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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董108.伊万里色絵古九谷様式・杜若(かきつばた)文中皿


色絵古九谷様式・杜若文中皿

 新年明けましておめでとうございます。本年も「掌」にのるような、小さくて美しく、心躍るような作品を観ていただきたいと思います。


薬師寺西塔相輪にかかる日の出の写真(筆者撮影・奈良県郡山市美術展覧会入選作)

 今回は私が愛蔵します「杜若文」の伊万里古九谷様式の作品です。以前、確か連載第13回に古九谷ふくべ形色絵古九谷皿について書かせていただきました。それと併せてお読みいただけますと、日本文化・美術の伝統と素晴らしさをご理解いただける一助となると確信いたします。

 まず今回の作品で重要な点を列挙いたしますと

①皿の中央に古九谷独特の「エンジ色」の杜若の絵が大きな円形の枠の中にバランスよく曲げて描かれています。なぜ杜若が主題になったのでしょうか。

②その丸の中には美しく余白が配されています。なぜ余白にたくさんの杜若を描かなかったのでしょうか。

③周辺には紫色の花文様と幾何学的文様が描かれています。これは何なのでしょうか。


④それらの「絵」には色が付けられ、その色をよく観察しますと「虹彩(こうさい)」という虹のような、水に浮かぶ油が虹色に輝くような現象が見られます。この釉薬の表面に見られる現象はどのようにして出てくるのでしょうか。


⑤皿の裏には赤色(無光沢のエンジ色)で、輪線がサインのものを含め五本描かれ、高台の中には不可解な文字が書かれています。よく古い印鑑に描かれる篆刻(てんこく)文字に似ています。これは何を意味しているのでしょうか。


⑥皿を水平にして見ますと大きく歪んでます。どうしてこんなに歪むのでしょうか?


 このように、疑問点を挙げますと6点にもなります。これらの疑問点を一つずつ解明してゆきますが、すべて詳細に論じますと紙面が膨大になりますから、ここではわかりやすくポイントのみにします。

 さて①が日本文化には一番大切な点で、杜若(かきつばた)は日本の美学の一系列の琳派(りんぱ絵師俵屋宗達、刀剣鑑定家本阿弥光悦により始められ、後に尾形光琳、乾山兄弟により確立された美的様式の一派)の源流ともいうべき「伊勢物語」(在原業平作)の「あずまくだり」に描かれた、かきつばたの五文字を頭に入れて歌を読め、という有名な話に由来します。「昔おとこ」が即興でこう歌います。

らころも
つつなれにし
ましあれば
るばるきぬる
びをしぞおもう

それを聞いてみな、都に置いてきた、着なれた唐衣のようになれ親しんだ妻を想い出し、涙した、という歌です。しかし「琳派」が目指すのはそうした情緒的な部分もありますが、美しく咲く「かきつばた」を見て即興的に皆の心にある、京に置いてきた妻を想う心情を素直に歌に詠み込み、しかも句の頭に、かきつばたと入れるという言語へのインテリジェンス、修辞法的感性に重きが置かれているように思うのです。源氏物語、古今集、新古今集の中に育まれた、日本人の物語に対する美学と短い歌に込めた細やかな言語感覚へのインテリジェンスというべき感性なのです。宗達の絵を観て、宗達は何を我々に伝えたいのか、こうしたことを即座に「ひらめき」理解することができるかを問うています。古典的教養と、それを含めた「ことば」の一つ一つの味わいを、頭にひらめく類語から即座に一つを選び出し、パズルのように繊細にあやつる美への想いは、和歌の五七五七七から俳句の五七五へ更に進化してゆき、言葉への細やかな感性を優しく、しかも鋭利にしてゆきます。そうした日本文学特有の繊細さと「琳派」という絵画的美学をこの古九谷様式の色絵皿は表しています。

②美しい「余白」について
これも重要で、日本人の特性は①の言語への感性の高さとより簡潔な表現にあります。余分なものは省く、省略する、消してゆく。霧の中に消えてゆくモチーフ、長谷川等伯の国宝「松林図屏風」がその代表でしょうか。その反対が海を渡った大陸文化です。ゴテゴテした、これでもかという濃密な原色絵画や紋様。余白は悪であり、手抜きと考えたのでしょうか、目立つ色を使い、隙間なくびっしり絵や紋様で埋め尽くす、これを彼らは「豪華」、「美」というのでしょうか。日本の美学、省略の美学とは正反対の美学です。「余白の美」は日本文学から日本美術の粋ともいうべき日本人の「心」、「魂」というべきものです。

③の絵については、桃山時代の外来美術の片鱗を見せています。日本人の特性は、外来美術を昇華して、より良いレベルに仕上げてゆくことにより、最高レベルに到達してしまうところにあります。トルコ共和国のイスタンブールのモスクのステンドグラスに、日本の七宝繋ぎ模様のルーツがありました。今回の花文様もエジプト伝来の唐草を意識してますし、菱形文やそれを囲むH形文様も外来デザインで、当時珍しいものであったのでしょう。

④虹彩(こうさい)について
虹彩は鉛釉に出やすい劣化現象で、私の知る限り、新しいところでは魯山人の織部作品に多く出ています。魯山人が亡くなってはや64年になります。作品はもちろん生前に作られてますから、最低でも70年から100年は経過してます。鉛釉は鉛の含有率が高いほど、そして時間の経過や湿気などの環境変化によって虹彩が出やすくなります。一般的には100年以上かかります。伊万里色絵古九谷様式は1640年前後から1650年代後半に作られますから、少なくても370年は経過しています。これだけ時間が経過しますと、虹彩は必ず出ますから重要な鑑定ポイントといえます。

⑤裏の字体について
結論を言いますとこのような字はありませんから、「壽(寿)」の複雑な篆書体を当時の陶工さんが理解できずに適当に書いたと想像されます。現代人でも読めないようなこうした字は、見ていて楽しいですね。

⑥歪みについて
当時の17世紀にはガス窯や電気窯はありませんから、すべて薪、赤松の薪で窯焚きされます。当時は温度計もなく、人間が炎の色を見て高温かそうでないかを判断していましたから、かなり温度の誤差はあったと思われます。素焼きをまず行い、中から歪み、割れを除き、イス灰系の釉薬を掛けて高温焼成し、そこに絵を描いてゆく訳ですが、高温で溶ける色絵から焼いて行きますから何回か焼くことになります。陶器でも磁器でも焼きますと小さくなります。ほぼ1割から2割縮小します。色絵の場合、焼く回数が増えますから窯の中での温度の上下が繰り返し激しく行われます。従って作品は膨張したり収縮したりを繰り返しますから、歪みが生じます。あまりにひどい作品は廃棄しますが、少々の歪みは売りに回します。大半は歪みが出ますから、これは古い時代の作品であるということの識別になります。

 伊万里磁器の陶工、絵師がこの絵を書いたのは、創作ではなく、鍋島藩の上役が下絵を京の宗達系絵師に依頼したことによると私は考えます。

 以上述べた特徴を覚えましたら、伊万里磁器に対する感性がより高まります。古美術は美術だけでなく奥が深く、文学、歴史、宗教も学び楽しめるようになります。

 一年の計は元旦にあり。是非古美術にチャレンジしてみてください。


色絵古九谷様式・杜若文中皿

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