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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董120.「殷(商)・熊の古玉」について 連載2回の2回目


殷熊形古玉

 新年明けましておめでとうございます。

 今年も皆様に楽しんでいただけますような骨董品に、チャレンジ、ご紹介してみたいと思います。よろしくお願いいたします。

 今回は、前回の続きとして「殷玉」に表現されてます熊と人間の関わり、そして「饕餮文(とうてつもん)」の不思議についてお話します。

 人類の先祖はホモサピエンス、クロマニョン人といわれ、およそ200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属からホモ属として分化し、現生人類とされますホモ・サピエンスが40万年~25万年前に現れたと考えられてきました。 かつてダーウィンが「進化論」を提唱し、長く信じられて来ました「進化」という言葉、多くの生物は海から派生して、魚類から次第に陸に上がり、様々な環境に適応しながら進化を遂げて人間になったのだと教えられて来ました。


ダーウィン

 しかし、今やDNAの研究から、人類は猿から直接進化したという説は否定され、猿と人類は双方の分岐をなしたアフリカ起源から分かれていたと考えられるようになりました。ダーウィンの説もほぼその考えに沿っています。ホモサピエンスがどのように生命の大元から枝分かれ、猿と違う道をたどったかは現代の科学者にも分からないようで、単独にホモサピエンスが成立した可能性もあります。人間に最も近いとされるチンパンジーと人間のDNAは、わずか1%しか違わないといいます。しかしその1%が超えられない1%なのです。それが頭脳の「大きさ」と「大脳皮質」の「質」といわれています。だから猿は人間にはなれず、分かれて生まれた異種の原人たちも環境に対応できずに皆滅びました。そこはまさに「神秘」の領域そのものです。

 ホモサピエンスは始めからホモサピエンスなんです。最初から今の我々と同じ人種がいたなんて、それはまさにSFの世界です。未だに「何か」が隠されているのか、宇宙から来た種なのか、あるいは高度な異星人が「遺伝子操作」により作り上げた種なのか、いろいろ憶測が飛び交います。現在は極めて便利な言葉「突然変異」という考え方があり、数万年に一度の「突然変異」が重なり進化していると考える方向が強くなりました。しかし先にも書いたように、分化した後、猿から人間への「進化」は無いとされています。ですから「猿」や「ゴリラ」は今もいるのです。

 ホモサピエンス、すなはちクロマニョン人より前に栄えたネアンデルタール人は多数の化石の研究から、13万年前以降のものが知られています。ネアンデルタールは、1856年に現在のドイツのネアンデル谷(谷はドイツ語でタールという)クライネ・フェルトホッファー洞窟で発見されたネアンデルタール人は、その姿かたちから、初めは原始的で頭が大きく、前屈みで愚かで残忍な存在であったと20世紀初頭の大部分の研究者たちは論じてきました。しかし、近年の研究によるとネアンデルタール人とクロマニョン人の間で交配が行われ、そのDNAが現代の欧米人に一部受け継がれていることも判明し、見方が変わりました。あるいはその一波がアジアから日本の縄文人やアイヌ人にも及んだ可能性は否定できません。特に最初に「熊祭」をしたと考えられるネアンデルタール人と、その祭を今でも引き継いでいるアイヌ人にその可能性が考えられます。大自然の中に生きる「仲間」としての共存意識から必要以上の狩りをしない縄文人やアイヌの人たちに、私は太古からの優れた「シャーマニズム」の思想と伝統を感じるからです。


古玉の熊(推定・紅山文化時代)

 また私は以前から、ネアンデルタール人の死者を埋葬する高い知能と優しい心を高く評価して来ました。しかし、それだけ高度な頭脳を持ちながら、なぜ彼らが絶滅したのか、長い間、考えてきました。彼ら特有のその「優しさ」がかえって無警戒につながり絶滅したか、あるいは種独自の弱点、疫病により絶滅したかのどちらかではないかと考えるようになりました。

 かつて教科書にあった人類であることの3条件 ①直立歩行 ②道具を使う ③火を使う まさにアーサー・クラーク原作の伝説的SF映画「2001年宇宙の旅」の冒頭部分のような光景が目にうかびます。しかしそうした姿以上に私は「葬送」をなしたネアンデルタール人の、この「葬送」をする「心」こそが人間そのものの本質を表しているのではないか、そう考えています。なぜなら、死んだ仲間や家族を想い、埋葬して「花」を供えたという事実は、発掘調査でネアンデルタール人の遺体から花粉が共出しており、もうその当時のホモサピエンスと変わらない、もうその人類としての3条件以上の頭脳、想像力の飛躍を持ち、ある意味「宗教心」をすでに持っているようで素晴らしく、それは他の動物にはあり得ないことだからです。「死」を悼み、「花」を携えてあの世に埋葬する、まさに現代の我々の葬送とまったく同じです。「悲しみ」から飛躍して「永遠」を、「来世」を生きて欲しいという気持ちに昇華させるイメージの成立、それはもう、立派な「宗教心」の芽生えなのではないか、現代にもつながる「献花」の考え方のルーツなのではないか、そう考えるようになりました。


クロマニョン人の頭骨(左)とネアンデルタール人の頭骨(右)

 そうした彼らネアンデルタール人の生きた時代の遺跡に、スイス、アルプス山脈の2千数百mの高さにある、切り立った岩山の頂上付近の「龍の歯」と呼ばれる洞窟から、彼らの使っていた初期の石器類と幾つかの熊の頭蓋骨と大腿骨が発見されました(1917年)。同じ地層の植物検査から、この時代はリス・ウルム間氷期という時代にあたり、氷河期最後の比較的暖かい間氷期時代のものと分かりました。年代的には13万年前から7万年前の間と考えられます。我々の祖先であるホモサピエンスはこの頃に出現してまだ未成熟な段階と考えられますが、先程も書きましたように、ネアンデルタール人と交配して、そのDNAは現在のヨーロッパ人の数%に残っているとわかっています。そうした「交配」から見ても、ほぼ同じ人類であったと考えられます。ちなみにチンパンジーと人間の交配は、かつて人工的に試みた科学者がいまして、男女双方向から成功しなかったようで、人間と猿は交配できないようです。ですから、ホモサピエンスとネアンデルタール人の両者は、交配はしたものの、環境、免疫力の差で片方は滅び、もう片方のホモサピエンスは生き残ったということになります。

 このネアンデルタール人の洞窟からはさきほども述べました、熊の頭蓋骨に熊の大腿骨が口から奥まで嵌め込まれており、何らかの儀式、例えば「熊祭」に近い儀式が行われたことが推測されます。さらにすぐ後の氷河期に活躍した現世人類のクロマニョン人の時代になってからのスペインの洞窟、モンテスパン洞窟で1923 年に、更に奥深い部屋から頭のない粘土でできた熊の塑像が発見され、さらにその像の前には小熊の頭蓋骨がありました。粘土熊をよく調べると、矢で射たような矢じり跡がいくつもあり、おそらくこの熊形粘土像に熊皮を掛けて熊の頭蓋骨を据えて矢を放った、それはまさにアイヌの熊祭そのものと考えられるのです。


熊祭の伝承(観光絵はがき・古写真)

 ここで熊と人間性の関わりの概要をまとめてみます。

①古来熊と人間は親しみと畏怖をもって、ネアンデルタール人以来、共存してきた長い歴史があります。いまでもドイツのベルリン市のシンボルには熊が描かれてますし、イギリスではテディベアが人形で人気があります。熊のプーさんも同じです。
②ともに川で鮭を捕ります。またベリーなどや木の実も共に食べます。
③北海道では生活圏が一緒で、同じ道を歩いてます。
④白熊は動物界最強で、獰猛で、次第に「神に近いもの」とされて来ました。黒熊は人間に近いところに住み、危険性は少なくなります。
⑤サハリン島やアムール川に住むニヴフの人々にはアイヌに似た「熊送り(熊祭)」儀礼があるといいます。

 そのようなことから動物に近かった人類の初期のころ、熊と人間は一緒に住んだという神話、伝承がアラスカのチュクチ族やコリャーク族の大変古いモンゴロイド民話「熊と結婚した少女」に残ります。アイヌの熊祭などのような世界観、また一人称で語る手法など、アイヌの「ユーカラ」の原点的な内容に共通するものといわれます。


熊形玉背面

 人々は山の神(すべてを生み出す大自然・地母神)から、食べ物(熊に代表される動物たち)を与えてもらうために、見つけた子熊を殺さずに、我が子のように大切に育て、やがて三歳くらいの大人になると、厳粛な儀式に基づき弓矢で「殺」して、霊魂を山の神に送り戻し、肉体は丁寧に解体してありがたい食料として山の神に感謝します。山の神は人々に山の子である熊を大切に大人になるまで育ててくれたことに感謝して、きちんと送り返してくれたお礼に、また食料としての熊や他の動物を与えてくれるという。そこには相互の約束があり、狩りでは子供と雌は殺さず、雄のみ捕らえ、大自然の摂理である繁殖を妨げないこと、生きていける必要最低限の食料を得るための狩りしか行わないことが守られて、「相互共生」の論理が形成されたようです。まさに「縄文時代」は、生きるのに必要な量しか狩りはしなかったといわれてますし、それが自然界を守り保護する「掟」であることを皆が知っていたようです。熊の中身は人間であるという神話もあります。人間が外に出る時に熊の毛皮を着ると、熊になるという話もあるほど、熊は人間に近い生き物とされたこともあったようです。現代人に欠けた考え方かもしれません。

 「食物連鎖」から考えてみたいと思います。違う動物同士、喰い合いすることも互いの「種の保存」、「共生」に必要なことです。狩りをしていて、人間も「喰われる」こともあったでしょう。小さく弱い動物は次に大きな動物に食べられ、それが順次大型の動物に至るまで限りなく続きます。それは大自然の営みで、不思議なことに、小さな動物ほど食べられても「種」が滅びないように、多くの子孫を産みますから、バランスが取れているのです。


殷熊形玉正面顔部分。土に含まれる銅成分による緑青のパティーナ

 次第にシャーマンやアニミズムから抜け出して「権力」を得た「王」が生まれ、人間が人間だけでない「動物界」をも支配し、現代では「資本主義」を盾に種が絶滅するような、神を畏れぬ「乱獲」をするようにもなります。まさに「饕餮文」の意味する、食べ物と財貨を貪り喰うことへの「戒め」、支配者への「警告・天の怒り・戒め」そうしたものが紋様となり、自然界のバランスを損なうな、という神からの至上なる警告とおもわれる紋様が現れます。「饕餮文」は自然と人間がバランスを保つように、長い時間をかけて、巧妙に作り上げて来た戒め「掟」のような図柄に思えてなりません。宮沢賢治の童話にもそうした共生の考え方が生きているように思えます。

 ネアンデルタール人は本当に熊と暮らしていたかもしれません。ローマ建国にまつわる、狼とロムルスの話のように、小さい時から一緒に生活すれば、お互いに「同じ」兄弟、親子になります。人間の脳が「相手を思う」「空想する」優しい能力を得たために、その優しさ、警戒しない優しさが逆にネアンデルタール人を絶滅に追いやった背景にあるように思えます。前にも書きましたように、現代のクロマニョン人の一部のヨーロッパ人にも、ネアンデルタール人の遺伝子が残るそうですから、ネアンデルタール人はほぼホモサピエンスに同じ高い能力を備えた「人間」そのものであったように思うのですが、絶滅したということは、やはり生存に適さない「優しさ」「弱さ」があり、また一方に未完成さ、疫病などへの適応力のなさがあったのかも知れません。

 猿は直接的には人間に進化できないことが近年、遺伝子の研究から解りました。先にも書きましたように、猿、チンパンジーと人間のDNAは1%しか違わないといいます。それが致命的な「差」で、脳の大きさと「大脳皮質」らしいです。これは「進化」では超えられない溝らしいです。遠い昔、宇宙人とされる「神秘な存在」が遺伝子操作して「クロマニョン人」を創りあげた可能性も少し残りそうです。

大自然の共生の図式

動物→食物連鎖→やむ無く食べ合うことは認めよう→必要な狩り以外はしない→熊と人間のように、互いに生活圏を侵さない共存共生の思想→トーテムポールや「饕餮文」に見られる思想

 しかし人類の歴史をみると、食を貪り、財貨を貪る者が出て、「支配者」「王」となるもの、人を喰う、すなはち殺す支配者が出てきます。そうした王権の上にかつては「シャーマン」、「祈祷師」や「神官」を据えて、行き過ぎをコントロールしてたようです。しかし経済社会が浸透するに従い、無闇に動物を殺し、売ることから「財貨」を得て、大自然との共存が危ぶまれてきています。一例が近代の「アフリカ象」のレジャーハンティングによる激減が挙げられた時もありました。象は親子の愛情も強く、高等な動物で仲間が死ぬと集まり、その「死」を悼むといいます。必要な「生きる糧」以上の糧(富)を得るため、いわゆる「権力と金」を使い大自然のバランスを踏みにじってはいけない、それがまさに「饕餮文」の意味するところ、畏怖する「熊」の形態といえるのではないか、こう考えた次第です。

 紀元前10世紀頃の古代メソポタミアの王、ソロモンの「伝道の書」には次のように書かれています。「先にありしものはまた後にあるべし。先に成りしことはまた後に成るべし。日の下には新しきものあらざるなり。見よ、これは世に新しきものなりと指していうべきものありや。それはわれらの前にありし世に、すでに久しくありしものなり」と。

 しかし古代の知恵と現代の叡知なるもの、どちらが優れているか、それについてソロモン王の時代においても新しきものは無いと言ってます。私が思うに、ソロモン王の時代と我々の現代との決定的な「違い」は2つあります。電気と内燃機関の発明と発達、この2つが違います。この2点の延長線上に発展したのが「現代」であることを我々はしっかり考えないといけません。特に人間性、感性については、彼らの時代より劣ってきていると思わざるを得ないことも多いかと思います。様々な点で「スピード」を求められるだけ、よりストレスも蓄積され、厳しくなっており、その分「人間らしい生活」を犠牲にしつつあるように思えます。古代人に習い、「人生」についてゆっくり考えてみるのも良いかもしれません。


殷熊形古玉正面

参考文献
・神の発明 講談社選書 中沢新一著
・熊から王へ 講談社選書 中沢新一著
・人類最古の哲学 講談社選書 中沢新一著
・神々は死なず 美術出版社 ジャン・セズネック著
・宮沢賢治全集 十字屋書店 昭和18年刊

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