愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董6.猿投へたり長頸壺(平安前期)

 平成27年度・春の平和島骨董まつりに出かけました。熱心なマニアは毎回開場より早く駆けつけて並びます。インドアの骨董市であるだけに、露店と違って暖房が暖かく効いた館内では10時の開場を待ちきれないマニアやプロたちが列をなして入口の扉が開くのを待っています。

 確かにいいものを狙って早めに飛び込むのもいいのですが、私は団塊世代の最も競争の激しかった時代を過ごしたせいか、現在は逆に競争心がなくなってしまいました。一番乗りではなく、しばらくしてから入るのを常としています。また私の好きなものは、大方の好みとはちょっと違うものが多いためか、あまりあわてて入る必要を感じなくなってきました。最終日の午後に入っても欲しいものはちゃんと私を待っていてくれます。

 最終日の方が安くなる、これは本当です。私も今から25年前には骨董露天商の修業をしていましたし、その後青山で店も出していました。その前はコレクターとして骨董市にも通いましたから、買う側の気持ちも売る側の気持ちも理解しているつもりです。大きなイベントなどの骨董市では会場費用、すなわち出店料も高額ですし、平和島骨董まつりの例をあげると地方から出店すれば4日間の滞在費、すなわちホテル代、食費、ガソリン代、高速道路代それに出店料、そうした経費も積もれば指2本越える出費となり、かなり高額になります。その結果、最低でも出費をカバーするだけの利益を上げたい、売れ残るよりはせっかく持ってきたのだから売って帰りたい、という店主の思いが最終日に重くのしかかってくるのです。どんな場合でもかかった経費すなわち元を取らないといけないという意識、それが安くしてもらえる大きな理由でしょう。

 自分が経験しただけに、最終日を狙うのも嫌なので、今回は初日の少し時間をはずしたあたりに入口をくぐりました。東京流通センターというモノレール駅に近い会場に280以上の業者がずらりと出店するのですから、見て回るだけでも1日仕事です。まして一軒一軒のお店を丁寧に見ていたらそれこそ連日通わねばならないでしょう。それも数寄者には楽しいかもしれませんが、私には時間的に難しく、馴染みの店を10店舗ほど回るのが限界です。それでも軽く2時間、3時間があっという間に過ぎます。気に入ったものがあって、値段折衝をしたら1軒のお店で1時間くらいかかる時が往々にしてあるからです。

 今回はもう20年以上のお付き合いのあるAさんのお店で、ひしゃげた塊のような作品に出合ってしまいました。そのAさんは常滑の古い作品をコレクションとして持っている方で、自分が好きで集めただけに、売るとさびしくなるためか、結構いい値段がついていることが多かったのです。彼が持っている平安時代から鎌倉時代にかけての作品の中には、窯の中であまりの高温で焼き過ぎたためか、溶けて崩れてしまったものが今までにもいくつかありました。意図された完全な壺にはなれなかったものたち。作り手が全く予期しなかったであろう形に変形し、割れて崩れてしまったものが多くあります。用途に合わない形状に焼き上がり、売れる見込みすらなかったため、すぐに廃棄された作品たちなのです。そうした歪んだ作品たちは現代流にいえば、長い時間を経過した唯一「オブジェ」としての魅力を残す作品に変身した壺やひしゃげた皿類、鉢類、長頸壺たちということになりそうです。Aさんの美学に合っているのでしょう。私もそのAさんの美意識に共鳴する部分を持っているのかもしれません。

 当たり前的に美しく、完成された美を誇る壺たち、美術館、博物館に並ぶ名品としての壺や長頸壺、鉢、皿類など、いわゆる美術品として世の正統なる評価を得て、由緒正しき作品としての価値を享受していますが、歪んで割れて、ひしゃげた作品はもちろん目的に合わぬ不良品として窯場近くの物原という捨て場に打ち捨てられた、いわば廃棄されたものたちですから、焼成された当時は正当な価値などこれっぽっちも認めてもらうことはなかった無用者、厄介者たちだったのです。

 しかし見方を少し変えますと、それら、割れたりひしゃげたり、大きく傾いた作品には加わった自然の力というものが大きく感じられます。失敗作ともいうべきひしゃげたり割れたりした、その作品に加わった恐るべき力、そこに私は縄文時代以来の自然の火の神の力、窯の神の偉大な創造主としての威力を見せつけられる思いがするのです。

 この作品?掌の骨董というには少し大きいのですが、丸く軽いため手にのります。幅163ミリ、高さ約158ミリです。ひしゃげて割れて長い間、土の中にあったため、経年変化がはげしく、釉薬の剥離、すなわちカセも出ていて、風化もかなり進んでいます。生まれた時からまったく評価されずに、それどころか不用ものとして捨てられて今まで過ごしてきただけに、この猿投へたり長頸壺に対する「いとおしさ」もまた格別です。前回のボロボロ李朝で紹介した小壺は長く使われてボロボロになったわけですが、今回のボロボロ猿投長頸瓶はできた時から無用のもので、棄てられたものであり、いわばそこに不出来な美、ひしゃげた美、割れた美、無用の美というものを見つけることもできるというわけです。これら不完全なものの持つ美こそ、Aさんや私の魂に届き、独自の響きを発します。学生時代は刀剣の完全な美に魅了されて、その完成された美しさの虜になりましたが、またなんという変わりようでしょうか。我ながら驚きます。

 猿投作品の日本陶磁史上における最大の功績は以下の点にあげられると思います。

  1. 灰釉(かいゆう)の発見(灰が1240℃以上の高温でガラス質に変わるという発見)。
  2. 玉垂れの美の発見 灰釉が美しく垂れる様を美として創作したセンスの良さ。
  3. 白い土の発見。
  4. 唐時代の中国の越州窯などに見本をとった洗練されたデザイン。
  5. 緑釉など先端の技術で窯業を展開し、貴族の要望に応えた。
  6. これら1~5までの成果によって、須恵器から大きく発展して、次の時代、高級陶器である瀬戸や常滑に代表される炻器(せっき・焼締陶)への道を拓いたこと、その結果としてやきものの世界が古代陶器から中世陶器へと変貌を遂げたこと。


玉垂れの美しい猿投長頸壺 (最も猿投らしい作品です)

 以上の6項目が猿投の最大の功績であると思います。奈良時代は土も灰色であったり、黒ずんで暗い感じであったりする須恵器が主流でしたが、猿投の革新的な白い土や、ややグリーンがかった灰釉の美しさには劇的変化と進化、さらに飛躍すべき新しい美しさというものを感じます。
今回の猿投へたり長頸壺には横線文が入っており、編年表によれば9世紀中頃の作品のようです。

 この作品が猿投である証拠は、まず全体に見かけより軽いこと、軽くて白い土は盛期猿投の土の特徴です。青白い鵜の斑(うのふ・藁灰系斑釉)という釉調が出ている点、それから一番確認しやすいところは高台です。高台部分を横から観察しますと、やや下に開いたバチ形高台の片鱗が見られます。これは平安陶器、特に猿投に見られる時代の特徴です。


鵜の斑

 また高台の接地部分が蛇の目のように幅広く平らになっている特徴は日本では須恵器から猿投系によく見られる特徴です。近江の崇福寺型水瓶などの一部の高台にも見られるものですが、これも猿投系といえるものです。


崇福寺水瓶(平安時代)

 この高台のすべての様子、さらに軽さ、釉薬の色調、胴体に施された輪線文様などから猿投の長頸壺であることはまず間違いありません。


輪線が入っているのが確認できる
 
蛇の目高台の美しい猿投作品と今回の作品の高台

 このひしゃげ・へたり猿投長頸壺の様子を眺めていましたら、銘が思いつきました。
 「拝謁」そんな言葉が浮かびました。中国の古代史で偉大な業績を挙げた「秦の始皇帝」の時代から漢時代の墓などの壁面に彫られた「画像石」の絵の中の貴族が皇帝に拝謁している姿に似ています。長い袖を前に垂らし、両手を前合わせにして大きく丸く輪を描くように持ち上げて、うやうやしく冠を頂いた頭をその手の輪の中に入れるような姿、この拝謁の姿になんと似ていることか、そう思いましたので「拝謁」と銘(命)名してみました。本来長い頸が折れて、短くなって広がっていることが、かえって冠をかぶった臣下の頭の様子を彷彿とさせています。
 この一連の猿投とそれを引き継いだ、貴族的な渥美古窯によって、平安時代の新しい「国風文化」の美が継承、発展してゆくのです。その流れの渥美の代表的作品、国宝「秋草文壺」の絵画的素晴らしさについては、またいつか本連載が終わりましたらお伝えできればと考えています。


画像石(中国戦国時代)左の人物

 私の猿投作品への想いは昔から相当に強いので、書きたいことはたくさんありますが、今はこの「拝謁」へたり長頸壺をしばらく手元に置いて楽しんでみたいと思っています。


「拝謁」より古い初期猿投の長頸壺(自然釉が美しい)

※画像石以外の作品はすべて筆者所有のものです。

掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ