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インターネット公開文化講座

文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董9.イギリスのメシャム・パイプとGert Holbek(9・10月号)

 
かわいい箱に収められて2本の古いメシャム・パイプ タールのしみ込が最高に美しい

 中野で生まれ育った私は、今もある「ブロードウェー」というショッピング・アーケードを若い頃からよくぶらつきます。まだ高校生だった頃、そこで古美術・骨董のお店を開いていらした武田先生と出会いました。元は画家で藤田嗣治(レオナルド・フジタ)の弟子として修業されたのですが、師匠が画壇、言い換えれば黒田清輝との芸術上の対立からフランスに行ってしまい、残された武田先生もやむなく画壇を後にして中野のブロードウェーで古美術店を営むようになったそうです。甲斐の武田家の流れをくむ家系のお洒落で粋な方で、パイプ煙草をくゆらす姿もとても様になっていました。美術を教えていただくために、この先生の元に通うようになりました。やがて大人になった私がパイプを好むようになったのは武田先生の影響かもしれません。また、何か変わったものを求める性格から、普通の紙巻タバコでは飽き足りなくなったともいえます。こうして始まった私のパイプ遍歴は、かれこれ半世紀になろうとしています。コレクションも増えてゆきました。その中でも大切にしているのは武田先生が喫っていらしたダンヒルのフィッシュテイルのシェル(黒のサンドブラスト)パイプです。


武田先生にいただいた、よく使い込まれたダンヒルパイプ。
亡くなるまでお世話になった恩師の形見です。

 以前金沢に仕事で行った時に、懇意にしている西洋アンティーク店「フェルメール」に寄り、主人の塩井さんから今回のパイプを見せられてしまいました。

 私は47歳の時にたばことパイプの吸い過ぎで喘息の症状を呈したため、たばこをやめました。症状はすぐに治まり、体質的な咳であったと後日判明しましたが、喫煙はその時以来きっぱりとやめました。それでもパイプの良いものに巡り会うと血が騒いでしまうのです。そのようなわけで私にとってパイプはもはや実用品ではなくなり、骨董・アンティークに属する観賞品となったのでした。
 パイプの楽しみは、葉巻のようにその香りです。そのためブランデーやウイスキーなどを葉にたらして香り付けをしたりしました。紙巻タバコは吸うのですがパイプは喫う、まあふかす感じでしょうか、まともに吸ったら肺がすぐに真っ黒になるでしょう。ゆったりと香りを楽しみながらひと時を楽しむものかと思います。


豹の毛皮のケースに入ったホルベックの自慢の一品。ジュビリーのストレートグレイン。

 自慢のパイプは10数本ありますが、最高のものの一本はデンマークの作家のGert Holbek(ゲルト・ホルベック)の初期の最もランクの高いジュビリータイプのフルストレートグレイン(木目の真っすぐ詰んだもので、大変レアなもの)パイプ(写真)で、やや大型のボウルの作品です。これは37年以上前に頑張って購入して以来、気に入っていつも身近に置いています。それとMeerschaum(メシャム・ドイツ語でメーアシャウム、海の泡の意味。海泡石。)のパイプです。素材であるメシャムは、日本では一般に軽い白い鉱物のことで、純白で美しく、原石を数十分水に浸しておくと、スポンジのように水分を吸って軟らかくなり、彫刻などが非常に加工しやすくなるという特徴をもっています。メシャムは彫刻を施された後に乾燥すると再び硬くなるため非常に便利な素材なのです。その美しさと白い輝きから「白金の石」とも呼ばれます。通常は透明なワックスを2から3回掛けて光沢を出します。このワックスがタバコ燃焼時の熱でメシャムに溶け込み、喫煙時のヤニと共に作用して変色していき、長い期間喫い続けると透明度を増して、美しく濃い琥珀のような深い赤褐色の色合いをパイプに与えるのです。 これが本当に素晴らしくて美しく、私を魅了してやまないのです。
 この古い、100年以上喫い続けられたと思われるパイプが現在7本ほど手元にあります。中でもとりわけ気に入っているビリヤードタイプの作品にはバーミンガムのシルバーホールマークが付いており、1895年作であることがわかります。
今回は所蔵庫にしている部屋の押し入れの中から新たに探しだした使い古されたパイプたちと、特に大切にしている彫刻メシャム、それと金沢で手に入れた古いメシャムパイプ2本に登場してもらいます。
 彫刻メシャムの歴史は古く、200年以上の伝統があるようです。大切に使い込まれたパイプからは、前の持ち主の愛着がズーンと伝わってくるものです。自分もまたその作品を長く大切にしようと思う・・・この感覚が私は大好きなのです。古美術品も骨董品もパイプも同じ。メシャムは何世代にわたり愛用されてはじめて、深い飴色のタールの染み込みが味を出し、何とも楽しませてくれようになるのです。


「ヨリックの頭骨を持つハムレットの手」のメシャム・パイプは、
10年くらい前に手に入れました。

 これまで私は個人的なブログにも数回パイプについて書いてきました。特にデンマークのハンドメイド作家Gert Holbekのパイプの素晴らしさについて、昔に戻って書いてみたのですが、世界のパイプマニアからものすごいアクセスをいただき、パイプの人気の高さに改めて驚きました。そこで40年前に戻って、再度パイプへの情熱をみなさんと共有したいとの思いでこの原稿を書いています。
 前からステムが折れていたため修理に出していたAntique Meerschaum(メシャム)が仕上がってきましたので、このパイプについても書いてみたいと思います。
 鷲がボウルをつかんだところをイメージした作行きです。熱とヤニの染み込み方から推測すると、やはり100年ないしはそれ以上の時間が経過しているのではないかと思います。折れた原因は2年ほど前にこの作品を所有されていた骨董業者さんが、これに興味を示したお客さんに見せたところ、ステムを強く回したので、ねじれて折られてしまったそうです。そこで折れる前から欲しがっていた私のことを思い出して、やはり大切に扱ってくれる方に譲りたいということから特に安く譲ってくれたのです。そこで陶磁器の修復師として私が日ごろ敬愛するクラシック音楽好きのあのMさんに修復を依頼したのです。彼は陶磁器の修復専門家ですからパイプの修復は初めてで、最初はしぶっていました。しかし、私の熱意に根負けして期限を設定しないことを条件にようやく引き受けてくれましたので、自由にやってもらいました。漆直しですから時間がかかる上に、彼にとってはパイプの素材も初めて。試行錯誤で直す他にやりようがなかったようです。その結果は見事なものでした。これ以上は期待できない仕上がりです。

 現在、メシャム・パイプとしては1895年のホールマーク入りビリヤード型のパイプと、ハムレットに登場する「ヨリックの頭蓋骨を持つハムレットの手」のパイプ、「鷲の手」のパイプ、「編み物をする娘」のパイプと婦人像のパイプ、そしてフランスのバスチーユ骨董祭で購入した素晴らしく優美な馬の頭の彫刻のメシャムの6点を持っています。すべてAntiqueで、変色が素晴らしく美しいものです。そこに前述の金沢でのメシャム・パイプ2本が加わったのです。

 いつもメシャムのパイプ作品に感動するのは、過去の所有者がとても大切に使ってきたという点です。特にビリヤードのメシャムにそれを感じます。ぴったり合ったケースに入っており、保存が完璧で最高の状態です。おそらく手袋をして吸うか、セーム皮に包まれて吸われ続けたのだと思います。「ヨリックの頭蓋骨を持つハムレットの手」にも同じ思いを持ちます。この作品はさらに細かい彫刻がなされ、完成度の極めて高いものです。壊されずに残ったことが奇跡みたいなパイプです。先の「鷲の足」パイプのように、メシャムは壊れやすい軟らかい素材に細かい彫刻が施されているから、なおさら大切に扱うことが重要なのです。無理に回して、ステムを折るなど論外の扱い方です。


ビリヤード型メシャム・パイプとケース。1895年製作のホールマーク入り。

「ヨリックの頭蓋骨を持つハムレットの手」パイプ。タールの染み込みが美しい。

細かい彫刻にタールの染み込みが素晴らしい「鷲の手」メシャム・パイプ
見事な金直し(マウスピースの下部)

 私のパイプとの付き合いは、前にも書きましたがかれこれ半世紀になりましょうか。学生から社会人になる頃ですから高級なものを買えるお金はありませんでした。憧れのパイプ類を東京銀座の喫煙具専門店「菊水」や同じく「佐々木」、原宿・パレフランスの「ジェームズ1世」、新宿の「加賀屋」などで見てはため息をついたものです。そこで、もっぱら安物でも気に入ったパイプでいろいろなパイプ専用タバコをブレンドして楽しんでいました。ロング・バーニングという、火を消さず長時間燃焼させる技術も身につけたりしました。私の当時の最長ロングバーニング(喫煙時間)は5グラムのタバコで1時間23分25秒というのを覚えています。(すべてコンテストに合わせた基準でやりました)


デンマークのハンドメイドパイプ。これでロング・バーニングに挑戦していました。

 当時の私の勤め先は教育関係の出版社でした。第二次ベビーブームなどで会社の経営は毎年上向いていました。バブルに向かうあたりに入社し、社長を含め創設の7名の中に入っていたので、頑張っただけ給与も増えたし、地位も上がり、ボーナスもびっくりするくらいもらえました。そのかわり社員数が少ないので、徹夜などは当たり前。忙しい時は3日徹夜もありました。いつも深夜11時から12時に帰宅し、朝6時から7時には出勤していましたから流行語でもあった「超モーレツ社員」そのものの生活でした。若く活力に満ち、仕事への興味と楽しさ、情熱があったからこそ可能だったのだと思います。労働基準法などとはまったく無縁の勤務状況でした。

 それだけに、たまの休みには古美術の研究や、他の好きなことに集中し時間を使いました。金銭の恵みを受けたことから、さらに多方面の研究、購入に拍車がかかりました。この時期、高嶺の花であったホルベックHolbekやヨーン・ミッケJohn Micke、ダンヒルDunhill、チャラタンCharatan、S・イヴァルソンSixten Ivarssonなどの世界的作家の素晴らしいパイプの数々を手に入れることができる経済力がありました。しかしその後、ヨーン・ミッケJohn Mickeの作品は、名高いH・U氏が異常な高額で収集したため、作品の出来以外の要因でミッケ伝説がつくられ、高額に推移するようになってしまったのは残念なことです。

 さて、ここでまた金沢で手に入れた2本のパイプに話を戻しましょう。大変時代を経た味わいのある小さなメシャム・パイプですが、次のようなラベルが箱に付いています。

 
ビクトリア朝後期の箱とラベル

 ここに記されているFriedrich Edwardsというロンドンのパイプメーカーについて調べてみたのですが、メシャム・パイプと煙草の吸い口のメーカーであった、という以外にはあまり詳しい情報に出会っていません。
 ロンドンで1870年代からパイプ製作に乗り出したJ. Samuel Weingottに関する資料では、ロンドンの商工人名録の1910年のブライヤー・パイプメーカーのリストにFriedrich Edwards & Co.が登場します。この時点で、Samuelの息子と思われる、John Solomon Weingottは主にメシャム・パイプ・メーカーであったF. Edwards & Co.のフル・パートナーであったとその資料には書いてあります。フル・パートナーとは、運営管理・損益に全面的に責任を持つパートナーのことです。
 Weingottに関するその他記述の中でも、「1886年にはウィーンのメシャム工房を買収し、1890年代までメシャム・パイプの製作を行っていた」と書かれていたり、彼がかつてインタビューの中で「オーストリアやフランスの職人は腕が良い」と書いてあったりすることなどから、メシャム・パイプ作りの技術のあったオーストリー系らしきFriedrich Edwards と組んだのかもしれません。
 話は前後しますが、1884年4月4日付けのThe London Gazette(ロンドン公報)に、
「これまでGlasshouse St.25番地などでFriedrich EdwardsとJohn Solomon Weingottが行ってきた事業のパートナーシップは1884年4月2日をもって解消された」といった内容が公示されています。
 そうなると、1910年のパートナーシップの話はどうなっているのかよくわかりませんが、一度解消したパートナーシップを後に再開したとも受け取れます。ままあることです。いずれにしろ、ロンドン公報の公示文から、Friedrich Edwardsは、少なくとも1884年以前から存在していたこと、そして遅くともその時点にはGlasshouse通り25番地に店が確実にあったことがわかります。
 この住所は、購入したパイプの箱に貼られていたラベルにある住所と一致します。他にもこのラベルには、Regent通りの住所も書かれているので、そこにも支店があったようです。
 Glasshouse 通りはソーホー地区、ピカデリー・サーカス駅から2分ほどの場所です。
 ソーホーは、フランス革命前後に追われて流れ出たイギリス銀器の祖となる優秀な銀器職人を含んだユグノー教徒のフランス人が大量に住み着き、他国からの移民も増えたところで、あまりガラのよくない歓楽街になって行ったため、もともとそこに住んでいた貴族たちは逃げ出したといわれています。その後1930年代頃から芸術家や文筆業者が好んで住むようになり、現在のソーホー地区になったようです。


クールスモーキングの楽しめる最も高度な技術による二重のボウル構造仕上げ。

 19世紀のイギリスはビクトリア女王のもと、強大な海軍力を背景に世界に進出して七つの海を制覇するほどの繁栄を極めました。珍しい材料が輸入され、産業が活性化してマニュファクチュア(家内制手工業)から工場制生産に移り、重工業、造船など世界の生産拠点になることによって多くの資本家、プチブルジョアを生み出しました。ジュエリーの繁栄と銀器の流行、1492年のコロンブスの航海以来のタバコ喫煙の流入や紅茶の流行と相まって、こうした喫煙文化が栄えたといえます。シンプルなパイプから過剰な彫り物が入るパイプに至るまでに、その繁栄の歴史が見て取れます。
 今回とりあげた2点セットの作品は、シンプルで高度な技術による二重ボウル制作と、箱の雰囲気がビクトリア朝を思わせる古さです。パイプの使われた色合いの濃さ、ミニュチュア化した進化した姿からメシャム製作時期の比較的中期頃の作品だと思われます。年代的にはRegent通りの支店もラベルに記されているので、1880年から90年代頃、19世紀終わり頃を想定させます。この作品はビクトリア女王が新たな植民地インドムガール王朝の女王に即位した後の爛熟期、プラチナ(メシャムはその白さゆえに白金の石にたとえられた)がジュエリーに使用される皇太子エドワード時代の初期の優美で豪華な雰囲気を持つ作品といえるでしょう。

 このようにこの2本のパイプはおもしろい当時の歴史の一端と生産状況を教えてくれます。

掌(てのひら)の骨董
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