愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董11.歴代皇帝の愛した宝物 「羊脂玉(ようしぎょく)」

 私は日本の古美術からスタートしたこともあって、これまで日本と中国、その先の広大なユーラシア大陸、そして更に先のヨーロッパの美術品との違いについて非常に大きな興味をもって比較検討してきました。大きく分けると島国・日本とそれ以外の大陸という対立概念になるかと思います。
その一番大きな違いは「石」についての感覚・感性の違いであると考えます。
 古代史に登場する飛鳥時代などは大陸との人的交流も多く、遺跡から石製品も多く出土します。例えば飛鳥の亀石や鬼の雪隠、猿面石など多くの石製の動物などが作られています。韓国には慶州の石窟庵のように新羅時代の大きな石仏が寺院の本尊として鎮座しています。中国でも大量の石仏が発掘されています。また石窟寺院などは古くはインドのアジャンターの石窟寺院の例があり、中国ではベゼクリク千仏洞や有名な敦煌の莫高窟、楡林窟の仏像たち、雲崗・大同両石窟寺院のような大規模な石窟寺院があります。日本には九州の臼杵の石仏群や国東半島の磨崖仏、奈良の柳生街道の石仏など、野外の石仏がかなりありますが、規模はインド、中国に比べると小さいといわざるを得ません。更にエジプトのラムセスⅡ世創建になるアブシンベル神殿、アメンヘテプ4世になるカルナック神殿や多くのピラミッド、またはギリシャのパルテノン神殿などのような巨大な石造建築は日本にはありません。また装身具にまで話を広げていきますと、エジプト紀元前14世紀にはあの有名なツタンカーメン王墓に数多くの宝石類が副葬されています。前回書きましたツタンカーメン王のなど歴代のファラオの内臓を入れたカノポス壺などの素材は王家専用の石といわれた縞模様のアラバスターで作られたものです。


アラバスター小壺(前回掲載品)

 しかし中国古代の皇帝たちは宝石というよりも白玉にこだわりました。日本でも一時期、縄文時代、弥生時代から平安時代にかけて、長いあいだ翡翠や瑪瑙の勾玉、琥珀の数珠などが作られていますが、その数と規模は中国に遠く及びません。


エジプト、ルクソールのカルナック神殿前に並ぶ羊頭のスフィンクスたち

 「美」という字は「羊」の下に「大」と書きます。大きな羊が美、すなわち素晴らしいもの、財産、そしてそれが転じて大切なもの、美しいものに変化したと考えられます。羊はもともと遊牧系騎馬民族の宝で、羊をたくさん飼育することが財産でした。またエジプトでも羊は農業の神であり、大変重要な宗教的意味を持つ動物でした。そうした大切で、崇められたものが「美」の概念になっていったものと推測されます。


水晶でつくられた羊の碗(バーミアン遺跡出土)

 羊(マトン)は遊牧系騎馬民族にとって貴重な動物性蛋白質の供給源でした。彼らにとって、命の糧である羊の純白な脂は、最高に美しいものでもありました。古来中国では石に永遠性を感じていたようで、美しい石を貴んできた歴史があります。そこに羊の脂と同じ白く美しい石が採掘されたとき、石の持つ魔を祓う霊力、魔を寄せ付けない霊力が加わり、より珍重されたのが「白玉」の中でも最高峰の「羊脂玉(ようしぎょく)」だったのです。


中国、シルクロード・天山南路にあるホータンの白玉川

 中国の初期の古代王朝、殷(商)の王墓からも、それ以前の墓からも玉は出土しています。シルクロードの天山南路の要衝、ホータン(和田)にある俗称、白玉川からこの貴重な石がいまだに採掘され続けています。中国人たちはみな玉が大好きです。翡翠も大好きです。とにかくパワーのある石がとても好きです。日本人は近代になって、インドや中国の影響で石から宝石に興味の対象が移ったようです。ダイヤモンドがより身近な存在になりました。結婚式にはダイヤの指輪を新郎から新婦に贈るのが習わしになっています。しかし中国の歴代皇帝とは違って、日本の天皇は宝石や玉にはこだわりを見せませんでした。聖武天皇の遺品である正倉院宝物には若干の宝石が柄香炉などに装着されていますが、それは例外的なもので、ほとんど宝石類は姿を消します。また同じく正倉院には多くあるガラス類もその後、姿を消し後の戦国大名である信長などはその存在すら知らず、ポルトガルから来たバテレンからガラスビンや杯などを見せられてびっくりしています。戦国大名の大内義隆などもバテレンからガラス瓶を貰って大喜びして、キリシタンの布教を許可しているほどです。そのカルチャーショックは相当なものだったのでしょう。
 ではなぜ時の権力者である信長や大名の大内氏は正倉院にあったガラスを知らなかったのでしょうか?

 それは日本に仏教が伝わった時代に遡りますが、仏教には「大般若経」という巻物にして500巻以上という膨大な経典があります。名前はご存じだと思いますが、その大般若経のエッセンスを265文字に短縮したのが「般若心経」なのです。これは有名なお経で、どなたもご存じだし、中には暗唱できる方もいらっしゃるでしょう。
 大般若経のエッセンスである「般若心経」のさらに最も重要な部分、究極の精髄を挙げるとすると、それが「色即是空」という4文字部分だとされています。これはどういう意味なのでしょうか。「色」は読んで字のごとく色ですが、エロスの色ではなく、色あるもの、すなわち物体のこととされています。その物体は「空」、すなわちむなしいものであり、変化するという意味のことなのです。世の中に存在するすべてのもの、動物も人間も石も岩も地球も宇宙も永遠に存在するものは無く、すべては変化し、消滅してゆく運命にあるということ、これこそが「真理だ」というのです。ですから仏教を考え尽くした7世紀から8世紀の日本人にとって石や宝石や金属は仏教的真理に反する物、他のものより永遠性があると考えられたのだと思います。ですから仏教の隆盛期には反対に排除されたのだと思われます。すべてはむなしいもの、変化するものであり、そうした中にあってさえ永遠性のあるものに執着することすらもむなしいことと考えたのかもしれません。ですから当時の日本人は玉や石、宝石、珍しいガラスにこだわらなかったともいえるのです。
 それがわかれば後は簡単です。変化する材質がもっとも仏教的ともいえるわけで、日本の寺院は石ではなく、すべてが木造建築といえるものです。世界最古の木造建築、それが法隆寺です。火災で焼失したとされる若草伽藍は更に古いものだったのでしょう。燃えたという本尊も大陸に倣って一部金属の時代がありましたが、大半が木造の仏像に変わってきています。明治時代に至るまでの日本では家屋も木造です。壁は土を使いますが大半、木と紙です。永遠性のものは「仏教」に反するからなのです。そう考えますと日本文化は理解しやすいです。お茶のわび寂びもそこに立脚していることがわかります。茶道では侘び寂びといって、使われてきた変化から生じた「味わい深さ」を大切にします。使い込まれた変化の美、劣化の美、それこそが「美」なのであり、永遠のものではなく、それは長い時間の中で消滅してゆく過程にあるはかない「美」であり、刹那的な「美」といえるものなのです。であるからこそ人間も同じで、いつ死ぬかわかりません。戦国時代ならなおのこと、生きている今、この今という一瞬を一期一会として大切にするのです。それ以外の真理はないのです。


朝鮮半島出土の玉製「蛙」

 「空」こそ竜樹という中国の仏教思想家が釈迦の教えを基として体系づけた仏教最大の理論であり「真理」です。奈良仏教を支えた最大の思想的礎(いしずえ)だと思います。これなくして8世紀の仏教的発展、すなわち奈良仏教の最大の到達点「唯識」という思想は生まれなかったと思われます。私が考える究極の思想は「唯識」です。西洋哲学が20世紀に初めて到達したショーペンハウエルによる名著「意志と表象としての世界」とその影響を大きく受けたニーチェによる「ニヒリズムの克服」すなわち「神の死」から「個・自我」の覚醒へ、そして東洋的真理の発見は「識」ということに尽きます。「識」とは何か。それは五感といわれる感覚、ショーペンハウエルによる表象(Vorstellung)です。世界は自分が見たり、触れたり、聞いたり、匂をかいだり、味わったりすることから、その存在が認識されるという事が大事なのです。その認識する意志としての存在である「個としての人間」が死んでいなくなったら、世界は無に帰するということです。すなわち自分がいるからこそ、生きているからこそ世界を認識できるのです。言い換えれば世界は生きている自己の認識の中にだけあるのです。ですから自己の認識の無くなった「死後の世界」というものはないのです。無ということになります。今を生きる一人一人がすべて同じ立場です。であるからこそ「生」を大切にしなさい、平和に仲良く暮らしなさいと釈迦はいうのです。釈迦の思想の偉大性、根本はそこにあります。5世紀に生きた竜樹という仏教思想家の「空の理論」以降、奈良時代にこうした思想を考えた日本の僧侶たちはすばらしいとしかいいようがありません。20世紀に西洋人が到達した思想に、東洋の思想、日本人僧侶の思想は8世紀に到達していたのですから。

 以上を考えますと、別に石というお守りに頼らずとも、自分さえしっかりして、皆と平和に暮らせれば問題ないのです。しかしそう考えたのは一部の識者のみで、大半は世俗の煩悩に惑わされ、権力と欲望の混沌の中で生きていました。ですから何か物にすがるというのも生きてゆく上で大切なことかもしれません。

 仏教が永遠性を否定していることは、これでお分かりいただけたと思います。仏教が常に背後にある日本の文化、すなわち木の文化、紙の文化、陶器など土の文化が成立している理由の一端がおわかりいただけたと思います。キリスト教、イスラム教などと比べ、自然と共に生きるということを大切にしてきた日本の文化は世界的に大変貴重といえます。今回はそのことを「石」との係わりでみてきました。

 しかし中国の人たちの間では、相変わらず玉への信仰が強いです。益々その貴重性は増してゆくばかりのようです。今や中国の一部の富裕層はケタ違いになり、彼らが求める最高の羊脂玉は日々相場が上昇、変動し、今や大変な高額で取引されているといいます。


瓢箪形のホータンの白玉

 さて私の持つ白玉で現在お見せできるレベルのものは2種類あります。一つは龍の子供、稚龍の彫刻の入ったやや大き目の置物ですが、これは若干白みに欠けます。もう一つ、瓢箪形の白玉は小さいですがほぼ理想に近い白さです。これが本来の羊脂玉といえるでしょう。写真から感じをつかんでみてください。じつに肌触りのよい、とろっとした感触です。玉の鑑定方法は写真では難しいため、また別の機会に実物を観ていただきながらお話ししたいと思います。


白玉の稚龍

稚龍の裏側 オレンジ色の斑文も鑑定のポイント

※カルナック神殿の羊頭のスフィンクス群以外はすべて筆者の所蔵品です(笑)

掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ