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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董137.縄文時代とエジプト文明をつなぐわずかな可能性(山形県・宮の前遺跡出土の縄文土器とエジプトファイアンス製の「ウジャトの眼」の比較)連載2回の2回目


縄文土器文様(宮の前遺跡出土品)

エジプトのファイアンス「ウジャトの眼」(エジプト晩期)

 文化の伝播を考えるとき、エジプト(カイロ)と日本(東京)の直線距離は約9,500km~9,700kmです。仮に伝播したと考えた場合、どのくらいの時間が必要なのでしょうか、そこに興味がいきますが、真実は一直線に伝わることはなく、徐々に、何世代もかけて、あちこちと時間をかけて伝わるものだと思いますが、恐らく数十年から数百年はかかったものと考えます。しかし悠久なる時の流れ、長い宇宙の歴史、人類史からすれば、その時間はほんのまばたきのごとき一瞬のことです。

 今回の縄文土器が製作されたと考えられる時代の、今から3000年前から2500年前頃のエジプトは新王国時代から女王クレオパトラ前の最後の光芒期とされる、プトレマイオス朝の衰退期にあたります。


東京国立博物館・東洋館の子供のミイラ

 前回も書きましたように、私は思い出深い小学四年生のころから、エジプト文明に興味を抱き、上野の国立博物館の木造別館に並べられたミイラやエジプト美術を観に行きました。

 特に3000年前の子供のミイラを見た時に、初めて人(同じ歳頃の子供)の「死」というものに巡り遇い、ミイラの少年の顔に畏怖した経験がありました。懐かしい思い出です。その時以来、「死を残した」エジプトの美術品の独特な姿形や宗教に興味を持つにつれ、以後「死」と実存哲学に興味を持ち、ニーチェ、親鸞を学び、それらを通して、改めて「死」ということを考えることにより、ハイデガーを知る前に、「死」は「生」をいかに生きたかの「結果」なのだという考えに至り、「生」の原点、出発点に立ち返ることができました。22から23歳の時でした。それは自分にとり、以後の生き方を決める大きな意味を持ちました。

 今回の世界最古の土器(今から16500年前に製作された)から始まる文化の伝統を誇る「縄文土器」に描かれた「ウジャトの眼」(鷹の神ホルスの目)のような文様は、古代エジプト神話の神ホルスがセト神との戦いで傷つき、後に癒えた左目(月)を象徴するシンボル「ウジャトの眼」なのです。主な祈りの意味は「癒し」「修復」「再生」であり、強力な「魔除け・守護」として用いられました。

 この「ウジャトの眼」の背景は、欠けた月が満ちるように「失われたものが回復する」ことは「エジプト文化・宗教」の根幹をなす、エジプト人には極めて大切な意味を持つこととされます。完全なるものの「復活と再生」を象徴しています。

 癒し、再生、守護、魔除け、すべてを見通す知恵のシンボルということです。ここにエジプト文明の「すべて」が凝縮されてあります。


ハヤブサ・ホルス神(大エジプト美術館所蔵)

 この土器片に見るハヤブサの目と、その下の模様(特徴的なアイライン)の組み合わせは、今回の「ファイアンス製のウジャトの眼」に極めて類似してます。


縄文土器の「ウジャトの眼」イラスト

両眼の「ウジャトの眼」(大エジプト美術館所蔵)

 右目と左目について
左目(ウジャト)はシンボルとしては月、癒やし、温和な保護。右目は「ラーの目」と呼ばれ、太陽、敵に対する暴力、攻撃的な保護を表しています。

 護符(アミュレット)はネックレスなど、身につけて悪魔を遠ざける、呪術的な魔除け「お守り」として使われました。王である男性が身に付けたり、自分の死後のミイラが復活するまでの期間を守る護符に使われました。

 船の先端を守る護符としての「ウジャトの眼」は航海の安全と戦勝を祈願して作られました。ファラオの装飾としては、ツタンカーメンの黄金のマスクなどと同様に「権力の象徴性」を「守護するもの」と考えられたようです。


トト神の護符(ファイアンス製・BC660頃)

 または全視の目 。これは万物の目 (Eye of Providence)、関連は今回とは違い薄いですが、同様に「すべてを見通す目」という、本来の「眼」の概念を持ち、メソポタミアのアイ・ドール(将来取り上げます)の眼の意味に近くなりそうです。

 この「眼」のシンボルは、古代の呪術的霊気の源として、エジプト人の生活に、かなり深く根付いていたようです。

 深鉢という形については、縄文時代においては、食を司る重要な土器・祭器でもあるゆえに、食の安全性、家族や一族を守る呪術的な側面もあると同時に、遺体を納める「棺」としても使われた「事実」がありました。文様はそうした食の安全と死後の安全を守る役割からも極めて重要なものとされたのではと推察できます。意味のない「文様」をこれだけ丁寧に作るはずがありません。

 縄文文化は神秘な月を崇拝していましたし、その背後に「死後」を想っていました。死の夜と対極的な現実としての生きてる昼の「太陽神ラー」を信じ、ファラオ(王)として権威付けしました。


イシス神と太陽神ラー(大エジプト美術館)

 縄文人は、まぶしく明るい太陽も後の八百万神の初期神として敬っていたことは確かです。ただ縄文時代にはまだ文字が発明されていなかったため、文献的な拠り所がありませんから、現代では証明できず、図柄から読み取る、すなはち「推論」するしか手立てがありません。円形や渦巻き文様の原点としての「太陽」は当然のごとく全ての文様に浸透していたようです。

 しかし今はかつてより、より確かな科学的根拠を持つ「放射性炭素年代測定法」が確立され、正確度が飛躍的に向上しました。これがなかったら、日本の学者は世界の四大文明の始まりをBC4000年代と考え、縄文土器とて、それより古いことはないだろうとの「推測」から、縄文時代の上限年代を、紀元前3000年代と考えていました。しかし「放射性炭素年代測定法」がアメリカのリビー博士により発明されると、圧倒的に「縄文土器」の古い歴史が現れたのです。青森県津軽半島の北端、外ヶ浜にある本土最北端の遺跡「大平山元Ⅰ遺跡」から出土した土器破片に付着した炭素測定から、なんと「16500年前(BC14500年)」という、縄文学者にとんでもない数値が示されました。


本土最北端の遺跡「大平山元Ⅰ遺跡」から出土した土器破片の写真

 これにより「日本の縄文時代」は世界最古と確定され、日本の学者の「推測」は完全にハズレ「実績」となりました。世界最古とされるメソポタミア文明でもBC5300年ですから、「縄文時代」の方が、9200年も古い文化があったことが分かりました。そのため、世界ではこの余りにも古い縄文時代を「格上げ」して、世界の文明に加えようという動きもあります。すなはち世界の五大文明の中で最古の「縄文文明」が出現するかもしれないと、こういう流れになってきたのです。

 また縄文土器よりさらに古い「旧石器時代」の「捏造事件」も日本の考古学界の一大スキャンダルとなり、学者の信頼を一挙に失墜させました。「東北旧石器文化研究所」の副理事長を務めるアマチュア「考古学者」の藤村新一が、古い地層に自ら縄文石器を埋めて、それを自ら掘り当てて、「神の手」ともてはやされ、次々に日本の旧石器時代は数十万年遡るとされましたが、自作自演しているのでは、と怪しんだ新聞記者の仕掛けたビデオに写り、真っ赤な嘘だったことが分かりました。かれの「自供」から200箇所の「自作自演」が判明し、学会の信頼と権威が一挙に失墜しました。結果的に、藤村新一の「発見」を称賛し、信じ、絶賛した学者たちは、「捏造の真実」を突き付けられても自らの「見識の無さ」の言い訳を並べ、「責任」を誰一人も取らずに幕を引きました。それが「学会」という世界なのです。

 「放射性炭素年代測定法」により、日本が誇り得る世界最古の「縄文土器」が青森に出現したことは、それ以後の「考古学」にとっても、日本人の意識にも幸いなことと言わざるを得ません。

 しかし、こうした事件があったからといって、あまり臆病になる必要はありません。本来、「考古学」とは地道な活動の連続、積み上げの成果であり、「自分が信じる世界」であり、ロマンそのものであるからです。それを継続すれば必ず「より大きな真の発見」に至ることができます。そのことを信じてゆくしか道はありません。


今回の「縄文土器」

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