文化講座
掌の骨董116.古染付辰砂城郭軍旗図中皿
古染付辰砂城郭軍旗図中皿
今回は中国・明時代の「古染付(こそめつけ)」の辰砂(しんしゃ)城郭軍旗図中皿を取り上げました。私が「古染付」を強く印象的に思うのは、利休による桃山茶道の確立以後、侘び寂びの茶道の美学に受け入れられた中国陶磁器としては数少ない希なる存在であることと、さらに美意識がとりわけ鋭く、優れた鑑識眼を持つ北大路魯山人に熱狂的に愛され、コレクションされた中国陶磁器という思いがあります。今回はそんな「古染付」作品の魅力を探りましょう。
本作品の表面の辰砂部分
この中皿には、風が強く吹く中、主従と思われる人物2人が描かれています。一人先導役の荷物持ち、一人が馬らしき動物に乗り、主人格です。まさに城に入ろうとしている図です。
風に翻る、やや遠近感よりデザイン性を重視して誇張された動きのある「軍旗」と雲も辰砂で装飾され印象的です。普通の「古染付」皿の図柄ですと、大半は藍色の「呉須」の線と濃淡で描かれますが、これに「辰砂」が入りますと、数はグンと少なくなりますし、従って貴重で高額になります。
「辰砂(しんしゃ)」とは、顔料の金属「銅」が還元焔焼成(酸素を少なめに焼く技術)により焼かれると赤く発色します。これを辰砂といいます。元染付からありますが、李朝陶芸や明時代の古染付では、還元の技術が甘かったこともありそうですが、この色である「エンジ」を好んだ可能性もあります。清朝ではもっと赤色の強い発色を好んでます。
本作品と同じ時に作られた作品が、かつて博物館の展示に出ていた記憶と美術書にも掲載されていた記憶があります。
本作品の裏側部分
中国・明時代の古染付の製作期間は一般的には明時代の末期、天啓期(1621~1627)を中心に崇禎期(1628~1644)ころまでの間であり、中国陶磁器を焼いた代表的な景徳鎮民窯で焼かれた染付磁器の一群で、一般的な中国陶磁器と違い、やや粗雑さがあり「虫喰」と呼ばれる「気泡潰れ」(*時代の古びの一特徴で、気泡の上部が磨耗して穴があき、それが連続した劣化現象の一つ)が出やすく、一見絵の内容も粗雑に見えますが、無駄を省いた核心を突く味わい(雅味)があり、大変魅力があります。
本連載の87回目 贋作・伊万里染付花唐草文輪花小皿に、古染付によく似た伊万里磁器の鑑定について書きましたから、そちらも併せてお読みください。*こちらからクリックでアクセスできます。
カンナ削り
「古染付」の鑑定方法
①古染付には (A)厚手の作品 (B)薄手の作品 があります。薄手の作品は元々現地で使う目的で作られており、厚手の作品は日本の茶人の要望からやや粗雑に、ラフに厚く、ボッテリ気味に作られ、絵も簡潔に、形も日本の茶人の要望に沿ったものとされます。その中国製の皿類を茶人は善しとし、特に「虫喰」は侘び寂び好みの茶人には好評だったようです。
日本の茶人の要望で発注された「茄子形向付」
「虫喰」拡大写真
②虫喰 先に述べたように、角の部分の釉薬は薄くなる上に当たり易く、使用する度に擦れたり、外力を受けて穴が空き「気泡潰れ」が連続しながらほつれたもの、を「虫喰」といいます。虫が喰ったように見えたことから、茶人が「虫喰」と命名しました。これは重要な真贋の鑑定ポイントになります。
③削り出し高台
中国では丸い皿では高台裏を削り出して製作したものが多いです。かんなのような刃を回転させて削ったため「かんな痕」という削り痕が下の写真のように連続的に高台内に残ります。これも重要な鑑定ポイントとなります。
古染付の高台内の「カンナ痕」李朝陶磁器の影響を受けた「初期伊万里」の一部に例外があります。日本の伊万里磁器は基本的に「付け高台」で、轆轤を使い整形し、後に粘度紐状に「高台」を付けて整形します。これも重要な鑑定ポイントです。
④底が厚く、外縁部は薄い。古い作品は力のモーメントの関係から外に行くに従って薄くなります。高温焼成しますと、陶土も溶けて変形しやすくなりますから、形を保持するため器体を厚く作り、高台より外に行くに従って軽くなり、薄くなる特徴があります。また皿も変形を防ぐためにやや深い作りになります。
⑤砂目高台であること。写真③参照。基本的に高台際の釉薬は刃物で削り落とすのが中国陶磁器の方法となります。初期伊万里から古九谷様式では日本でもそれを模倣し、砂目高台が多いのですが、伊万里は基本的に拭いて釉薬を落とすようになります。その違いは鑑定ポイントです。焼成台とくっ付かなくするため、台と高台の間に砂を置くようになります。初期伊万里は砂目高台が多く、中国、韓国の影響を受けています。古染付も考え方は大ざっぱで、砂目高台が大半です。
⑥裏紋様には、4ヵ所太陽のような、○に点々の紋様が多いです。分厚い古染付は比較的、スッキリした絵柄が多く、雅味に富んでます。
北大路魯山人は東京赤坂に「星が岡茶寮」を経営、皇族を含む会員を得て、大変な繁盛になりました。北大路魯山人の絶頂期に、茶人好みの「古染付」の魅力に取り憑かれ、収集に狂奔しました。当時の写真の技術では満足できない彼は作品の絵を自分で描き、数冊の本を製作したほどでした。美術品というものは買う者がいれば、値段は鰻登りに上がるのも当然で、それにかけた金銭は莫大な金額になり、個人的な財力では間に合わなくなるのは当然で、そこで公の金銭を使い込む、すなはち従業員の給与を使い込む事態になり、「星が岡茶寮」最大の貢献者ではありましたが、社員の給与を無断で遣い込むのは、犯罪とも言える事態で、解任されてしまいます。ある意味、これは一般的には前代未聞の凄いことで、社員の生活より「古染付」作品の方が魯山人には大切ということですから、これはもう美術愛好家としては「破格」というか、異常というべきことです。世にある「古染付」をすべて集めようとした、いわば「極める」意欲があったことに間違いはありませんが、そこまで「美の狩人・北大路魯山人」をして妄執に駆り立てた「美」に対する「執念」とはどのようなものだったのでしょうか。我々は自制心が働き、会社、それも大変繁盛してる会社の莫大な収入を遣い込むような経営者はいないでしょう。その点で魯山人は、美に打ち震え、他の利害はまったく見えなくなる、取り憑かれた「破格の芸術家」、一般的常識の通じない狂信的ではあるが、ある意味純粋な「本当の芸術家」といえるのではないでしょうか。
「伯楽(はくらく)図」古染付中皿
こちらの「古染付」皿は、本作と同じ頃の作品と推定されます。黒い馬の中に一頭白い馬がいて、詩文に「伯楽一頭価値千金」と書いてあります。わたしの古い仲間の古美術商のKさんは、横浜の「白楽」駅前に古美術店を経営してました。彼がこの作品を直しがあるにも関わらず「店の看板」代わりに大切にしていて、私が酒で酔わせて「あの古染、譲ってくれない!?」と言っても、ガンとして拒否したほど気に入ってたようでした。彼はその後急逝され、その様子から出血性脳溢血か大動脈瘤破裂が原因であろうと思いました。後に奥様が「形見」にこの作品を私にお分けくださいました。今も大切にしており、観ながら彼との思い出の中を彷徨うことがあります。努力家で、日本骨董学院の金継ぎ講師を長く担当してくれた恩人でもありました。
世の中には名品がたくさんありますが、美術館、博物館では当然のことですが、「完全な美術品」、割れてない美術品重視の傾向があり、そうした完全な作品は高額で、なかなか我々には手に入りにくいものです。そこでKさんが目を付けたのが「欠けている名品」で、良い作品が安く業者市で買えることがあります。それを入手して修復して、そこに金色が合うか、銀色が合うか、金銀混ぜた方が良いか、いろいろ工夫して修復します。きれいに仕上げて飾っておきますと、数奇者がやってきて買って行く訳です。そういう商売の先駆をなした人といえます。割れていたら安いですが、きれいに修復されますと、かなり高価になり、商売になります。
私も彼の大切にした作品を思い出として大切に楽しませてもらってます。
本作品「古染付辰砂城郭軍旗図中皿」