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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董138.メソポタミアの「シリンダー・印章」から見た「馬牽き戦車の歴史」


四頭戦車シリンダー・印章

四頭戦車粘土押型

 私はかつて、世界最古の歴史を持つ古代メソポタミア文明の遺産の一つである「円筒印章(シリンダー・シール)BC3600年頃~BC1000年頃(粘土押形から羊皮紙、紙に変わり、シリンダー・印章は衰退した)」に興味を持ち、市中に実物が少ない中、古代美術専門業者さんやネット業者さんからコツコツと探して購入、収集しながらその図柄・意味・デザインを研究して来ました。

 日本人が日常使う馴染み深い「印鑑・印章」とは、歴史的にみて、メソポタミア印章とどのような関係を持つものなのでしょうか。


日常使う日本の印鑑

 私たち日本人も、印鑑についてはアジア及びオリエントから学んでいるようで、重要な「法律行為」をするとき、本人確認のために「実印」ないしは登録した「印鑑」をサインと共に押します。また法律行為、すなはち、重要な大金にからむ「契約」や「約束」を交わす時には本人確認のために「実印」を押し、役所に登録した「印鑑証明」を添付して「本人確認」をするようになりました。欧米ではサインを重視し、日本ではサインは長い時間の間に変化するとの考えから「印鑑」を重視するようになりました。

 少し横道にそれますが、印鑑について少し確認いたします。現在の日本では、印鑑はその用途や登録先によって主に4種類に分けられます。

①実印:市区町村の役所に登録した、最も効力の高い印鑑。「個人登記」と「法人登記」があります。不動産の購入や遺産分割など、土地取引や高額な金額が動く重要な契約で使用されます。仲介に司法書士や宅地建物取引主任者が入り、取引の安全を期することがあります。

②銀行印:金融機関に登録した印鑑。銀行口座の開設や預金の引き出し、公共料金の支払い手続きなどに使用されます。

③認印(みとめいん):実印や銀行印としてどこにも登録されていない、日常的・ビジネス上の確認や承認で、日常的に使用する印鑑。

④趣味印・落款:個人的な趣味性の高い印や書家や日本画家が使う、作者印鑑があります。


北大路魯山人の落款(黒田陶苑鑑定)

日本における印鑑の役割

 主に契約書や公的文書において、署名(サイン)の代わりとして、本人の意思決定や承認を確定する役割(本人確認・非改ざん性の証明)を持っています。 以上を知った上で最古の「印章」の歴史を知ると面白いし、そこに「人間」という存在を感じます。

 図柄というのは、やはり新しいデザインが好まれる場合が多く、今回のメソポタミアの「4頭立戦車」は実戦に使われた最新型戦車と考えられます。


馬の印章押形

 馬が人間と共に生活、人間の実用に供されるようになったのは、6000年前あたりと考えられ、車を引く軍事目的には紀元前3000年頃とされています。

 太古から現代に至る「発明」ということは、大半が先ず「軍事用」に開発されるということです。武器として実戦に配備され、さまざまな状況下で酷使されますから改良も急速に進み、戦車としての強度が進化します。騎馬による弓射、槍(戈)を用いる戦いから、専属の射手を同乗させた戦車を用いたの戦いになることにより、平地や草原での戦いでより強力な、効率良い戦いとなり、攻撃能力の向上が図られましたが、次第に騎馬技術と馬具の発達によりBC1000年頃から「戦車」は衰退したと考えられます。


アッシリアの四頭馬戦車

世界で最初に「印章」を発明したメソポタミアでは、2センチ程の小さい印章から一般的といえるやや大き目で5センチほどの円筒印章で、穴が縦に小さく穿たれています。この穴は何かといえば、もちろん丈夫な紐を通し、首からネックレスのように下げ、大切にしたものと考えられます。

 これらの「印章」は、現在の「実印」のように、身分の信用度を重視する商取引に使われたようです。上下の円筒の中心に、縦に紐通しのための小さな穴が穿たれていますから、ネックレスのように、首から下げていたようです。その石が地味な黒い石からアフガニスタン産出の美しい金の入るラピスラズリを使うことにより、価値ある宝飾品として、ネックレスにも流用できる、高級な「印章」になって行きました。これらは後にエジプトやローマ時代には、瑪瑙や紅玉髄のインタリオという名前の凹版の「印章」に進化し、指輪が印章になったりします。


メソポタミアのラピスラズリ製シリンダー・印章

 こうした古代玉の鑑定のポイントはやはり石の質、希少性と使用による磨耗、「劣化」、特に彫りの中の劣化を観ること、石全体の劣化が鑑定ポイントで、大切です。それと紐を通した「穴」の開け方にも注目すべきです。


かわいい掌の印章の数々

 メソポタミア文明の残した「遺産」としての「印章・印鑑」が、現代まで引き継がれていることは、その発明が人間の「本質」を見抜いていたということの証明になります。初期の「印章」には王らしき姿が彫られ、その「権威と威厳と信用」が表わされています。現代の「紙幣」や「硬貨」に共通する偉人や歴史的人物や国家のシンボルが描かれるのと同じです。次第に人間的な図柄から、動物、抽象的な図柄に変化して行きます。

 今回は馬という、極めて人間と相性の良い動物と「戦争」に使われた「戦車」の図柄から、馬と人間の一側面を考えてみたいと思います。

 今回の「印章」は、古い黒い石に刻されており、大きい印章はラピスラズリ製が多いです。最古級の四頭立て戦車の図柄もシンプルで、メソポタミアで明けの明星らしき金星が描かれています。この戦車の馬の描かれ方も、動きも少なくシンプルで、立派な冠をつけた王らしき人物が戦車に乗って描かれています。4頭立ての戦車は、王の乗り物であったのでしょう。「車輪」の描かれ方も丸に車軸の点でシンプルで、古い描き方です。後の車輪は「スポーク」の放射状に描かれ、構造に軽量化が計られるようになります。


メソポタミア・四頭戦車粘土押形

 殷周時代、エジプトのツタンカーメン王墓発見のチャリオット(馬引き戦車:BC1325年頃)、始皇帝兵馬俑に埋納され、主力戦力となった「戦車」についても考えたいと思います。


古代中国(殷・周・秦など)占いに使われた「戦車」の字: 車の漢字の原点
スポーク状の「車輪」に新しさが見られる。

 匈奴(紀元前3世紀〜紀元後1世紀頃)の墓からは、馬の骨や馬具が大量に副葬品として発見されています。これは、漢帝国と死闘を繰り返した匈奴の最大の歴史遺産と考えられます。死後の世界でも馬に乗って移動する、あるいは権力者にとり、馬が富の象徴であったことを示しています。


匈奴の騎馬金印

 日本における馬は、起源として朝鮮半島からの渡来と古墳時代日本における馬の副葬、あるいは馬具(代表例として「藤ノ木古墳」出土の国宝「金銅製唐草透鞍」)は、主に5世紀後半(古墳時代中期後半)から急増します。


「藤ノ木古墳」出土の国宝「金銅製唐草透鞍」・橿原考古博物館)

 馬は日本在来の動物ではなく、朝鮮半島を経由して渡来人が馬を連れてきたことで普及しました。

 山岳地帯の多い日本では戦車は利用しにくく、日本では騎馬が多く使用されています。

 初期の事例として、馬具(鞍や鐙など)が副葬品として出土する最古の例は、福井県の若狭の西塚古墳が有名で、5世紀後葉に位置づけられています。馬は当時貴重で、権力の象徴であり、 当時の馬は大王や豪族が自身の権威や強さ、財力を誇示するために、馬具や馬そのものを墓に埋めました。

 前期(3~4世紀)の古墳の副葬品では銅鏡などの「呪術的」な品が主流でしたが、中・後期(5~6世紀)以降は、武具や馬具といった「実用的」な品が多くなり、戦いの道具が重視されるようになりました。

 なぜ馬を副葬するのか古今東西共通して、馬の副葬には以下の意味があるとされています。

富と権力の誇示に、貴重な財産である馬の持つ能力の証明。死者が死後の戦闘を行うための準備。神聖な存在: 馬を神聖な動物として崇める信仰。

 スペクタクル映画の代表作、チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」の戦車競争の場面は迫力があります。


エジプト、ツタンカーメン王墓出土のチャリオット(四頭馬牽戦車)

戦車に乗るツタンカーメン王

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