文化講座
掌の骨董18.アヌビス青銅小像について
最初の「死」との対面
アヌビス青銅小像
小学校5年のころ、エジプトのミイラを東京国立博物館で初めてみました。私と同じ年頃と思われる子供のミイラに、怖さと反面、神秘的な死の世界を感じた記憶があります。それは明治37年に当時エジプト考古庁長官であったフランス人エジプト学者・考古学者ガストン・マスペロ氏から東京国立博物館に寄贈されたものでした。「アンクムートの息子、パシェリエンプタハ」と解読されているこの第22王朝時代の少年のミイラです。2500年以上も前に、自分と同じように生きていた子供の死体が古い布に巻かれて保存され、頭だけ布が取り除かれて骸骨化した小さな頭骨もボロボロになっている姿にショックを受けました。死の不気味さ、さらに怖い物見たさの気持ちと、それがなぜ今まで残されてきたのかという不思議。こうした思いが、さらに私の興味と関心をかき立てたのかもしれません。
東京国立博物館所蔵「アンクムートの息子、パシェリエンプタハ」のミイラ
私の時代は団塊の世代ということもあってか学区の生徒数が多すぎて、旧来の校舎での2部制の授業が行われていたものです。さすがにそれはまずいと教育委員会が思ったのでしょうか、新設の小学校が近くにできて5年の時に新しい小学校校舎に移りました。そのきれいな図書室でエジプトについての真新しい本を読んだ記憶が今もはっきり残っています。私はなぜか古生物の化石やエジプトやインカの世界が好きでした。それ以後、ハワード・カーターによるツタンカーメン王墓の発掘物語やハインリッヒ・シュリーマンのトロイアの発掘についての本などを読むにつれ、古代への興味と関心はますます強くなっていったようです。
生命のシンボル、「アーンク」を持つアヌビス像
「アーンク」を持つツタンカーメン像の部分写真
エジプトをめぐる不思議な世界の一つに、今回のテーマであるアヌビスがあります。特にファラオたちの冥界への道しるべ、案内書の役割をはたした「死者の書」におけるアヌビスは不気味な存在です。ミイラつくりをするアヌビス。冥界である黄泉の国で死者の心臓を取り出して、真理の神、マートの羽根と秤にかけて量っているアヌビスの姿に不思議さを感じました。この狼のような、犬のような黒い頭の獣面で、体は人間のかたちをしているのですから、子どもには十分不気味であり、不思議な存在でした。
オオカミや野犬は墓の周辺をうろついていることが多く、それゆえに墓を守っていると当時のエジプト人に解釈された可能性も否定できません。
「死」とは何か、これは永遠の謎であり、それゆえにいかようにも想像される世界でもありました。これは逆に「生命」とは何かという問いにも関係してきます。生命の根源はエジプトではアーンクといい、多くのファラオや神々が手に持つ形のものが生命のシンボルとされてきました。肉体からアーンクが抜け出ると肉体は腐敗して、朽ち果ててしまいます。古代エジプト人達は「死」は魂と肉体の分離と解釈していたようです。魂が抜けた肉体は腐り果てますが、いつか将来に魂が肉体にもどって復活すると考えられて、その時のために肉体を保存する技術が研究されていきました。肉体が腐り果てないことが復活再生の条件だったのです。そうした重要な亡骸に防腐処理の技術を施す職人がアヌビスなのです。以下にアヌビスが行うミイラつくりの方法を簡単に書いてみます。
「死者の書」におけるミイラをつくるアヌビス神
- 死体を乾燥した状態で2日から3日置く。
- 特殊な鈎のついた器具で脳みそを鼻や耳から掻き出す。当時、脳は重要とは考えられていなかったので、意外に粗雑に扱われ、捨てられたようです。
- 脳とは反対に心臓はもっとも大切に考えられて、思考や感情の中枢部分とされたようです。再び冥界でアヌビスがこの心臓と真理の神、マートの毛を秤にかけて量り、地獄行きか極楽行きを判断します。それゆえに最も重要な内臓なので、ミイラに残します。
- 内臓を4つのカノポス壺に分けて入れます。小腸はヒヒ形のハピ壺へ、胃はひと形のアムセト壺に、肝臓は鷹形のケベクセヌフ壺に、肺はジャッカル形のドウアムテフ壺に入れます。すべての内臓は椰子油できれいに洗い、これらは復活するときに重要な内臓なので、ナトロンという天然ソーダで水分を吸収するようにまぶして包み、この4つの壺に分けて収納します。
- 胴体はある程度の乾燥をまって、ナトロンを塗りながら固め、包帯で巻いていきます。
くぼんだ眼にも詰め物を入れて、ふくらみをもたせ、体中の空間にはナトロンや多くの水分を吸収する詰め物を入れて整形して元の形に近いように修正します。何百メートルという包帯をナトロンを塗りながら巻き、護符を体の随所に包み込みます。護符は死後、悪霊からミイラを守る大切なものなのです。こうして丁寧に巻き終えたミイラは棺に納められます。こうしたミイラつくりをアヌビスの仮面をかぶったミイラ職人が担当します。そしてナイル河を渡った西側の地で冥界の主であるオシリス神によって死者は裁かれます。
ツタンカーメンの墓から出たカヌポス壺
真理の神、マートの身に着けている羽根と心臓が天秤ばかりにかけられて量られます。
「死者の書」には心臓を天秤にかける裁判の様子が克明にえがかれます。真理の女神マートの頭を飾る羽根(真実の羽根)と死者の心臓がそれぞれ秤にかけられ、罪にけがれた心臓は、真理の羽根より重いため天秤の針が揺れます。秤の目盛りを見つめるのが冥界の神、アヌビスです。死者が真実を語れば死人はオシリス神の治める死後の楽園アアルへ、嘘偽りであれば魂を食らうというアメミットという怪獣に食われて二度と転生できなくなるとされています。こうしたエジプト神話の世界は、古代エジプト人たちが、死後の世界をどのように考えていたかを知る貴重な美術品や資料を提供してくれます。この考え方は日本にも伝えられています。空也から源信、法然、親鸞の浄土信仰、すなわち阿弥陀如来の世界、三途の川はナイル川であり、オシリス神は阿弥陀如来であり、閻魔大王でもあると考えると、その類似性は疑う余地もありません。エジプトからメソポタミアへ、そしてインドに伝わり、中国をへて日本に伝わったに違いないのです。極楽浄土、地獄世界の考え方が形成されることとなったに違いありません。
冥界のオシリスの元で死者の心臓とマアトの羽根を天秤で量るアヌビス神
アヌビスの考察から、大きな宗教的世界まで踏み込んでしまいましたが、エジプトの神々の世界がきわめて興味深い世界であることの証拠であると思われる所以です。
釈迦はある信者から「死後の世界はどうなっているのでしょうか?」と質問されて、「私は死んだことがないからわからない」と答えたとされていいます。ここからわかることは、地獄、極楽は釈迦が考えた世界ではまったくないということです。そうなると遠くオリエントから伝わったオシリス信仰がアジアで発展した姿が「阿弥陀浄土」なのだといっていいのではないでしょうか。
オシリス神と阿弥陀如来
このアヌビス青銅小像は護符としてミイラに巻かれたものか、あるいは玄室に副葬品として埋納されたか、そのどちらかだと思われます。手と太もも下が欠損しておりますがそこに左足が前に1歩出ているのがうかがえます。これは神官像やファラオ像にもよく見られ、日本の地蔵菩薩や阿弥陀像にもまま見られる特徴ですが、前進を思わせるエジプト彫刻の影響だと私はみています。
青銅のアヌビス像