図版[I]
この季、山野の清らかな小川のほとりの土手や野に、個性あふれる芽出しの蕨の姿を観することができます。
その個性的な蕨芽の葉の姿を「蕨拳」即ち、その芽の姿が小児の握り拳の形をしているところから称され「蕨手」とも呼称されており、そもそも「蕨」の文字は「土をえぐるようにして若き芽を出す」ことの意から銘せられたのです。そして、その呼名も色々にあり「蕨菜、拳菜、拳頭菜、蕨箕菜、鼈脚菜、山根草、岩根草」と地域などによって呼名も様々であり、そしてさらに、江戸時代の『本草図譜』には、「蕨」と示し、他の異名として、「いわしろ、やまねくさ、拳菜、龍頭菜、粉蕨」とあり、渦巻く若芽と生長した葉が早春の下萌えとして描かれて居ります。図版[I]を参照して見て下さい。
『万葉集』では、「春の雑歌」として所収される中で、志貴皇子の「懽びの歌一首」として、
(岩の上をほとばしり流れる滝のほとりの蕨が、芽を出す春になったことだ)と、「左和良妣」は「早蕨」の意で、蕨の若葉が巻いて生長する初々しい姿を指し、その生長ぶりを観て皇子は、待ち望んだ春の訪れを心の底から強く感じとっていたことと思われます。
そして、さらに、「石走る」と「垂水」即ち、「岩の上を勢いよく流れる水」から、早蕨とその辺りには「濁りの無い」とても清らかな空気感の漂いも強く感じ得ることができる早春の歌として詠じられており、そのことは次の「摂津にして作る」と題した歌でも、
(命の無事を願って、岩の上を勢いよく流れる垂水の水を手ですくって飲んだことよ)と、詠じられてもおります。
因みにこの「垂水」とは、何れの地かと言えば、江戸時代の『摂津名所図会』から、現在の吹田市の垂水町に在る「垂水神社」あたりを指すもので、往時は、岩のあたりを清らかな水が滝の如く流れ落ちており、そこに生える早蕨はとりわけ新鮮な早春の菜として感じ取っていたことと思われます。
図版[II]
そんな早蕨を
古墳時代の食器としての
高坏土器に、薬草として名高き
蓬を出合せて挿けた作品を、図版[II]で参照して見て下さい。
そして、蕨の根茎を乾燥させた粉を「
蕨粉」と称し、滋養強壮剤や解熱に効があり、また葉を煎用したものは高血圧や利尿の効果があるとされており、さらに、蕨餅の素材としてもよく知られており、恐らく万葉の人達もその効を
愛ていたことと思われます。
どうぞ、この春の季には早春の下萌えの早蕨を観し、できれば食して元気に過ごして見て下さい。