉集』にては57首を数に詠まれており、その歌としては、「稲」は七首で、「秋の田の穂」としては16首で、残りの歌では「早田、早稲、早稲田、穂田、田井」として詠せられ、その「秋の田の穂」の歌として、
「草嬢の歌一首」と題して
(秋の田の稲穂の刈り取り場で、あなたと寄り合ったならば、そんなことでも他人は私のことを、とやかく噂の種にするのでしょうか)と詠まれております。
そして、次の歌では、「天皇の御製の歌二首」と題されての、一首の歌として、
この歌は、聖武天皇の御製歌であり、「秋の田の稲穂の出た田を、雁が夜の明けきらない間にも鳴き渡ることよ。」と、黄色の稲穂の群生した田畑に自在に雁が訪れては、「きー」と高らかに鳴き叫びて、稲穂を揺るがすさわやかなる景観の漂が、この歌から高く感じとられます。そして、この「秋の田」と歌れてます歌数は「17首」詠まれ、とても田園の趣きが漂ってきます。
さらに稲の別名としては「穀、秋田実、田の実、富草、富草花、富種、袖子、御稲、見之禰、水影草、三節草、秋待草、長彦稲、たのしみ草、みかげぐさ、みまくさ」、そして漢名として「稲、嘉粟、敦実」。さらに祝詞にみえる稲の類称として「稲、千稲、八千稲、八百稲、和稲、荒稲、束稲」と称されております。
そして、この稲の日本国の栽培は、弥生時代には広く栽培が一般化され、奈良時代までには粳・糯が栽培され、さらに平安時代には早稲、中稲、晩稲などと称され、鎌倉時代の中期には陸稲が出現しております。
図版
そして、日本の最初の植物図鑑の『
本草図譜』には、清らかなる図に合せて「
稲、いね、
糯米」と、図の赤穂には「うるしね」黒穂には「くまがへごぼれ」と称されております。
図版
その麗しく
撓む稲穂を
茶摘籠に、
嫁菜の花を
出遇せて
撓わに挿して美わしく
挿け表わしてます。
この年の秋季の訪れに、身近なる畑に訪れて、稲穂のやわらかく穂先の
撓む姿を観しては、「麗しき穂」と声をかけて見て下さい。