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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董97.高麗青磁唐草文透長箱


高麗青磁唐草文透長箱

 中国の北宋時代は、素晴らしい中国の先進文化の遺産が数々ありますが、北宋時代の徽宋皇帝の時代は、中でも飛び抜けて素晴らしい美術品がたくさんあります。特に最高と評価の高い「青磁」作品は北宋から元時代に集中してます。

 その北宋の影響のもとに制作された高麗青磁作品の釉薬は、秘色青磁といわれるほどのすばらしさで「飛びきり」と評価されるほどで、まさに眼を奪う最上等の翡翠の色ですが、この下の東京国立博物館のホームページの写真は青磁の色を強調し過ぎています。もっと自然で美しいです。


東京上野国立博物館所蔵の「高麗青磁唐草文透長箱」(重要文化財指定)

 北宋の徽宋(きそう)皇帝は北宋の第8代皇帝で書画の才に特に優れ、皇帝でありながら北宋最高の芸術家の一人と言われます。

 しかし、芸術に力を入れすぎたため、徽宋皇帝は政治的に才がなく、彼の治世の人民は悪政に苦しみ、『水滸伝』のモデルになった宋江の乱など、地方反乱が起きました。

 その徽宋皇帝が重臣である徐兢(じょきょう)を高麗に派遣して、文化や高麗青磁の様子を見聞、報告させた「宣和奉使高麗図経(せんなほうしこうらいずきょう・1167年)」という報告書があります。その中で徐兢は高麗青磁の素晴らしい作品は、我が国(北宋)の青磁作品を上回るものがあります、とさえ報告しています。それを聞いて、芸術家である徽宋皇帝は喜ばし気に頷いたといわれています。

 言うまでもなく、東京国立博物館には彼の代表作として国宝「桃鳩図(1107年)」が所蔵され、徽宋皇帝26歳の頃の作品といわれています。プロを上回る「院体派」といわれるのびのびとした筆さばきを今に伝えています。私の好きな絵の一枚で、本当に何度みても王者としての風格と品格があり、素晴らしい出来映えです。


徽宋皇帝作・国宝「桃鳩図(1107年)」

 この作品はぜひ展示の有無を博物館に問い合わせ、一度は原作を観ていただきたい名作です。

 高麗王朝の美術品は先の新羅から受け継いだ技術に加え、中国からの優れた技術が渾然一体となった、きわめて洗練された作品が多く、貴族的で民には無縁の最高級の品々でしたが、美術的には最高の部類に入ります。高麗の陶磁器を分類しますと下のようになります。

①高麗白磁(新羅後期から製作された白磁)
②高麗無地・印刻・線刻青磁
③高麗青磁白黒象嵌(紋様を彫り、そこに白と黒の土を埋め込んで紋様をつくりあげた作品。)
④高麗練込(二色の土を練り込んで製作した。唐時代の技術を模倣したものといえる作品。)


高麗青磁白黒象嵌湯碗

 さて、話を元に戻しましょう。前回の李朝辰砂で書きましたように、かつては現在の上海より南の杭州湾とこの朝鮮半島南部の熊津(ゆうしん)との間に航路が開かれ、人や技術の往来があり、北宋時代前期あたりから青磁の技術も熊津に伝わり、たまたまそこに優れた陶土も発見され、製作されたと考えられます。

 かつて大昔、朝鮮半島は日本の九州と陸続きだったといわれ、そのため、両国の土質も同じであり、渡来した朝鮮陶工たちには慣れ親しんだ祖国の風土と陶土で、きわめて作りやすかったのではないかと思われます。昔から陶工もたくさん日本に渡ってきて、古くから唐津焼などの焼き物を焼いてきました。


明宗王(在位1170~1197)智陵出土品
(韓国国立中央博物館・高麗王室の陶磁器より)

 九州を代表する焼き物、伊万里焼と唐津焼きは、いずれも李朝の影響を強く受けていて、共に初期の段階ではほとんど李朝陶芸と言って良いくらい似ています。しかし日本では今回のような深く美しい「青磁」は1700年代の元禄時代の「鍋島青磁」を待たねば出来ませんでした。


12世紀・高麗無地青磁碗(王侯クラスの陵墓からの出土品・幅約18cm)

 今回の高麗青磁作品は、特に透かし唐草文様が東京上野国立博物館所蔵品と同じように丁寧に彫られ、素晴らしい技術で制作されています。透かし唐草文様はなぜ難しいかといいますと、半乾きの時に、一気に手際よく上方から鋭い彫刻刀で彫り下げて行かねばならないからです。かなり細かい作業で、迅速性と丁寧さという相反した作業を要求されます。まさに熟達した高度な技術が必要だからです。また焼きの温度管理にも気をつけなければなりません。酸素を出来るだけ少なく燃焼させ、高温を作り出す還元焔焼成で焼きますが、温度を上げすぎますと、陶土が溶けて歪んだり、崩れて台無しになります。温度計のない時代の窯の中の温度の見極めは、陶工の「眼」と経験、窯に入れる「テストピース」に頼るだけです。テストピースは随時引き出して焼け具合を点検する重要な役割をします。

 そうした先祖代々伝わる経験から学んだ燃焼の際の炎の色、まさに太陽を見るがごときまぶしさがあれば最高の高温とされます。炎に赤みがあるうちは、青磁としては温度が低すぎてダメです。


12世紀・高麗王宮出土品。唐草の透かしが素晴らしい。今回掲載品と同じ時代。筆架。

 陶工がいつの時代でも、その時の政権から大切に扱われるのは、そうした貴重な経験が彼らにあり、それが素晴らしい陶磁器を産み、産業としても、美術品としても国家に大きく貢献してくれるからなのです。


高麗青磁唐草文透長箱

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