愛知県共済

インターネット公開文化講座

文化講座

インターネット公開文化講座

掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董7.紅志野六角盃


紅志野六角盃

 志野はこの連載初登場です。この紅志野は黄瀬戸の六角盃と共に私の愛すべき志野の筆頭に挙げられる作品です。
 この盃で飲む冷酒はこの季節、格別です。

 一般的に志野は茶道において最高の美濃作品とされています。瀬戸黒も素晴らしく、私は大好きですが志野も同じくらい好きです。黄瀬戸には色に対する桃山茶人の独特のセンスが感じられます。銅の緑釉のかすれた味わい、すなわちタンパンがこれもかすれた黄色によく似合う、独特の色の対比、味わいがあります。


黄瀬戸六角盃

 「楽」は代々千家専属の陶工であり、その作品には何かピリッと張りつめた緊張感が漂います。それは黒の持つ独特な世界故のことに起因しているからなのかもしれません。私は楽九代了入の赤楽茶碗を愛蔵していますが、それは「峰の雪」と命名された筒茶碗で、口縁に長石の白い釉薬が掛けられていて、赤楽の美しい紅葉の山の峰にうっすらと初雪が積もった感じがよく出ており、晩秋のお茶会に最適な赤楽です。了入独特の削り込みも、持つ手に心地よく、魅力的な逸品です。


了入の赤楽茶碗

 しかしこの了入にしてもやはりどこか自由さにかけるところが見られるように思います。それは、「楽家」という家系、千家という重い伝統を背負っている歴史と伝統、そうした重みが自然に茶碗に投影されているということなら、無理からぬことかもしれません。その点美濃の作品は自由であるといえるでしょう。

 織部は桃山時代後期のものですが、形も色合いも自由そのものです。西洋風なところも取り入れて、バサラでエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。型で作るあたりも「手」へのこだわりを感じさせません。もちろんこの当時では手作りより「型」作りの方が珍しく、珍奇なものとしてもてはやされたことはありましょう。現在では「型物」といえば大量生産の安物と見なされ、手作りが重んじられますが、当時は大半が「手」による制作でした。すべて手作りが当たり前の桃山時代ではむしろ、「型物」の方が逆に珍しかったといえます。


織部・型で作られた扇面向付

 さて今回の「紅志野六角盃」は型で作られているという説もあります。たたら製法という板状態の粘土板を細長く切って六角に折り曲げて作るという方法も考えられます。または六片の小粘土板を継ぎ合せて作るという方法も考えられます。前の写真で紹介した黄瀬戸の六角盃を考察してみると、薄い小粘土板を継ぎ合せて作っていると思わせるところがあります。全体的に周囲の厚さは均一であるところを見ると、小片の両角を斜めに60度の角度に切り、それらを継ぎ合せているというのが正しい見方かもしれません。

 加藤唐九郎「原色陶器大辞典」では志野を明確には区分していませんが、次のような名称と製作の違いが認められます。

  1. 無地志野 (長石釉のみで、絵の無いシンプルな志野)
  2. 絵志野(鉄絵の入った志野。志野織部はここでは絵志野に含ませます)
  3. 鼠志野(地に鉄分の多い鬼板(自然の酸化鉄)の泥漿で化粧し、掻き落して地に白い文様を出して焼成する)
  4. 赤志野(鼠志野と同じだが、鉄釉が薄いと赤味が強く発色したものをこう呼ぶ)
  5. 紅志野(鬼板より鉄分の少ない「赤ラク」という泥で素地に化粧して上に鉄絵を描く)
  6. 練り上げ志野(白土と鉄分の多い土を層状に練り込んだ素地で成形したもの)

 志野の陶土の主役は「百草土(もぐさつち)」と呼ばれる柔らかいクリーム色の土で、美濃地方特有のものであり現在は採取できなくなりつつある貴重な土です。この土を成形してとろっとした柔らか味のある灰白色の長石釉を掛けてじっくり焼いたのが「古志野」という作品群で、侘び寂びを醸し出す雅陶として、桃山の茶人たちにもてはやされました。また百草土で焼かれたやきものは、どっしりとした重量感を持ちながら、質感が柔らかく、志野の美しさの気品をなす特徴とされます。

 
古志野の陶片(牟田洞古窯出土品)

 この陶片は典型的な古志野で灰志野とも考えられます。灰色の釉薬が薄く掛かります。手びねりの素朴さがうかがえます。その厚いところ、極端に薄いところがあり、その薄いところが割れたのでしょうか、厚い薄いに極端な差が見られる最適な資料です。土はもちろん百草土です。
 さていよいよ紅志野です。かなり向付として使われてきたようで、見込み、すなわち上から見た底の部分は相当使用されてきた痕跡があります。にじみ、染み込み、汚れ、風化らしきカセなどです。やや大きめの六角盃といえます。通常はもう少し小さ目が多いです。しかし盃にするならちょうど手にすっぽり入る、いい持ち具合の盃といえます。
 上の5にあたりますが赤ラクという鉄分のある泥漿を掛けて、そこに鉄絵が描かれているという決まりになっています。

 本作を詳細に観察してみましょう。確かに薄い濁ったピンク色の土色に白っぽい釉薬が掛かっています。そこに黒い絵であるかどうかは別にして鉄釉らしき黒色で、それらしき何かが描かれています。
 私は室町時代の日本美術・芸能の特色として「省略」が挙げられると思います。典型的な事例が「能」です。能の舞台には中央に大きく松の絵が描かれているのみで舞台装飾は他にありません。最小限の道具を使うだけです。観賞者は謡から、役者の所作から物語を理解しなければなりません。桜が散ってきたと謡がうたったら、観賞者が桜の散る風景を頭の中に思い浮かべねばなりません。謡の中で吉野の桜が風に吹かれて散っていると表現したら、その光景を瞬時にイメージせねばなりません。吉野の風景の中に桜が散る風情を思い受け浮かべねばならないのです。すなわち吉野を、さらに桜吹雪なのか静かに散っているのかも謡の前後の様子から思い浮かべねばなりません。シテの心情と周りの風情を頭に思い浮かべるのです。理解するにはそれゆえに空想力、想像力、知識が必要です。高度なインテリジェンスが求められます。ですから「能」の理解にはさらに経験、相当に深い人生経験が必要となるのです。


龍安寺石庭

 石庭もそうです。庭の白い玉砂利にいろいろな大きさの石がポツンポツンと置かれているだけです。その配置から何を感じるか、想像するか・・・を問われます。自由な発想を求められます。雲海から頭を出す山の頂上なのか、はたまた海の波濤に洗われる岩礁なのか。または宇宙の惑星の配置なのか?そこから何を感ずるかはまったくの個人の自由なのです。禅がそうですね。事象が観念的に自分と対峙する。理解に個人差があるというのも重要なことであり、それこそが日本美術の特質なのかもしれません。それは観る側の経験、知識、人間性によって違うのです。どれだけモノ、対象に真剣に立ち向かえるか、そこにすべてがかかっているのです。


紅志野盃

 この盃には黒い絵が描かれています。最初の写真には岬のような岩の上に木らしきものが生えています。かすんだ海には島影か、帆掛け船のような影に見えるものがあります。雪舟の破墨山水画のようです。典型的な室町後期の省略技法を継承している作品のように思えます。薄く掛かった長石釉がかすんだ風情をよく表現しています。薄い赤ラクは派手でもなく地味でもない、程よい色合いになっています。高台裏には長石釉が全面に掛かっていて、トチン跡がついています。


国宝・雪舟破墨山水図 (東京国立博物館所蔵)

 このように桃山時代は日本の美術が多方面に変化発展した時代なのです。そのことについては前々回の光琳の印籠のところで述べました。(掌の骨董5.尾形光琳の螺鈿白梅図印籠)この六角盃は2番目の能楽と茶道の文化の流れに属する省略と禅的複含表現とでもいうべきものでしょうか、心理学にありますね、ロールシャッハテスト。一つの絵を最初の印象でどう観るかというものです。それによって観る者の心理状態を解明しようという試み、テストです。しかし美術では心理状態を推し量る必要もなければ、そうする意味もありません。素直に自分が感動すること、感じるままを楽しむことが、一番大切なことなのではないでしょうか。
 世界的に見て、こうした抽象表現ともいえる様式を取り入れた日本人の感性は稀有な素晴らしいものだと思います。1550年から1580年代の世界で、だれがこうした抽象性の世界を表現することができたでしょうか。その精神をさらに引き継ぐ織部の抽象性はこの後に生まれてきますが、精神的な下地の部分でこのような紅志野の創作精神があったからこそ、20世紀の西洋絵画の中核ともいうべき抽象芸術を400年も前に先取りした「織部の抽象性」はまさにそこから生まれ得たのではないかと考えられるのです。

掌(てのひら)の骨董
このページの一番上へ