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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董122.桃山時代・美濃・鼠志野檜垣竹文三方向付(ねずみしのひがきたけもんさんぽうむこうづけ)


桃山時代・美濃・鼠志野檜垣竹文三方向付

 今回は私の所持する作品の中から、一番好きな桃山美濃の茶道具「鼠志野」向付作品をご紹介いたします。かなり前に、東京のある名高い「業者市※」に出たものを知人の古美術商が購入したもので、それを分けてもらいました。

※業者市・古美術、骨董のプロ業者が集まり、売り買いする、売却と仕入れの場所。「古物商許可証」がないと参加できない。

 桃山時代(1568~1600年)の制作になるこの作品は、私がこれまでに見た、どの「志野、鼠志野作品」より素晴らしいと思っています。とりわけ「鼠志野」作品は数が少なく、価格も普通の志野作品に比べて、2倍から3倍します。貴重な作品ですが、誠に惜しいことに、1ヶ所金継ぎに蒔絵の修復が入っています。この金継ぎがなければ博物館に収蔵されるような作品であることは言うまでもありません。修復は京都の蒔絵師による丁寧な直しで、素晴らしく細かく、上手な直しで、前の持ち主の思いが伝わってきます。

 この作品の産地は国宝の志野茶碗「卯花墻(うのはながき)」と同じく、大萱の牟田洞古窯(むたぼらこよう)と考えられます。


底の部分

 桃山時代の鼠志野の名品茶道具は大半、この牟田洞古窯で作られているように思われます。この窯跡周辺から、陶芸家・荒川豊蔵(あらかわとよぞう・1894年3月岐阜県 多治見市生まれ・1985年8月東京都にて死去)はたくさんの古志野、古鼠志野の陶片を集めて、「荒川豊蔵資料館」を作りました。(場所・詳細はインターネット検索されたし)

 彼が筍紋様の志野陶片を発見して、「志野」がそれまで考えられてきた瀬戸ではなく、美濃で焼かれたことが確定し、荒川豊蔵のその後の調査、研究から桃山陶磁器の一大ブームが起こり、盗掘が盛んに行われたために、後に「埋蔵文化財保護法」(遺跡などが発見され、そちらを土木工事などにより開発事業を行う場合、建築会社は都道府県や政令指定都市などの教育委員会に事前の届出が必要になります。また、新たな遺跡や埋蔵文化財を発見した場合にも届出の義務が発生する法律)が出来たほどで、厳しく盗掘が取り締まられるようになった経緯がありました。荒川豊蔵は自身もその後「志野や瀬戸黒」を制作し、「志野」の発見と焼成地確定、並びに古陶磁器研究から後に功績を認められて1955 年(昭和30年)に重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定されました。


荒川豊蔵が河井寛次郎の工房を訪問した折に、寬次郎の土を使い制作した作品。
豊蔵の頭文字「と」が銘として入る。お目出度い能舞台の「松」が描かれる。

 この桃山時代の美濃焼素地は、通常卵殻色の俗に言う百草土(もぐさつち・美濃地方で産出する桃山時代の美濃産高級陶器の大半はこの柔らかい百草土で作られている)で作られており、鑑定のポイントとなってます。


桃山時代の初期志野陶片に見る「百草土」

 鼠志野作品は、素地全体に鉄釉を掛け、半乾きの鉄釉の上から紋様を掻き落として、素地のしろで表現し、乾かしてそこに白濁半透性のいわゆる志野釉を掛けると黒に白釉が重なり、鼠色になります。白い長石釉が溜まったり、垂れたり、流れるくらいに分厚くかけられており、非常に味わいがあります。百草土の収縮やガスの噴出により「巣穴」という変化も現れ、更に見所の一つとされる細かい亀裂も全面に入り、そこに長石釉が流れ込んでいるがごときであり、底には曲げた足が3つ丁寧に付いているが、その付け足周囲の底面の変化にはえもいわれぬ味わいがあり、素晴らしいものです。器を手に、どっぷり長石釉に浸けたときの陶工の「手跡」も残っています。


手跡

上から見た本作品

 鉄釉を掻落して、「聖数の基本七・五・三」から見込みに竹葉五枚を三セット合計十五枚と、鍔縁に奔放な縦横の檜垣文様(厄を払う呪文十と✕の合成)を入れてある。国宝の「卯花墻(うのはながき)」に似ているが、1ヶ所の修復がなければ、その茶碗より貴重な鼠志野ですから、更に古色、味わいがあり、より上手のものであることは間違いありません。器の形が3角形、3枚の竹葉紋様が3枚にそれが3組、と「聖なる数3」にまとめられ、檜垣紋様(檜垣は魔除けの十字ないしは×紋様が連続することから、井の文様と共に古来、重視される紋様)で制作されており、吉祥紋の代表的な作品とされます。


本作の檜垣文

 国宝志野茶碗の「卯花墻」も同じ紋様ですが、私は形から類推するに、この「卯花墻」は、釉薬のテカリから、やや新しく感じますから、「本阿弥光悦作の卯花墻」ではないかと考えてます。形がまさに本阿弥光悦の好む形です。桃山時代の作品は、もう少し荒々しく、形の造形が力強いと思います。


全体の姿

◯掲載作品はすべて著者所蔵品です。

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