文化講座
掌の骨董125.伊万里葡萄栗鼠図色絵八角小皿(江戸・元禄時代)

伊万里葡萄栗鼠図(ぶどうりすず)色絵八角小皿
今回は京都・平安神宮骨董市に出掛けて、そちらで見つけました伊万里柿右衛門様式の元禄時代の代表作・葡萄栗鼠図色絵八角小皿を取り上げました。
私は図録や美術館にてこれと同じ絵の大きな作品(尺皿)を、これまでたくさん観て来ましたが、この小さい八角皿は初めてです。
少しほつれ(小欠け)がありますが、元禄時代(江戸時代中期、犬公方として有名な5代将軍徳川綱吉が在位した1688年から1704年までの、江戸時代で最も豪華絢爛な時代で、忠臣蔵で有名になった1703年1月の赤穂事件が起きている)から使われて来たわけですから、大きな作品でしたら箱に入れられて大切に保管されますが、小皿類は実際に使いやすく、そのため比較的粗雑に扱われたため、当ったり、欠けたりしやすいので少々の傷、欠けや色絵擦れは仕方ないです。しかし時代を考えれば、今回の色絵作品の保存はかなり良い方であると思います。

葡萄栗鼠文様皿の乱反射は本物の証拠
葡萄に栗鼠文とは面白い取り合わせですが、これは武士の心掛けといいますか、命をかけて仕える主君のために、一番大切な命を張る、こうした武士としての道である「武道を律す」という意味合いに言葉掛けされたもので、武士が主君と自分の名誉を守るために、武道を正義と名誉のためにこなすことの意味を問うているような作品です。
この文様は武士の模範ともされ、尊重されました。そのため、この図柄「葡萄栗鼠文」は武士の「魂」とされた刀剣の鍔の表図柄にも使われたほどでした。さらに実である房がたくさん付いている葡萄文は「子孫繁栄」を表し、栗鼠の漢字の鼠も子沢山の吉祥を表し、栗は西の木と書き、西方浄土に成る実を意味し、古来栄養価が高く、戦の非常食として使われ、また勝栗として勝負に勝ち、縁起よく、金色に輝く「栗きんとん」は金運にも恵まれるものとして、お正月のおせち料理に使われてきたほどです。さらに八角皿の形は「八」の末広がりを意味し、あらゆる意味からこの皿は御目出度い品なのです。

芝垣拡大図
伊万里色絵にはたくさんの図柄や紋様がありますが、この図柄は「柿右衛門様式」としてはもっとも華麗でありながら、芝垣やかわいい栗鼠を表現しており、武士の好みに合った作品と言えます。図柄やデザインは、風景や一部に例外はありますが、大半は吉祥文であるということです。芝垣は神のいます結界を意味し、さらに十字に組まれた竹は魔を祓う意味があり、竹は「四君子」の一つ、神秘に満ちた品格高い植物であり、代表的な文字は井で、魔除けの十が四カ所組まれて真ん中の聖なる空間を守ります。わかりやすいのが「井戸」という言葉です。西洋なら広場の真ん中にある「泉」です。村や集団にとって、一番大切なのは「水」です。その「水」をみんなに供給してくれるのが「泉」や「井戸」です。戦国時代に自分の城を攻められた時に、一番大切なのは「井戸水」です。次が食料ですから、攻め手はまず水源を断てば、城攻めに勝利できます。だから大切な井戸は魔を祓う十字で四カ所魔除け文で囲い、守るのです。本来なら井戸は丸い穴が一般的ですが上だけ井桁に組む理由はそこにあります。

本作の蝶
本作品には真ん中に「蝶」が描かれています。蝶はギリシャ神話では「プシケ」、すなはち死者の魂を無事に、あの世、すなはち極楽に運ぶ役割を持つ、華麗で美しく神聖なる「蝶」なのです。ですから真ん中に描かれています。
両サイドに伸びてる「蔓」は朝顔や藤の花を描く画師にとって、本作のように二重線書きは上手の作品の見せどころです。筆の線がのびのびとしています。

古九谷金銀彩藤文に蔓図
本作品の白地は、米の磨ぎ汁の白さから「濁手(にごして)」といわれ、色絵を美しく表現するために開発された白地、「ボーンチャイナ」の一種であろうと私は考えてます。初期伊万里の次に「古九谷様式」の色絵が一世を風靡しますが、その色絵をより美しく表現するために「白地」が研究され古九谷後期の時期に「金銀彩」の下地として「濁し手」が登場します。そしてその技術は「延宝時代」に完成して、伊万里最高作品として「柿右衛門様式皿」に応用されて、今回の美しく、図柄的にも人気の高い「葡萄栗鼠文皿」として登場することになりました。

本作裏の白磁

葡萄栗鼠図八角小皿
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