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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董90.縄文勾玉について


縄文時代の翡翠製勾玉二個

 私は翡翠が大好きです。好きになった理由は長野県が好きになったことに関連します。大学時代の友人に長野県穂高町出身がいて、冬に時々スキーやら旅行に行きました。後に穂高出身の彫刻家、荻原碌山の美術館が素晴らしいロケーションにあるクラシックな建物と美術品を所蔵していて、さらに近くにはひなびた中房温泉もあり、穂高の大王わさび園も美しい緑の景色を楽しめることもそれに拍車をかけることになりました。大王わさび園近くには、黒沢明監督の映画「夢」にも登場した三連式水車小屋もあり、清純な水が豊富に流れ、魅力ある街で、かつて住んでみたいと思ったこともあるほど、この穂高町にこだわりました。


穂高町わさび園

 その穂高から糸魚川市に向かう途中に姫川があり、その上流が日本でただ一ヶ所、翡翠が採取できる場所なのです。更に驚くのは、その事を東北地方で世界最古の土器(現在もっとも正確とされる放射性炭素年代測定法の結果から、今から16500年前とされます)を製作した縄文時代人が知っていて、彼らの住んでいた縄文遺跡から多数発見されるということです。


三内丸山遺跡

 現在、世界文化遺産の青森県三内丸山遺跡の縄文時遊館に展示されている、国の重要文化財に指定されています翡翠製の大型大珠の緑の美しさは筆舌に尽くせない美しさを持っていて、ただため息しか出ない、彼らの高い美意識の伺える遺品であると思います。世界一美しい、縄文土器の最高峰、信濃川上流の馬高から出土した国宝「火焔型土器」の美と同じ品格を備えています。志賀島出土の現在国宝に指定されています「金印」は偽物ではないかと物議をかもしていますから、三内丸山遺跡出土の翡翠玉を「国宝」に格上げして欲しいくらいです。比類ない美術品です。わたしの縄文翡翠への夢はついに姫川上流へと私を導きました。その結果ものすごい翡翠原石を発見しましたが、1トンはあると思われ、しかも川の真ん中にあるため、採集は無理で諦めましたが、十年後に行った時はありませんでしたから、どなたか業者さんが運ばれたのかもしれません。


三内丸山遺跡出土の縄文翡翠大珠

 更に縄文文化圏の広がりの流れから、千葉県からも糸魚川姫川採集した翡翠の「勾玉」が出土します。それが今回の掌の骨董の翡翠勾玉となります。かつて精査しましたが、まず見かけない本物の縄文翡翠勾玉です。私は現在縄文翡翠勾玉は二個所有してますが、高額故に贋作が多い世界ですから、なかなか鑑定の難しい世界の美術品といえます。


三個の勾玉
上・緑の美しい古墳時代の勾玉 下2つは、右側が縄文最晩期勾玉 左側は縄文晩期と推測できる勾玉

 ともに紐通穴の左右に八から六ヵ所の突起を持っています。勾玉の形そのものと、この突起、そこに入る縦線が何を意味するかは現在でも不明です。しかし推測はいくらでも可能です。幾つかの主な推測をまとめてみたいと思います。

①胎児説
②ユダヤの神 ヤーヴェ説
③猛獣の牙・爪説

 ①胎児の初期発育状況に極めて似ているため、権力者(縄文時代にもいた)がシンボル的に所有したという説。


胎児の発育を示す図表 勾玉によく似ています。

 ②ユダヤの神はヤーヴェとかエホバといいます。ヘブライ語の古式文字ではこの神をシンボル的に勾玉形の形で表したようです。( ※ここをクリックして、掌の骨董の第51回の猿投徳利参照 )

 三つ巴の三は古来オリエントでは聖なる数とされ、巴はユダヤの神を表すとすると、木曽義仲の愛妾の巴御前はユダヤ人の子孫かもしれませんね。また義経の母の常盤御前も絶世の美女といわれ、やはりユダヤ人の子孫と言われます。常盤とは永遠の命、枯れない緑を表すとされ、翡翠の色との共通点があります。


トケイヤーさんの名著「日本・ユダヤ 封印の古代史」の表紙

 現在、日本人の遠い先祖はもちろん大陸から来てますが、もう30年近く前にユダヤ人牧師のマーヴィン・トケイヤーなるユダヤ人牧師さんが書いた「日本・ユダヤ 封印の古代史」は画期的な名著で、最近の自分の説のように、マーヴィン・トケイヤーなるユダヤ人牧師さんの著書の焼き直しを自説のように振り回す、YouTube似而非(エセ)学者が多くなり、利益のためなら何でもするエセ学者に私は恥ずかしい思いをしています。いずれも参考文献としてマーヴィン・トケイヤーさんの本の名前や著書の名前を出さないことで分かります。真の学者は他人の説を尊重して、出典を記載します。


初期伊万里皿に描かれた「三つ巴と三角文」

 ③猛獣の牙・爪説
 これは野獣・猛獣(狼やライオンなど)を先祖と信じる国や一族の信仰上のシンボルとして、牙や鋭利な爪を敬う流れです。しかしライオンや猛獣の少ない日本で、この説が考えられるとすれば、外来移住者である縄文人や弥生人の伝説に生きたそれら猛獣の牙や爪への畏敬から作られた可能性とみる説でしょう。

 以上勾玉について述べて来ましたが、私は縄文時代から古墳時代、そして延々と続く我々の美術と歴史の中に生き続ける「巴型(勾玉型)」に興味と敬愛を込めて、これからも考え続けて行きたいと思います。


三つの勾玉

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