春の季に入って、草木を愛でる人々は、桃の花に次いで桜の花と称する人が多いのです。
その桜の花を好まれる人の中で、桜の花の出生美以外に、桜の皮の理美を好みて詠ぜられた長歌を感することがあります。
その長歌の「雑歌」として、「辛荷の島に過る時に、山部赤人の作れる歌一首」として、
として、山部赤人の長歌に「桜皮」と称して「妻に別れて、その手枕もせず、桜皮を巻いて作った舟に、梶を通して漕いで来ると、淡路の野島も過ぎ......」と詠ぜられております。
この長歌の「しきたへの」は、山部赤人が、桜皮を巻いてつくった舟で長い旅をしたときの長歌で、瀬戸内の海と空が心境とからみ合わせて詠まれ、「思ひぞわが来る 旅の日数が長いので」と、妻を思いながら結びて切々と歌われております。
そして、この「かには」には、桜の皮とする説と樺の木の皮とする説とがあり、『古事記』には
の解説に「ハハカは朱桜の古名。この木の皮で鹿の肩の骨を焼き、そのひび割れによって吉凶を占」として『古事記』に記されております。
そして、さらに『萬葉古今動植正名』には、「桜皮とかき、かにはと訓すれど、桜樺二品、種類を異せり、されど、樹皮の用をなすに至りては同一なれば、古へは、かば、さくら、通して桜皮となせるなるべし」と記されております。
また、『和名抄』に「樺 玉篇云 和名 加波又桜皮云加仁波今有之木皮名」と記述のあることから、『万葉の花』(松田修)の本には、「主としてヤマザクラ系の桜の皮であるが、この中で今も「ヤマカバ、サクラカンバ」などと呼ばれており、この銘からは、「チョウジザクラ」(一名をカバザクラ)と称されております。
そして、この桜皮は薬用として、「鎮咳薬、毒消剤」の効があるとされ、往昔より愛されております。
図版[I]
その桜皮に花と葉の図鑑美を『本草図譜』の美図を図版[I]を参照してみて下さい。
そして、さらに、その桜皮に桜花をペルシャ三彩鉢に挿花した図を図版[II]で、また図版[III]にては、手付土器に、山桜に
躑躅を出合せた作品も合せて参照してみて下さい。
この
桜皮の桜の
皮なるものは、桜の花以外に、樹皮の理美としても、往昔より長愛されておりますのです。
図版[II]
図版[III]