愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董72. 頓阿作 柿本人麿像


頓阿(とんあ・とんな)作 柿本人麿像

 新年、おめでとうございます。今年はコロナも収束して平和な社会が戻ることを祈念いたします。本年もよろしくお願いいたします。

 新年第一回目は「頓阿作 柿本人麿像」を観ていただこうと思います。
 骨董を愛する人たちの間には次のような「ことわざ」があります。「願って、念じていれば必ず手に入る」、どういうことかといいますと、骨董・古美術マニアは欲しいもの、古美術・骨董品がたくさんありますが、中でも特に欲しい物は、つよく願い、探せばいつか手に入る、ということわざです。
 私は仕事柄、皆さんに古美術、骨董のたのしさ、奥深さ、さらに職業としての「古美術・骨董」を広めたいと願ってきました。それを達成するためには、皆さんを感動させる、もっと、もっと素晴らしい「教材」すなわち観て、触れて実感できる実物の古美術品、骨董品が欲しいのです。ですからそれらを手にするためにはお金が必要ですから、働き続けねばなりません。


北大路魯山人晩年の作品(銀彩皿・筆者所蔵品)

 私の敬愛する北大路魯山人は次のようなことを書いています。私は生まれてからひどい境遇の中に生きてきた。しかしどんなにひどい環境の中にあっても、悪の道に行かなかったのは美術が目標にあったからだとこのようなことを書いてます。素晴らしい言葉です。彼はまた「美は人を浄化する」とも書いてます。それは魯山人が体験から得た「美の力」です。ですから欲しい美術品を手にいれるために、頑張って、工夫して資金を手に入れる。苦労して、願った作品を手にできる喜びは、古美術・骨董を心から愛する人にしかわからないでしょう。わたしにもはっきりそういえます。


頓阿作 柿本人麿像

 それを証明する事実は今までにたくさんありましたが、今回も45年以上前から欲しいと念じていた作品「木彫・柿本人麿像」がつい最近、昨年令和2年末の11月に手に入りました。先代のお父さんの代からお付き合いのある奈良の古美術商、阪本有見堂さんのところでそれを見つけました。それも木味抜群の鎌倉時代の頓阿作の人麿像を見つけました。手にした時は心臓の鼓動の高まりを収め得ませんでした。恐る恐る値段を訊きました。
 ・・よし、手持ち資金でなんとか買える、でもこんなコロナ禍で奈良まで来たので、もう一声さらに「もう少しお安くなりませんか?」と聞いてみました。「う~ん、まあ東京から来ていただいてますからね・・」と応じてくれました。思わぬ値段で手にできた満足感でいっぱいでした。安くしていただいた店にはまた来たいと思うのが人情でしょう。


平安時代から鎌倉時代の仏像には首が抜ける作品があります。
本作は胴の穴が大きく開けられて、さまざまな方向に顔が向くように工夫されています。

 いま考えますと、歴史家で哲学者の梅原猛先生の著書に学者としての先生の生きざまと学ぶ姿勢、学ぶおもしろさを改めて教えていただきましたのは26歳の頃だったと思います。
 経済的な理由から大学での学究の道を断念した、あのころの情熱の延長を日本の美術・芸術に向けるよい機会になったのが、梅原先生の「黄泉の王(よみのおおきみ)・私見高松塚」(1973年)でした。


初版本「黄泉の王ー私見・高松塚」著者のサインが入ります。

 ちょうど高松塚古墳が発掘調査され、その出土遺物や壁画に興味を持ったころの26歳の若いときにこうした名著に出会えたことがわたしの人生を大きく変えた最大の出来事でした。
 以後、さらに感心を持ったのが、先生の大作「水底の歌・柿本人麿論」(1983年)でした。この作品により「古代史」への興味は決定的となりました。そのころ私の古美術での研究は「日本刀」から「日本の古陶磁器」へ移っていたことも、日本古代史に向かった要因と思います。縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安の各時代の歴史には自分から飛び込んで行きました。
 「黄泉の王・私見高松塚」によって古代史の闇の部分を知りました。当時、権力の頂点である天皇を目指す人間の欲望と冥い、恐ろしい権力者の心の闇。暗殺と血の歴史、それを歌を通して告発する人麿、そしてその事が露見して石見(現在の島根県)で刑死(水死刑)する人麿。それは権力者に接する距離が近いほど危険が増すということを教えてくれました。


「水底の歌」と上巻巻頭の人麿像(奈良県新庄町柿本村所蔵)

 日本の有数なる宗教家や芸術家たち、すなわち法然、親鸞、世阿弥、利休、古田織部、本阿弥光悦、俵屋宗達、みな権力者に近く関わりすぎたため、斥けられています。美術は古くから宗教と深く関係してきました。これからはそうした宗教家、芸術家の生きざまを、美術品を通して更に深く考えて行きたいと考えてます。今回の人麿像は若い日の自分を支えた思想、芸術の私なりの記念碑なのです。

 頓阿は鎌倉時代(1289年)から南北朝時代(1372年)に生きた歌人で僧でもありました。その出自は名門二階堂氏ともいわれ、「徒然草」で有名な吉田兼好とも親交が深く、歌詠みとしての先達、柿本人麿を尊敬しつつ、いくつかの像を制作してます。20歳台で慶運、浄弁、吉田兼好とともに和歌四天王の一人とされました。
 歌壇での活躍は晩年のようです。


頓阿法師像

 しかもそれら、柿本人麿像はいわゆる名家や神社・神宮にしか残っていないようです。本作品が偶然の重なりを経て、たまたま訪れた奈良の古美術商さんから、東京で念じていた私のところに来たのは運命としか言いようがありま せん。この機会に若き日を思い、再度これから柿本人麿について勉強してみたいと思っています。

 鎌倉時代の木彫品の特徴は平安時代の特徴の優美さ、高貴さが影をひそめ、武士の世らしく力強さが強調され、優美さの平安時代から力強い鎌倉時代の様式に移行します。全体的に動きが出てきます。静謐な静けさの平安美術、動的でリアルな鎌倉美術ともいえる違いがあります。
 彫りの特徴も奈良時代の平ノミから平安時代の荒い鉈彫りの荒々しい彫りに変化し、またおとなしい平ノミの時代を経験し、さらにまたU字形ノミに変化し動きの表現が加算されます。本作も小型の丸ノミで仕上げられています。南北朝時代の作品の特徴をよく出しています。


小丸ノミの仕上げ

同じ時代の煤に燻された大黒様の小丸ノミ跡

 趣味のコーナーに「旅・つれづれなるままに」を連載してます。今回のテーマは、平泉毛越寺常行堂の「延年の舞」について書きました。能を愛する方、古美術を愛する方、必見の平安時代のすばらしい奉納舞です。是非お読みください。

掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ