文化講座
掌の骨董44.李朝鉄製小壷
李朝鉄製小壷
現在、韓国との関係は決していい状況とは言えませんが、日本と韓国は一番近い外国であるとともに親戚ともいえる歴史関係を持っていると思います。古代史に登場する中大兄皇子(後の天智天皇)とその母である斉明天皇は朝鮮半島の百済から渡ってきた王候貴族とされるなど、朝鮮半島との繋がりは縄文時代にも遡る歴史があります。大陸との関係は、エジプトに発生した唐草文、特に唐草文の発展形ともいうべきS字スパイラルが縄文土器や作品に彫刻されていることからもうかがえます。
縄文土器のS字スパイラル文(学習研究社「よみがえる縄文人」より)
単純な螺旋状うずまき文でしたら、世界のどこでも偶然に描かれることもあるでしょうが、S字スパイラルとなると、独特の図柄、デザインであり、エジプトに初期唐草文が登場し、発展します。縄文土器が遠くオリエント文明と間接的にしろ、交流があったことをうかがわせます。それらは海を経て伝来したか、中国シルクロードを経て陸路朝鮮半島経由で伝来したか、後の中国シルクロードユーラシア大陸北路を通りアリューシャン列島経由かは定かではありません。優れた縄文土器が分布する東北地方には古代ヘブライ語を思わせる地名や遺物がたくさんあることから、ヘブライ(ユダヤ系)の人々が住んでいた可能性も指摘されます。結果としての蛇文(縄文)にしてもエジプト、ギリシャ、オリエントの影響が色濃いことは明らかでしょう。(縄は2匹の蛇の絡み合った姿を表す)
中国戦国時代の炻器(せっき・焼しめ陶器)の壷の肩に貼られたS字スパイラル文。
これがいわゆるラーメンどんぶりの縁に描かれる「雷文」の原形であり、世界の真ん中で栄えたと主張する中華雷文はエジプト・ギリシャがルーツであることが判明したのです。ラムセスⅡ世像の王冠のコブラ装飾を観ると、蓮と蛇が唐草文の原型を構成したことは明らかでしょう。
ラーメンどんぶりの「雷文」
ラムセスⅡ世像の王冠のコブラとびっしりと刻印された重弧文(蛇の目文)
こうしたさまざまな交流から、鉄の精錬技術が大陸からシルクロードを経由してアジアに伝わったことも確かでしょう。
私は過去に15回は韓国に旅しています。日本骨董学院の会員の皆さんと一緒に初期李朝陶磁器を焼いた鶏龍山やソウル南郊の広州の白磁を求めて窯場や骨董店をご案内しました。今回の「李朝鉄製小壷」はダプシム二にあるサムヒ骨董街の行きつけの店で見つけました。最初、侘びた木製の壷かと思い、気安く取り上げようと持ったらビクともしないので、ビックリしました。改めて手に力を入れて、やっと持ち上げ、なんと白磁と同じ大きさの小壷でありながら計量しましたら1000g(1kg)ありました。(高さ6センチ、幅6センチ)いつもは木か白磁ですから、同じ大きさでも150g程度です。真ん中の胴がふくらみ、口が上に開いた形は少し古い中期17~18世紀頃の白磁を模した作品とみていいでしょう。鉄の起源については掌の骨董でも折に触れて書いて来ましたから、ご興味ある方はご覧になってください。我々は子供のころ、世界史で鉄はヒッタイト(トルコ共和国の北部)が最初に製作し、有名なエジプトのファラオ、ラムセス2世軍がヒッタイト軍とカデシュの戦い(BC 1286年ころ)で鉄剣と初めて交戦、青銅の剣のエジプトは大苦戦したと教わりました。ただその後発掘調査も進みBC6000年頃と測定される鉄塊がメソポタミアで発見されています。ただ鍛練されたり、焼きをいれられた堅固な剣に至るまでには相当長い時間を必要としたことはカデシュの戦いを見れば分かります。ちなみに日本の須恵器のスエは古代朝鮮語のスエー、鉄を意味する言葉でした。須恵器の源流は鉄だったことがわかります。鉄は高価で貴重、武器に転用され、墓に入れる副葬品であるスエーはより安価なやきものに転換したと考えられます。そこで当て字である須恵は陶(スエ)ともいうようになったと考えられます。
折れず曲がらず、よく切れる、鉄剣の最上作「日本刀(短刀・鎧通し)」
(備州長船与三左衛門尉祐定作・戦国時代・特別保存刀剣認定)
鉄はその後どんな金属よりも高価で貴重な金属として推移しますが、地球に一番多く存在する鉄は、その後、江戸時代に見られるように、農機具にも使われる程一般的に、安価に手にできる物となりました。そのため日本では農民が木の鍬から鉄の鍬を手にできるようになり、鍛冶屋などの普及からさまざまな農機具が工夫され、農業の生産性が急速に向上して、元禄時代の繁栄の原点が作られたとされています。
そんな日本の鉄の一般化の流れと同じころ、朝鮮半島でも製作されたようです。ただこの「李朝鉄製小壷」は貴族の持ち物であり、決して虐げられた農民のものではありませんでした。それはこの鉄壷が李朝白磁をモデルにしているからです。
李朝白磁壷17世紀から18世紀 胴の膨らみとくびれと本作のくびれの比較
白磁は李朝の貴族階級である、両班階級(ヤンバン階級・李朝の高級官僚組織)が崇拝した中国の孔子の教え、儒教の教えに由来する高貴な白いやきものでした。白磁は柳宗悦が主張した民衆の壷、民芸の壷では決してありませんでした。
こうした鉄のアジアにおける発展を考える上で、この鉄小壷はなかなか面白い、興味を引く作品といえるようです。
「李朝鉄製小壷」
写真1、3、4、7、8、9は著者所蔵品