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インターネット公開文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董38.高麗青磁神獣水滴


高麗青磁神獣水滴

 新羅・高麗の遺品、美術品には時々ハッとするほど美しい作品があります。かつて古美術の稀代のコレクターで研究家であった料治熊太さんを魅了した新羅土器鳥文骨壺や同じ新羅時代の最高に美しい緑釉雁図徳利などにみた鳥たちの作品にそうした素晴らしい姿を観ました。この世にこんな美しく、感動的な作品があるものなのだろうかというほど、美しいものと料治熊太さんはいいます。私も料治さんのように、純粋に美しいものをこれからも求め続けてゆきたいと思います。

 今回は同じ朝鮮半島の作品ですが、新羅よりは時代が下がって、高麗時代の代表的作品、高麗青磁の水滴に登場してもらいます。この作品に出合ったのは、名古屋の有名な大須観音骨董市でした。大須観音は東京でいえば浅草の観音様の小型バージョンで、周囲には様々な娯楽施設、飲食街などがひしめき、大いに下町の活況を呈しています。毎月18日と28日に骨董市が開催されます。
ここは私には相性がよく、時々思わぬ良いものが安く買えるのです。私は毎月第2と第4金曜日1時から3時まで名古屋の中心地、栄の中日新聞社本社ビルのカルチュア教室で古美術・骨董講座をかれこれ18年目になりますがやらせていただいております。そのため大須の骨董市の28日に重なる場合が多いのです。こうした機会を利用してできるだけ出かけるようにしています。

 そんなあるとき、大須骨董市の知り合いの店でこの水滴に出会いました。使い込んだ肌合い、12世紀の前半の最盛期の青磁の色合い、目の黒象嵌、神獣の顔の出来の良さ、などなどからこれは名品であると直感的に思いました。まず頭に浮かんだのが、安宅コレクション、現在の大阪市立東洋陶磁美術館の所蔵する重要美術品「青磁彫刻童女形水滴」でした。


大阪市立東洋陶磁美術館所蔵「青磁彫刻童女形水滴」

 この大阪市立東洋陶磁美術館の所蔵する作品の保存の良さ、出来の良さは青磁の発色など比較にならないくらい良いのではありますが、味わい深さにおいては負けません。愛玩された歴史はこの「高麗青磁神獣水滴」の方が優ると思います。そのくらい手擦れがあり、欠けや直しのないことから、長く大切に伝世されて、高麗以後も文人たちに愛され、使われてきた歴史が感じられます。それに口の中の牙がすごい。見事に牙が口中にたくさん整然と再現されていて、それがなかなかリアル。手で触ると痛いくらいに鋭いのです。私も陶芸や修復の技術は一通り学びましたが、この様な口の中に規則正しく鋭い牙を再現させることは難しいでしょう。


鋭い牙と神々しい顔つき

 顔はといえば、ライオンというほど猛獣の顔つきではなく、やはり何か神がかったお顔でありながら、どこかに長閑さがあります。「神獣」とは私が勝手に名付けただけで、正式にそう呼ばれている訳ではありません。観れば観るほど、獰猛なライオンではなく、どこか神々しいお顔なのです。これは水滴ですから当然文房具である訳です。文具はとりわけ貴族の間で大切にされたものの代表です。高麗時代も文房具といえば使うのは貴族であり、彼ら権力者が身近において愛でるものは神に近いものが多いのはそれ以前の時代の王侯、貴族、権力者の残した宗教的遺物、美術品を観れば明らかでしょう。力のある神にあやかりたい、ご加護を得たい、そうした思いは古今東西変わらぬ権力者たちの安定への願いとなり、祭祀の発展を大いに促しました。古代社会は基本的に農業が主体で、敬う神は自然神が中心です。自然神はすべての自然現象であり、風の神、雨雷の神、いわゆる八百万の神ということになります。やましいことをするのは人間であり、その人間を自然は完膚なきまで叩きのめします。自然の猛威は人間のなせる罪に対する罰であると考え、自然の神を畏れ、祀りました。


宗達による「風神雷神図屛風」
 自然は神であり、神は天であり、天意は民の意であると認識するに至る精神的過程が中国古代史の中心を形成した思想であると思われます。聖なる「神獣」を手元に置き、厳かな気持ちで墨を引く、そんな心静かになれる精神的時間を高麗の貴人たちは大切にしたのではないでしょうか。親指と中指、薬指でこの水滴を持ち、人差し指で水滴上部の口の部分をふさぐ。すると水は神獣の口から出なくなります。人差し指を微かに上げると水は適量、神獣の口から出ます。この水滴は全長が約95ミリ、幅55ミリ、高さ66ミリほどのものですから、水はたくさん入りません。太い筆を使った大書というより、細筆で日常的な文章のやり取り、または詩を吟じたり、あるいは日記的な書き遺しのために使った水滴と考えられます。多くの墨を必要としない優美な細い筆で毎日使われたものでしょう。使い込まれた多くの擦れや細かい無数のキズこそが、この水滴の愛用された歴史と伝世品であることを物語ってくれます。
 この「神獣水滴」を観ていますと、これを愛用した高麗貴族の面影が、幽かに脳裏に去来する想いです。

手持ちの神獣水滴

 12世紀といえば日本では平安時代後期で、みやびな藤原貴族文化が花咲き、次第に衰退に向かう時代で、鎌倉時代に向かっての武家の台頭が始まろうという、そんな時期でした。
 中国はどうかといえば北宋の徽宗皇帝の時代で、政治に重きを置くというよりむしろ文芸に過剰に力を注いだ時代でした。そのため政治は次第に力を失い、梁山泊で有名な水滸伝が成立するような政治的空白時期を生んでしまい、衰退の兆しが見えてきた時代でした。
 徽宗皇帝は高麗で素晴らしい青磁を焼いているという情報を得て、徐兢を派遣して調べさせました。その結果、高麗では中国に勝るとも劣らない作品を作っていると徐兢は報告書を作成して徽宗皇帝に提出しました。それが「宣和奉使高麗図経」(1123年)でした。現在は写本しか残りませんが、高麗青磁の素晴らしさを今に伝えています。
 北宋も古くからある越州窯という伝統ある青磁を焼き、その技術が朝鮮半島南部の町である康津に伝来して高麗青磁ができたとされています。また越州窯は次の時代の南宋官窯の準備をしたと考えられています。


影青作品(北宋)

 そうした文化の高まりと共に高麗では喫茶文化が栄えてゆきました。中国、高麗の喫茶文化の高まりは、日本にも影響を与え、やがて室町時代の足利義政による東山文化の高まりと同時に、夜の美を楽しむための「銀閣」の建立をうながし、その後の村田珠光による「侘び茶」の思想、さらなる利休による桃山茶道の完成と黒の茶碗の成立、また「夜咄」の茶会、抽象的黒織部茶碗の成立につながってゆくことを思うと、そうした影響は大きく日本の歴史や文化を導く原動力であるということに気付かされるのです。


黒織部茶碗
掌(てのひら)の骨董
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