文化講座
掌の骨董13.色絵古九谷陽刻文ふくべ型小皿について
私は古九谷が大好きです。特に小さな皿類に名品があります。今回は手に入れたばかりのふくべ型(ふくべは瓢箪のこと)のおめでたい形の古九谷皿一枚です。以前にも書きましたように、おめでたい文様すなわち吉祥紋には大きく分けて3種類あります。福・壽(再生・復活含む)・子孫繁栄とでもいいますか、富裕、長寿、子だくさんの3つです。特に中国の美術品に描かれる文様はこの3つに関連したものが大半です。
元禄伊万里型造松竹梅文向付
今回の古九谷ふくべ皿は瓢箪形に三つのしゃれた丸窓に松竹梅文様が描かれています。ふくべは瓢箪のことですが、秀吉の馬印が千成瓢箪でおめでたいですし、瓢箪には種がたくさん入っていることから子だくさん、豊穣豊かさのシンボルとされました。裏は三方梅文が描かれて見事です。小さなホツ(小キズ)直しが随所に見られますが、気にならないというよりわびさびの古格があってむしろ好ましく思えます。商売の方々は完品を高額で売る為に、キズ物を低く観る風潮がありますが、キズものにどのような落ち度があるのでしょうか。毎日使われ、毎日愛されたゆえのキズです。むしろ使われず、愛されず、押し入れの奥にしまわれ、忘れられてきた作品が完璧さ故に高額に取引されるのが不思議であり、それが現状です。西洋には「ミント」という考えがあり、未使用品が珍重されます。コイン、切手、陶磁器などなどです。ヒビや割れがあると捨てられたりします。合理性、完璧主義ゆえのことかもしれませんが、それに影響されたのかもしれませんが、果たしてどうでしょうか。桃山茶人たちの世界では反対です。大切なものは使う、これは当たり前のことです。良いものは使ってこそ、その「すばらしさ」がでます。使って、使って、さらに使い込む。そして使い込んだが故に古び、劣化し、小キズがつく。これこそが究極の美しさであり、それが「侘び寂び」なのです。茶人であり実業家の益田鈍翁はこうした侘び茶碗を愛して使い続けました。
李朝鶏龍山茶碗に見る侘び寂び
さて松と竹と梅についてはおもしろい話があります。
まず3つとも寒さに耐えるところから、歳寒の三友とよび、めでたいものとして慶事に使われてきた歴史があります。またウナギ屋さんで長時間待たされることを「待つ(松)だけ(竹)うめ(梅)え」と洒落るところなど落語的でおもしろいですね。かつてウナギの蒲焼きは客の注文を受けてからウナギをさばき、焼くので時間がかかったところからきた説と、松・竹・梅と値段のランクにこじつけたシャレという説があるようです。
常緑樹である松は、正式には不老長寿の意味から徳川などの将軍家が大変重視した歴史があります。将軍謁見の間はすべて松の絵が描かれ、松の廊下などおめでたい松竹梅が応用されます。梅は厳しい寒に美しく花咲く強靭な生命力、古木の雰囲気が幹に出て、長寿との関係も大きいようです。竹は松のように年中青くみずみずしい命を保つこととスッとした姿かたちから中国では四君子の一つで、気高く素直で、若々しい感じから君子の品格を備えていることで重視されたのでしょう。
ふくべ皿表面および裏絵と角福銘
この古九谷ふくべ皿には見立たないのですが背景に草花文のレリーフが入っています。伊万里の古窯の楠谷窯に代表される窯ではレリーフが初期伊万里時代から作られてきたとされ、古九谷の皿の素晴らしさに華を添えています。周囲に掛けられた鉄釉は口紅ともいわれ、伊万里の名品の条件の一つとされてきました。この作品にも口縁部分に鉄釉が掛けられています。
口紅が掛けられていない作品と、掛けられている作品を並べて比べて観ると、やはり掛けられている作品のほうが締まって見えます。絵でも額縁がないと締まらないのと同じですね。レリーフも同じで、入ってないと変化にとぼしく、入っていると地味ですが味わいがまします。地味豪華なのです。
「魯山人陶説」の表紙と本文「古九谷観」の章
書家で、料理の達人、陶磁器を焼かせたら「人間国宝」に2度推挙されたかの有名な北大路魯山人が、彼の著書である「魯山人陶説」の中でこう述べています。
「実体そのものの価値を観てそれに感じ入る。またそれに具わった美に心を打たれて心身を浄める等々、これらの事柄を大切に心得る方の愛陶組である。ゆえに、お国贔屓は全然ない。即ち是を是とする。従って文献などは刺身のツマぐらいにしか心得ていない」そして最後にこういう。
「全くのところ日本の過去にかくも立派な芸術に価する古九谷が産出されていたことは、日本製陶史の非常な強みであって、この一点が添えられているため、日本陶磁界は完璧の境に達したと明白に強く言い切ってよかろう」
当時、昭和8年の段階では伊万里古九谷論争も起きていず、魯山人は古九谷が伊万里産であるとは知らず、加賀の九谷産であると思っているのですが、他の輸出品である柿右衛門様式やその他の元禄色絵伊万里などと比べて、古九谷は何とも素晴らしく日本一であると言っているのです。伊万里の歴史をひも解いてみると、鍋島藩による経済政策が大きく古九谷以後の作風を変えて、外国人好みの絵柄に変化させ、収益の獲得に重きを置き、より利益が上がるように作風を変えています。ですから魯山人は古九谷は素晴らしく、伊万里はダメだといっているのです。それだけ魯山人の眼は知識に毒されてなく、彼自身が言うように「お国贔屓は全然ない。即ち是を是とする。従って文献などは刺身のツマぐらいにしか心得ていない」のです。私が魯山人を深く敬愛するのは、人はどう言おうと、彼魯山人自身が「実体そのものの価値を観てそれに感じ入る。またそれに具わった美に心を打たれて心身を浄める等々、これらの事柄を大切に心得る方の愛陶組である」からなのです。日本人はとかく人の意見を重視したがります。それも有名な権威とか評論家の意見を重視します。それは自分の眼に自信がないからです。そうではなく芸術は自分の眼で、自分がどう感じるかが大事なのだと魯山人はいいます。その感じる眼、感動する目をいかに養ってゆくかが問題なのです。それには天性の才能もあるかもしれませんが私は努力だと思います。まさに日頃の自分の眼の鍛錬です。多くを観て、比較して美を見定める訓練が大切なのです。
「魯山人陶説」は私の座右の書ともいうべき本です。何回読んだかわからないほどです。魯山人の書いていることは間違っているとか、ここは違うと思ったことが一度もありません。たいていの本を読んでいると、この意見はどうかな?とかこれは間違った解釈であると思うことがままあります。魯山人のこの本にはそれがないのです。何回読んでもないのです。それは驚きです。彼の「物を観る眼」の確かさ、すごさ、というより純粋さ、透明さに驚きます。
私は彼魯山人を追う、というより彼のようでありたい、と思います。彼ほど純粋に芸術を研究し、愛した男はいないでしょう。またさまざまな芸術ジャンルにおける実践経験から核心をずばりと指摘する故に「権威」から疎んぜられ、嫌われた人はいないでしょう。裏でねたみ、誹謗中傷するのは人間の常とはいえ、多くの日本人の悪いところといわれます。問題を指摘された「権威」はその場では反論できずに、裏で魯山人の悪口をいう。こうしたことの積み重ねが間違った魯山人像をつくりあげたのです。最初に伝記を書いたS氏にも問題がありましたが、「傲慢な魯山人」「わがままな魯山人」「女たらしの魯山人」などなどという評価になりました。それらは全て違います。彼の作品と彼の写真、特に笑顔を見ればすぐにわかります。
私は古九谷作品が大好きなのですが、もう一つ伊万里で好きな作品群があります。それは延宝年間~元禄にかけてのいわゆる藍柿右衛門様式の作品たちです。この古九谷と延宝年間の染付作品は本当に素晴らしいです。
次回は伊万里の続編といたしまして、私の愛する延宝から元禄時代の染付磁器のお話をしたいと思います。
魯山人(左端) 1954年 (「魯山人陶説」より)