文化講座
掌の骨董114.河井寛次郎作・呉須泥茶碗について

呉須泥茶碗
今回はあまり好きではない民芸派の中心的陶工・河井寛次郎の茶碗を取り上げました。好きではないといいましても、私には今回の「呉須泥茶碗」だけは品格が高く好きな作品なのです。なぜ私が河井寛次郎を好きではないのかといいますと、それは彼が柳宗悦の「民芸」運動に深く関わっていたからです。その運動について、北大路魯山人は「柳宗悦氏の民芸論を冷やかすの記」(北大路魯山人全集・五月書房刊行)の中において「民芸」に一つの冷徹な結論を出してしまいましたし、また魯山人の「冷やかし」は、私は単なる「冷やかし」ではなく、民芸運動に対して「致命傷」を負わせるような鋭い内容があり、彼ら民芸運動一派からは何も反論できなかったことを見ても、それがわかります。現在に至るまで、民芸論者の間ではその魯山人問題には「フタ」がされたままになっているように思われます。
その中で魯山人は柳宗悦氏は古美術を知らないのではないか、であるから「民芸」にのめり込んだのではないかという重要なことさえ書いてます。

「呉須泥茶碗」の高台部分。河井寛次郎らしい、李朝陶芸の影響を受けた力強い高台作り。
私も柳宗悦の著作「茶と美」の中で、驚くべきことに気付きました。それは柳宗悦が民芸品の美の頂点に挙げているのが国宝「喜左衛門井戸茶碗」だからです。彼はこの本の中で、この喜左衛門井戸茶碗の美のことを「ありふれた美」「どこにでもある美」、驚くべきことに「土百姓」でも持っていて、使っている茶碗と言ってます。これは認識の相違とはいえ、国宝審査委員会の決定を頭から否定している内容といえるからです。国宝の認定基準は国会の認めた国宝審査員全員が、国宝の基準を満たしていると認定した故に決定された作品ということです。
国宝とは、定義でいうと「重要文化財のうち、世界文化から見ても価値が高く、たぐいない国民の宝」(文化財保護法27条より)です。たぐいないとは「比べるもの、類例がないほどの」素晴らしい古美術作品という意味です。
その国宝に指定されている作品を柳は河井寛次郎と二人で、大徳寺に見に行ったときの感想を述べたのが先の内容です。

国宝・喜左衛門井戸茶碗が表紙に掲載された「茶と美」の本の表紙
もう皆さんはお気付きであると思いますが、喜左衛門井戸茶碗の美のことを「ありふれた美」「どこにでもある美」、驚くべきことに「土百姓」でも持っていて、使っている茶碗と言ってます。そのような茶碗が国宝になる訳がありません。
日本、中国、韓国のすべての茶碗を知り尽くした国宝審査委員会の美的鑑賞力の高い有識者のメンバー全員が他に類例がないと認定した国宝茶碗を「土百姓」でも持っていると言ってるのですから驚きです。それだけではなく「土百姓」という表現に、私は極めて違和感を感じます。いわば上から目線での差別的な表現といえます。
しかし、民衆の作品を古美術より「上」とする民芸運動のトップにいる柳において「土百姓」という表現はいかがなものでしょうか?
また古美術に深い造詣があるなら、あのような、国宝茶碗がどこにでもあるようなことを書いたりは決してしないでしょう。
魯山人はその「土百姓」以下の、生まれてすぐに両親もいない捨て子同然の幼少時代を送りましたから、柳らのこうした対応、姿勢には敏感に反応していると思われますが、魯山人はさすがに大人であると思うのは「感情論」からではなく、冷静に考えて、誰もがおかしいと思う「正当論」から論破しているからです。一度是非お読みいただきたいと思う内容です。古美術を愛し、民芸を愛する方々なら尚更、知っておかないといけません。図書館で探してお読みいただきたいと思います。片寄らない判断が大切だからです。

「呉須泥茶碗」の胴部分の魅力 ライトを斜めから当てて、起伏を少しオーバーに表現してみました。
私は魯山人の生き方、創作に私淑しておりまして、彼の生きざまは真摯であり、誰にも忖度する必要のない生活をしてましたから、それ故に間違ったこと、また権威だけのことには疑問を呈し、間違いを論破する純粋さと情熱を持ち、納得するまで研究するほど熱心でした。
書道家としては師もなく小学生から独学で研鑽して、コネもなく、21歳の若さで事実上日本一となった、類例がない本当の実力者です。織部焼人間国宝推挙を二度も辞退し、古美術だけではなく、芸術全般に渡る魯山人の、作品を鑑定、鑑賞する観る眼の確かさにいつも驚き、評論においては間違ったことは一つもありません。

北大路魯山人
魯山人が民芸を攻撃した理由と思われる要点は、以下の通りです。
①一般大衆が、茶道のわかりにくさ、金銭感覚の不透明さに反発して、簡単で安価で解りやすい「民芸」に傾いたと考えた。
②しかし当時「現代陶芸家」である浜田庄司、河井寛次郎らの作る作品は古美術と同じように高額な値段であることに魯山人は驚愕し、そんな高額な「民芸品」を民芸愛好家は買えないと主張した。例えば民芸論者である浜田や河井の作る「民芸土瓶」が当時の値段を現在の物価に換算して75万円以上、醤油注ぎが15万円以上などはまさに論外な値段であり、民芸の方向性に矛盾するとしました。

浜田庄司鉄釉茶碗・浜田の箱書きサインあり。本来民芸品には箱書などはしないものである。
③民芸論者たち、特に柳宗悦の古美術鑑賞能力を魯山人は疑問視してました。古美術が分からないから、「民芸品」に走ったのではないか!? 私(魯山人)はすぐれた陶磁器を持っているから、柳氏に来てみて鑑定してほしい、と持ちかけた。結果は無回答であった。
④民芸論者たちはみな金持ちであり、柳のように麻布の洋館の豪邸に住み、当時皇族の通う「学習院」に柳宗悦は通った。浜田も地元では山を持ってる大地主である。河井もしかり。「民芸論者たち」は民衆の生活からかけ離れた贅沢な生活をしている。
⑤そこから帰結することは、金持ちが、見たことのない貧しい生活用具に驚き感心し、その昔からある素朴な使われた味わいを認めてビックリしたのが「民芸論」といえるし、農民側からすれば、それらは日常雑器に過ぎない品物ばかりである。
魯山人のような底辺から這い上がった者からすれば「世間知らず」の金持ちが大衆の、安価で使い古された道具を侘びた「珍品」と勘違いしてるとしか思えない珍事だった。
また河井寛次郎は当初は民芸派ではただ一人、その実力を魯山人に認められ、励まされ、見守られていましたが、晩年に至るにあたり、彼河井寛次郎は単に有名作家としてもてはやされただけで、芸術家としては大成しなかった、ここに至り私(魯山人)は彼(河井寛次郎)を「見捨てる」とまで書いたほどでした。
私は寛次郎の木彫作品に、どうしてこのような作品を彼は制作したのか、その意図を疑うような作品があり、ガッカリしたことがありましたから、魯山人の気持ちも分かるように思いました。
ただ今回の「呉須泥茶碗」を私は民芸色のない、新しい試みでもあり、品格も高く良い河井寛次郎の作品であると思っています。

「呉須泥茶碗」にはご夫人の河井つね様の箱書とサインあり。