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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董131.朝鮮王朝(李朝)木工魚・鱈2尾 18~19世紀初頭頃


リアルな李朝木工魚・鱈

 今回は日本人に人気がある李朝魚紋様の代表、木製鱈2尾を取り上げました。

 魚は紋様として歴史的には最古級に古く、比較的新しい人類史と寄り添い登場しますが、それだけ食料としての価値が高く、また手頃に入手できて、身近でありがたい存在だったのでしょう。


本作2尾の鱈と李朝民画、李朝盆

 かつて私は本稿の過去の29 回の「漢の漆絵三魚文耳杯」において魚紋様の歴史から書きましたから、ぜひそちらもお読みいただけますと、今回の魚彫刻の製作背景や歴史も理解を早める一助になることと思います。そこにも書きましたが、メソポタミアの鉄絵の魚紋様の皿が最古のように思われます。下に私の資料ですが、魚型の玉器の写真を載せました。


BC5000年頃のメソポタミア出土の魚型玉器

 人類の文化の歴史はヨーロッパではメソポタミアに始まるとされるのは正しいでしょう。アジアでは日本の「縄文時代」が世界最古の、BC14500年前の土器を有し、漆も中国より古い歴史があります。中国はオリエント、ギリシャ、ローマの影響を受けて、青銅器文化が急速に吸収し、文化を発展することができました。


縄文土器

 もちろん魚と人間の歴史は、人類出現からのとてつもなく古いものがあることはいうまでもないことでしょう。

 魚の中には、毒を持ち、一家を全滅させたと考えられる縄文遺跡もあります。千葉県市川市にある姥山貝塚の住居跡の一つがそれです。出土した勝坂式土器などの年代鑑定から、約5000年から3000年前の遺跡とされますが、男女5人(成人男性2人、成人女性2人、子供1人)が折り重なった状態で発見されました。そもそも住居跡から人間の遺体が発見されることはほとんどなく、特定区域のまとまった墓地からなら分かりますが、住居跡から人骨が5体出たケースはまずありません。大変少ない事例のため、かなり綿密に原因調査されました。その結果、これらの人骨は、DNA鑑定で家族だけではない人もおり、また住居跡からはフグの骨も見つかったことから、近所の仲良し夫婦もふくめて、みなで珍しいフグ鍋を食べて中毒死したと考えられています。当時は不可解な「謎の死」とされ、祟りを恐れ、一家ごと、死者すべてに、そのまま土を掛けて埋められて、すべてが決着したのではと考えられます。こうした興味ある遺跡を調べることから縄文文化を勉強されると、身近な親近感が湧き、関心も出てよろしいのではないでしょうか。

 このような発見ケースはごくまれで、少ない事例から次第にフグ毒は認識されてゆくようになったのでしょう。


迫力のある頭部

 しかし大半の魚は安全で、人類史のなかで貴重な食料として、美味しい貝とともに食されてきました。ですから魚はたくさんいた方が生活は楽になります。特に自然採取生活を営む縄文時代人や農耕を営みながらナイル川で漁労に携わるエジプト人には、貴重なタンパク源になったようで、多産ということからも宗教的に祀られるようになったようです。人の望み、幸福の原因には古代から大きく分けて3つあります。

  1. 長生き、長寿
  2. 子孫繁栄
  3. 豊かな生活(後世には「金持ち」になること)

 これらのうち、魚は2番目の子孫繁栄の象徴として大切にされて来ました。

 エジプトの有名なツタンカーメン王の墓からは、ファイアンスという種類の美しいブルーの釉薬の掛けられた魚紋様の皿が発見されています。


ツタンカーメン王墓から出た皿

 また上に挙げたメソポタミアの魚型玉器も副葬品として埋葬された可能性は高いです。子や孫が繁栄して欲しいことと、自分の死後の世界での繁栄、幸福を願ったのです。

 ではなぜ魚が子孫繁栄や死後の繁栄を象徴したのでしょうか?これは魚が大量の卵を生み、ナイル川にたくさんの魚が繁栄して、住んでいたからです。エジプト人は基本多神教で、大自然に生きる動物たちを大切にし、観察してきました。ナイル川の魚の中には、卵をメスの魚の大きな口の中に入れて大切に孵化させ、敵がいない安全な時には吐き出して遊ばせる魚もいることから、子供を大切にする魚として宗教的にも敬われてきました。


2尾の全体像

 李朝の今回の魚は「鱈」と考えられますが、あるいは鮭類かも知れません。保存のきく干物は内陸部では貴重なタンパク源であり、かつまたこうした木製鱈は一族繁栄や子孫繁栄を願った祭などで使用した可能性もありますし、家の御守りとして柱に掛けたり、天井から下げたりしたものかもしれません。製作年代は木の枯れ具合と煤の古びなどから、多くの木製家具や彫刻作品が作られた18世紀後半から19世紀頃と考えられます。

 大胆でありながら、ヒレなどの繊細な造形や側面の肉の盛り上がりの表現や眼底の大きな表現に心を奪われます。


素晴らしい眼の表現

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掌(てのひら)の骨董
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