愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

万葉植物から伝統文化を学ぶ

万葉いけばな研究家
庄司 信洲

梅の美学

日本の国の花木といえば桜が第一に挙げられます。ところが万葉時代には、中国から渡来した梅が桜の歌数の3倍の119首も詠まれております。
 その梅には、文人としての本質的な要素が秘められており、中でも取分け学問を研き上げるための教えがあることから、往時の人にとっては最も大切な花木であったのです。
 先ずは、九州・大宰府での大伴旅人の梅花の宴で、 大弐紀卿 だいにのききやう の歌に、

正月(むつき立ち春の来(きた)らばかくしこそ梅を招(を)きつつ楽しき終(を)へめ


 (正月になり春が訪れたなら、こうして梅を迎えて かん を尽くそう)と詠じ、「梅を招く」ことは、学問を愛する友を招くことで、その友と深い交わりを得ながら、遊学の一日を極めて、新たなる春を過ごすと詠っているのです。
 往時は梅花の宴が頻繁に催され、旅人自身の歌に

我が園(その)に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れくるかも

(わが園に梅の花が散っている。その光景はまさに大空から雪が流れ来るのであろうかと思われる)と詠じております。
 こうした梅の観し方は、中国の独特なものであり、春の訪れの遅い北国の人は、雪を白梅に見立て、一方、雪の降るのが遅い南の国では、梅の花の散る姿を雪に見立てたのです。
 そんな散る美学を伝統いけばなでも古書から「千利休の挿花」を拾い出すことが出来ます。図版[1]を参照
 次の歌で、大伴家持は


[図版1]
「千筋の香・明和5年(1768)」


[図版2]
「生花早満飛九編・嘉永2年(1849)」

雪の上(へ)に照れる月夜(つくよ)に梅の花折りて贈らむ愛(は)しき児(こ)もがも

 (雪景の中で月に照らし出されている梅の花を手折って、恋しい人に贈ってあげよう)と詠じております。この表現は中国の漢詩に見られる「梅を折りて 駅使 えきし に贈る」から触発をうけたものであり、白梅を贈ることは、雪の如く清らかで穢れのない恋心であることの証でもあるのです。
 そして、この歌が我が国で最初に「雪、月、花」が詠まれたものでもあります。
 そんな贈答の梅が、いけばなの古書で、奉書に水引をかげたものが載せられております。図版[2]を参照。

このように万葉集の梅の歌からは、往時の人たちが理想とする文人的な香りが漂うものが多く詠まれ、梅を愛することは文人としての証でもあったのです。そんなことがら学問の研鑽の度合によって、梅の開花に遅速があるといわれ、「 好文木 こうぶんぼく 」の異名からも伺い知れます。
 これらの梅の美学に触発をうけて、平安には学問の神さまと呼称された菅原道真の縁の神社には梅が、明治の夏目漱石の「我輩は猫」の中では、猫の足跡を梅に喩えたものなどが見られます。
 どうかこの春は、梅の花を観しながら素晴らしい文人への啓発を受けて見て下さい。

万葉植物から伝統文化を学ぶ
このページの一番上へ