文化講座
掌の骨董41.縄文宝ケ峰式注口小型土器
縄文宝ケ峰式注口小型土器(筆者蔵)
高さ:86㎜・幅最大:96㎜
縄文土器は世界最古の歴史を誇る土器で、現在の津軽半島の竜飛崎手前の大平Ⅱ遺跡(おおだいⅡいせき)出土の土器に付着した炭素の測定(放射性炭素C14年代測定法)によって、今から16500年前のものと確認されました。世界の四大文明の起源は、ほぼ紀元前4000年から6000年といわれておりますから紀元後に直しますと6000年から8000年前になりますから、縄文の始まりはこうした四大文明に比べて約1万年も古い歴史を持っているのです。世界最古の土器が日本で、しかも東北の、本州最北端ともいえる竜飛崎近辺で発見されたことはとても驚くべきことといえるのではないでしょうか。
漆の世界最古の発見は、北海道の函館市に近い南茅部地区遺跡から6点発見されています。これもアメリカでの放射性炭素C14年代測定法によって今から9000年前のものとされました。大発見です。それまで漆は中国の揚子江近辺からの発見で、紀元前4000年ほどのもの、今からですと6000年ほど前のものとされていました。それが3000年古くなり、しかも津軽半島の縄文土器と同じように、海は隔てていますが隣接した函館という場所からの発見であり、時代も縄文前期とされる年代でした。いまや縄文土器や漆は世界の注目の的となりつつあります。
縄文時代の漆の櫛
それでは「縄文時代」の土器製作は世界最古ですから、世界の四大文明に仲間入りして、五大文明となるのでしょうか?
西洋の「文明」の規定基準の一つにガラス製作があるとされます。ガラスは古代フェニキアや地中海沿岸のシリアで紀元前4000年頃にさかんに製作されたものが世界最古とされます。いまから約6000年前ということになります。エジプトなどもそうした流れの影響下で製作して、かなりの歴史を誇ります。
隕石が落ちて、その熱でできた1900万年前のリビアンガラス
海岸の砂浜にある自然の石英や長石が雷で打たれて、融解して塊になり、それを人間がるつぼなどで溶かしてできたともいわれます。また銅などの金属に含まれた石英や長石などが溶けてるつぼに付着したことからガラスならびに釉薬が発見されたともいわれます。いずれにしてもそうしたガラスを加工して様々な工芸品、美術品を製作したことから、「ガラス工芸」が文明の基準とされ、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河流域の文明でそうしたガラス工芸が誕生して四大文明が成立したとされてきました。
紀元前1500年頃のシリア・コアガラス作品(筆者蔵)
日本にいつガラスが入ってきたかについてはいまだ確定はしていませんが、現時点では三内丸山遺跡から直径4ミリのビーズ玉が一個発見されており、それが最古の発見事例のようです。大陸からの輸入品でしょう。その後は弥生時代に須玖岡本遺跡から中国風の璧の破片が見つかっています。ガラスの勾玉が古墳時代にはかなり作られているようです。金属器の製作も弥生時代からですから、残念ながらガラスの発見には日本人は立ち会えなかったようです。ガラスの製作が4大文明のハードルとしますと、日本にはやや高いハードルとなります。日本における漆の歴史は中国より古く、世界最古でも、ガラス製作なしには4大文明の基準をクリアしたことにならないからです。
しかし、縄文時代は漆が多用されて、ベンガラなどで色付けされた赤い漆や黒い漆が沢山使われました。出土品からも、木の細工品である櫛や簪に漆を塗って、美しく仕上げたことはすばらしい事実ですし、土器の表面にも漆をかけて、いわば釉薬に準じる仕上げを施しています。
黒漆の塗られた土器(筆者蔵)
世界最古の土器製作、世界最古の漆作品制作、これらは東洋としては極めて誇るべき文化といえます。最近の日本は世界から注目され、かつてない多くの観光客が訪れ、活況を呈しています。観光客の中には日本の文化、特に縄文に興味を持つ方々が多くなっていると聞きます。そうした背景を考えてか、近々東京国立博物館で「縄文―万年の美の鼓動」を開催するようです。世界から着目される縄文ワールドです。
縄文土器の発見は考古学者とされますが、縄文土器の美の発見は洋画家の岡本太郎とされています。岡本の芸術はアブストラクトに縄文の創造性豊かな情念の世界を取り入れた新しい世界を作り出しています。
燃えるような縄文の造形を思わせる岡本太郎の書「挑」(筆者蔵)
今回掲載の「縄文宝ケ峰式注口小型土器」はご覧のように珍しく小型で、縄目の文様の痕もしっかりついています。それも装飾的に凝ったV字型に交互に刷り込まれた文様です。この作品は縄文晩期の宝ケ峰式注口土器で、亀ヶ岡様式に非常に類似していますが、それより古く、縄文後期の中頃とされ、出土地は宮城県石巻市に近い前谷地字黒沢というところとされています。胴まわりの3か所に突起物がついていて、縄文土器らしさがうかがえますが、3か所の3にこだわります。
縄文宝ケ峰式注口小型土器の側面と上から観た胴の3か所の突起
よく観ますとこの土器の側面には3本の筋が彫られています。真ん中は一見継ぎ目のように見えますが、しっかり彫られています。3ケ所の突起、三本線、これらの三は奈良桜井の三輪山の三につながることは間違いないでしょう。
三輪山の遠景
三輪山が祀る神は蛇であり縄文の蛇信仰そのものであるからです。この連載の32回目と偶然とはいえ3で連なる33回目の連載で考えました「三の研究」と合わせてお読みいただくと、ますます興味深くなることを願って筆を置きます。今後も3の研究を続けていきたいと考えています。