愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董23.エドワーディアン ダイヤとプラチナネックレス


エドワーディアン・ネックレス

 もう4年前になりますか、イギリスほか4か国を旅した時に、ロンドンの日本人ディーラーさんから今回のエドワーディアンのダイヤとプラチナネックレスを購入いたしました。考えてみるとその頃は円高で1ユーロが100円くらいでした。ですから旅行していましても気分的に楽でした。いろいろ買っても今より3割以上安く買えました。


ヴィクトリア女王(1819年-1901年)、夫アルバート公と子供たち。
この1846年の肖像画では5人のお子様方と描かれていますが、息子4人娘5人に恵まれました。
左から2人目がエドワード7世。左端はアルフレッド王子ですが、
当時は魔除けに幼い男の子に女の子の恰好をさせる風習がありました。

 ご存知のようにヴィクトリア女王の在位(1837年-1901年)の時に、イギリス経済は家内制手工業からワットによる蒸気機関の発明によって工場製機械工業へ転換して、まさに産業革命真っただ中で、最高潮に達し、絶好調でした。陽の沈むことなき大英帝国といわれたほど、インドも手に入れた植民地経営は世界各国に広がり、そこからイギリスにもたらされる金銀宝石財宝、高価なお茶、香辛料などの莫大な物資がイギリスをますます豊かにしました。

 当時のトレンド・セッター的存在であったヴィクトリア女王でしたが、1861年に最愛の夫アルバート公が42歳で他界してからずっと喪に服されました。黒い喪服を着用し、半喪になるとジェット(黒玉)のジュエリーをお付けになりました。通常正式な喪期間は夫の死後1年と1日とされ、フリルなど装飾のないドレスに黒いベールでひっそりと過ごす習わしでした。それまで喪中のドレスは特に黒と決まっていたわけではなく、地味であればよかったらしいのですが、女王に習って黒を喪服とするのが上流階級から一般化していったようです。正式な喪の期間が過ぎてからの9か月間は半喪になるので、飾りのついた服やジュエリーも付けられたそうです。「黒い宝石」として昔から珍重されていたジェットはイングランド東北部産の化石化した樹木が原料で、加工して磨き上げるとつややかな漆黒(ジェット・ブラック)に重厚な存在感がありますが、軽いので付け心地も悪くありません。大切な故人の名やイニシャルを彫り込んで作らせたそうです。このジェットの「モーニング・ジュエリー」も女王からの奨励もあって、大流行しました。ご存知とは思いますが、念の為、「モーニング」は「喪mourning」のことで、「朝morning」とは関係ありません。因みに、ジェットが採れなかったフランスでは、高技術を駆使して作った黒いガラス「フレンチ・ジェット」で代用しました。


喪服にモーニング・ジュエリー着用の四女ルイーズ王女(右)、
五女ベアトリス王女(中央)とヴィクトリア女王(左)

 さて、日本の昭和天皇が在位された期間は64年間でしたが、ヴィクトリア女王もほぼ同じくらい長く君臨した結果、皇太子が即位する時期が遅くなるという現象が起こりました。結果、息子のエドワード7世(1841年~1910年)の在位期間は1901年からの10年足らずに終わってしまいました。


エドワード7世とアレクサンドラ・オブ・デンマークの結婚写真(1863年)

やがてエドワード7世(右)の息子ジョージ5世(左端)もこんなに大きくなり、
更に孫のエドワード8世も5歳になってヴィクトリア女王と記念撮影。
この小さなエドワード8世がやがてアメリカ人のシンプソン夫人との結婚の為に
王位を捨てたウィンザー公です。

 ヴィクトリア女王の時代はご主人のアルバート公が亡くなった一時期を除いて、豪華絢爛、華やかな美術・ジュエリーが中心でした。金、エメラルド、赤くきれいなワインレッドのガーネットが全盛で、貴夫人たちはみなヴィクトリア女王を見本に着飾ったといわれます。息子のエドワード7世も、現代の男性ファッションに受け継がれるほどの影響を及ぼしたファッション・リーダーであったことで知られていますが、彼の時代の宝飾品はどのようなものであったのでしょうか。大きなポイントは、プラチナが実用化されたことです。それまで使われていた銀と違い、強靭なプラチナは少量の使用でも宝石を支えられるので、精密なセッティングと共により繊細で洗練されたデザインが可能となりました。

 プラチナに糸鋸で細かくレースのように孔を開けて形成したバスケットやトレリス(格子垣)の他、月桂樹、花束、蝶結びやリボン、タッセル(房飾り)、ギリシャの卍、パルメット(ヤシの葉)といったモチーフがエドワード時代のジュエラーに好んで使われ、後に他の時代のジュエリー様式と区別して、ガーランド・スタイルと呼ばれるようになりました(ガーランドとは、植物を編んだ飾りを意味します)。

 また、「ミルグレイン」(千の粒)と呼ばれる小さなビーズが並んだような彫り細工も好まれました。光沢のあるプラチナの表面にミルグレインが優しい光を放ち、宝石の輝きを効果的に捉える技法です。高貴な光のダイヤモンドと組み合わせると光の分散が虹のような何とも上品な色合いを醸し出して、過剰な色彩に飽きた貴族たちの心をとらえました。白熱電球がヨーロッパで普及するほんの少し前のことですから、当時の館の自然光や灯りの中では、なおさら妖艶な煌めきを放ったのではないでしょうか。

 これらの洗練された組み合わせは筆舌に尽くしがたいほどの上品さを生み出しました。一方パリも19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までベル・エポックと呼ばれる繁栄した華やかな時代にありましたが、エドワード朝と重なる時期、ジュエリーの流行はほぼシンクロしていました。フランスのジュエラーであるカルティエやショーメ、ブシュロンが、ロンドンとニューヨーク、モスクワに支店を出したことで、ロンドンのガラードやキャリングトン、ニューヨークのティファニーなどに影響を与えました。


エドワード7世のお気に入りの愛妾、アリス・ケッペルの身を飾ったと伝えられる
ガーネットとシードパールを使った華やかなゴールドのジュエリー

アリス・ケッペル(1868-1947)は29歳で、56歳のエドワード皇太子の眼にとまって以来、
多くの愛妾の中でも王の御崩御まで「ロイヤル・ミストレス」として
寵愛を受けたといわれています。
社交界の花らしい、美しい肖像画です。
アリスの末娘は現在のチャールズ皇太子の妃であるカミラさん(コーンウォール公爵夫人)の
曾祖母にあたるそうです。

洗練されたエドワーディアンのジュエリー 
左右対称なデザインやリボンの蝶結び、月桂樹のモチーフもエドワーディアンの特徴です。

エドワード時代だけの短命に終わったスタイル「ネグリジェ」ネックレス

ネグリジェ・ネックレスが可憐なエドワード時代の人気女優リリー・エルシー

 ジュエリーデザインにはオートクチュールのデザイナーも大きくかかわり、上流階級の女性は身分やTPOに合わせた衣装とジュエリーを身につけねばなりませんでした。 それは、現代の感覚では面倒なようで、案外富裕層の女性にとっては衣装やジュエリーをあつらえる良い口実にもなったのかもしれません。エドワード時代は女性がコルセットでウェストをきつく絞った最後の時代と言われています。特殊なコルセットで、横から見るとS字カーブを形成するような胸とお尻を張り出させたスタイルが流行でしたが、その一方で日中の普段着は比較的緩やかな服を着たそうです。ゆったりとした、気取りのない平服(ネグリジェ)につけるネックレスという意味で、「ネグリジェ」と呼ばれた典型的なデザインは、上の写真に観られるように2本の長短の房飾りが平行に垂れ下がるさりげないデザインのものでした。


グレイズ・アンティークマーケット

 私はロンドンに旅すると必ずグレイズというボンドストリートにあるアンティークモールに寄ります。ここは別館も含め、雨でも一日中楽しめるほど多くのアンティークディーラーが集まっています。身の丈に合っているというか、ケンジントンなどの一流骨董店とは違って、気軽に見て回れる良さがあります。とびきり良いもの、美しいものはヴィクトリア&アルバート美術館や大英博物館で鑑賞すればいいわけで、買う楽しみはこちらのグレイズで十分すぎるほどです。扱っている範囲は宝飾品からミリタリー関連まで広範囲です。


グレイズの中の店舗 私の好きな飛行船「ツェッペリン」の写真集も買えました。

 もう15年ほど前に、このモールでヴィクトリア時代のガーネットのカボッションや象牙のカメオも気に入ったものが安く買えました。以来、多くあるアンティークマーケットより買いやすい場所として自分の中に定着しました。業者さんたちも親切です。野外の多くのアンティークマーケットも楽しいのですが、つい数多く買ってしまい、予想外の大荷物に悪戦苦闘します。それに、露店ではもうなかなかこれというもの、惚れ込めるような気に入った作品に遭遇できません。こちらのグレイズの方がより充実感と満足感に満たされる「一品」に巡り合えるように思えます。


エドワーディアンのネックレス 
光の反射ではっきりと映りませんが、リボンの蝶結びにミルグレインが施されています。

 他にも立ち寄りたくなる骨董市や骨董街はたくさんありますが、そろそろ今回のこのエドワーディアンのダイヤとプラチナのネグリジェ・ネックレスに話を戻しましょう。かなり大きなダイヤが2個付いています。合計で2カラットはありそうです。エドワーディアン・ジュエリーの魅力は、ダイヤとプラチナの妖しげな光の絡み合いの美しさであると書きましたが、正面から作品を観ると、極めて繊細な細い銀の糸のような線でダイヤが吊るされています。すぐに切れてしまうのでは...と心配してしまうのですが、作品を横から見れば、その種明かしになります。薄い板状の先にダイヤがセッティングされているのです。すばらしい工夫です。


美しさの秘密  
正面から見ると細い線に見える繊細な細工は、横から見ると板状になっています。

 ヴィクトリア時代から引き続き人気のかわいいリボンの蝶結び(bowボウ)が、このプラチナ作品にもついています。また2個のダイヤの配置の絶妙なバランスがなんともいいです。大きなダイヤは無理ですが、これでも自分としてはかなり頑張りました。現代女性の装いにも違和感なく取り入れられそうです。その時は旅のまだほんの始まりでしたが、もうすでにこちらでかなり散財してしまいました。ネグリジェ・ネックレスは短い期間しか作られなかったので、あまり市場でみかけませんし、あってももっと単純なつくりだったりします。これは、偶然の出会いでしたが、買っておいてよかったです。

 早いもので今年ももう12月です。日本では宗教にこだわらずにクリスマスにプレゼントを贈る習慣がかなり定着してきたようですが、こんなアンティークのプレゼントも素敵かもしれませんね。ヨーロッパの都市では12月25日までクリスマス市が立って楽しいです。そういえば、ヴィクトリア女王は、愛する夫アルバートの祖国であるドイツでクリスマス・ツリーを飾る風習を取り入れたことから、英国王室や富裕層にまでクリスマス・ツリーが広まっていったそうです。

 今年1年、お読みいただきありがとうございました。
 来年もよいお年をお迎えください。

掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ