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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董81.初期伊万里青磁筒形香炉


初期伊万里青磁筒形香炉

 一般的に伊万里は入門しやすく、奥が深いジャンルといわれます。中でも贋作が一番多いのが初期伊万里、古九谷ではないでしょうか、特に初期伊万里は造りやすいのと、値段が張るから儲けも多くなるからでしょうね。一昔前までは「鍋島」の贋作がやはり高額なほど危ないナンバーワンでした。


鍋島青磁呉須絵松樹双鶴巣籠図皿
(元禄頃・眼の鋭さは絵師の力量の見処です)

 今回は初期伊万里青磁についてお話いたします。

 初期伊万里の特徴はまず①底が厚く、縁が薄い造り。②砂高台が多い。③初期ほど気泡つぶれも多く出る。④裏は無地(絵がない)ものが多い。ただし後期には簡単な絵が入る場合がある。


初期伊万里盃の裏の削り出し高台

 ⑤筆継ぎがはっきりわかりやすい。⑥釉薬にムラがでることが多い。⑦高台は小さいほどよい。1/3高台とよくいうが、それにこだわらない方がよい。小さいものから、大きなものまである。⑧顔料の呉須(酸化コバルト)の質があまり良くなく、少し黒ずんだものが多い。ただし天神森窯の作品だけは例外もある。⑨貫入が縦に入るものがある。⑩伊万里は原則、付け高台であるが、初期伊万里は李朝陶工が制作にたずさわっており、高台は削りだし、兜巾(ときん)が多くなる。⑪同じ理由から、釉薬に李朝白磁に似たものがある。


李朝白磁と良く似た釉薬の掛かった初期伊万里盃

 これらを総合的に頭の中で瞬時に判断する必要があります。ルーペも必要です。

 さて今回の作品は、初期伊万里青磁筒香炉ですから、以上挙げた特徴から、青磁には基本的に絵は入らない場合が多く、青磁はやはり青磁の色あいを楽しむことが多いようです。日本の陶磁器の歴史を紐解くと、青磁は伊万里をもって最初とします。美濃の大萱の弥七田窯や元屋敷窯から始まる御深井(おふけ)釉作品の中に青磁によく似た作品がありますが、それらは古瀬戸から進化しており、古瀬戸を青磁と断定しなかったように、御深井を青磁とするには難しいように思います。従いまして日本の場合、青磁は磁器質である初期伊万里の中に成立すると考える方がより正当な判断として良いと思われます。


徳川家屋敷の釘隠として制作された、珍しい御深井作品は古瀬戸の面影があります。

 青磁は古くは灰釉から始まりますから、歴史的には中国古代の殷(商ともいう)時代に現れているとされます。その後、杭州湾の古越州窯に引き継がれました。法隆寺宝物館に大きな古越州壺が二つ並んでいます。


越州窯青磁の影響を受けた「高麗青磁唐草文透箱」東京国立博物館所蔵の重要文化財指定の箱より少し小さいです。

 杭州は紹興酒のふるさとですから、小野妹子が聖徳太子の命で遣隋使として隋に赴きますが、その時の聖徳太子へのみやげの一つとして紹興酒を買い、杭州湾から帰りの遣隋使船に運び込み持ってきたものだと私は推測して楽しんでいます。貴重な紹興酒で盛大な酒盛りをしたのでしょう。


高麗貴族の副葬品として発掘された伝承を持つ高麗青磁大型碗

 日本の場合は秀吉の朝鮮出兵における李朝陶工の日本への帰化からある意味高麗青磁の面影としての最後の姿が伝わったものでしょう。龍泉窯作品の青磁とは違う色合いで、透明感が強いです。


本香炉を上から覗いた写真

 私のこの初期伊万里青磁筒香炉がなぜ香炉と分かるかというと、上から覗き込んで見ると、口縁内側上部に2ミリほど凸帯状に出っ張りがあり、火屋が入り易く出来てます。さらに上から覗き込んでみると、中の釉薬が半分しか掛けられていません。なぜなら、伊万里の釉薬は「いす灰」から出来ていて、灰は貴重でしたから、香炉は半分以上、灰をいれますから、見えないところには釉薬を無駄に使わなかったということなのです。

 さらに発展する鍋島青磁と比べると、やはりまだ技術の未熟さは否めませんが、初期伊万里の魅力は「完成してない」ところ、あるいは「侘び寂び」の雰囲気にあるとも解釈されますから、これはこれで味わい深いものと思います。質素なほや「火屋」とか「火舎」ともいいますが、香炉の金属製の蓋で、透かし彫刻により「かほり」が通過する蓋を渋い銀で作りたいと考えています。


初期伊万里青磁筒形香炉

 使用しました作品はすべて著者所有の作品です。©日本骨董学院

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