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インターネット公開文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董2.金鈴、金環 金鈴塚古墳をめぐって


金鈴と金環

 かつて古墳文化に関心を持ったころに、各地の古墳を訪ねたことがありました。仁徳天皇陵とされる、世界最大級の大仙古墳をはじめ、ワカタケル大王の金文字の入った稲荷山鉄剣が出土した「さきたま古墳群」、天皇級という被葬者の「高松塚古墳」や宿星図で有名な「キトラ古墳」などなどかなり見学に行きました。新幹線の車窓からも多くの前方後円墳が確認できます。わたしの場合、考古学的な意味合いや古墳そのものより、被葬者すなわち誰が埋葬されているのか、さらに出土品の美術品としての魅力の方に興味の対象がいってしまいます。
 学生時代に刀剣の勉強をしてきましたから、古墳時代の刀剣にも興味があります。ただこの時代の刀は直刀で、真っすぐの刀です。湾曲するのは平安時代からとされています。この湾曲が日本刀独特の抜群の切れ味をさらに効果的にするのです。古墳から発掘される刀は、鉄ですから錆びて、原形をとどめているものはごくわずかです。

 さて今回の「鈴」は、こうした古墳から出土した可能性が高いものです。ところがそもそも「鈴」とはいったいどういう目的で作られたのでしょうか?このことに興味がわいた同じころに、ちょうど中国の旅で西安にある「兵馬俑」を見て、その中に戦車の馬と馬をつなぐ衡についている「レン」という鈴に着目しました。

 
レン

 上の写真がレンです。矢印のものが写真では4本写っていますが、実際は6本ありました。(凸版印刷・TBS制作VTR「彩色兵馬俑」より)
 長野の骨董店で見つけましたが、店主は古代中国の権力者が持つ杖の頭の部分に装着される装飾品だといっておりました。そこで値段折衝して、思ったより安く手に入りました。実はかなり前に解散しましたが「池袋骨董館」の古代青銅器の専門の方からこれは戦車についている鈴で「レン」(漢字不明)という名前のものであることを教えてもらっていましたので、買ってからその店主に伝えました。えーッ、と驚いていました。そんな思い出のある「レン」ですが、なぜ戦車に「鈴」がつけられていたのでしょうか。


練馬区石神井公園に隣接する氷川神社の本殿の鈴

 日本の場合で考えてみましょう。神社には本殿の賽銭箱の上には必ず大きな鈴がいくつかついていて、お参り、お願いごとをする時には鈴緒をゆらせて鈴を鳴らしますね。また巫女さんが本殿や舞殿で奉納舞を舞う時にたくさんの小さな鈴がついた「神楽鈴」あるいは「巫女鈴」といわれるものをシャンシャンと鳴らします。または昔は大切な財布などにかわいい小さな鈴をお守りにつけている方々が多かったのを思い出します。盗難に遭いそうになったり、落としたりした時に鈴が鳴り、気が付きやすいですね。それがお守りたるゆえんでしょう。

 海外では教会、大寺院の鐘がそれです。神の壮大な鐘の音を聴かせてくれます。宗教的な荘厳感、威厳を感じます。
 またスイスですが、山で飼っている大切な大きな牛の首に大きな鈴(カウベル)を掛ける習慣があるようです。カウベルをつけていれば牛が移動したり、動いたりすると音が鳴りますから牧人にわかります。はぐれた牛を探すのにも確かに便利ですが、果たして最初の目的はそうだったのでしょうか?

 もともと音は、人間に被害をおよぼしたり、なつかない猛獣や魔物を追い払ったりして、人間同士の命を守る「お守り」とも考えられます。同時に仲間である馬や犬などの動物や神を呼び寄せる道具でもあるのが音でもありました。
 日本では縄文時代には既に土鈴(どれい)と呼ばれる音を出す目的の土器が存在し、弥生時代には鐘の仲間の銅鐸(どうたく)馬鐸(馬を守る鈴)が作られました。古墳時代の5世紀以降になると金属製の丸い鈴が出現したとされています。今回登場させた「古鈴」は鍍金(水銀アマルガム法による金メッキ)された非常に小さいもので、その直径は13ミリから14ミリほどです。古墳時代に製作されたものと考えられ、木更津にある「金鈴塚古墳」から出土した純金製の鈴とほぼ同じ大きさのものですが、この古墳の出土品である金鈴より少し古いかもしれません。


金鈴塚古墳の円墳頂部の石碑

石室(玄室内・手前が石棺) 古墳は推定95メートルで、円部しか残っていません

 出土品の内容などから金鈴塚古墳は6世紀末~7世紀初頭、前方後円墳の最末期に造られた古墳であると推定されています。被葬者は小櫃川流域の首長であった馬来田国造との説があります。犬、馬、人物像などには鈴をつけたものがありますから、いかに日本人の間に「鈴」というものが古くから浸透していたかがうかがえます。
 田畑では農作物を荒らす鳥などを驚かして追い払うため鳴子を設置しました。現在でも山に入るときには熊除けなどのために鈴や缶カラで大きな音をたてて身を守ることが行われています。
 邑など共同体の結束を促す意味での祭りには音楽は欠かせなく、日本の祭りでも神や仏を呼ぶのに音楽を用います。神社で鈴を鳴らして神を拝むのもそうですし、仏壇で鈴(オリンともいう)を鳴らして先祖を拝することや、大晦日の除夜の鐘など、さまざまな合図としての鐘も人間が生まれながらに持つ、音に対する観念、すなわち天とか神などのように人間を遥かに超越した力を持つものへの畏怖がその根底にあると考えられます。
 
 こうして鈴の持つ意味をさまざまな事例から比較考証してみますと、鈴はその発生から神を呼び寄せる意味を持ち、さらに呼び寄せた神や天に守ってもらうこと、すなわち「守護」してもらうことに主眼がおかれていたのではないかと思われます。神の降臨を願い、そして降臨した神に守ってもらう、そうした神を呼ぶ音が鈴の音なのです。ですから神の降臨を願うためにはきれいな澄んだ音が鈴から発せられる必要があるのかもしれません。
 そう考えると中国・戦国時代の戦車の鈴「レン」の意味するところもおのずとわかると思います。戦場を疾駆する戦車に神の加護あれと願ったのです。金鈴塚古墳の鈴も古墳に埋葬された豪族の死後の世界での神の加護と再生を願ったに違いありません。

 一方、金環はどのような意味を持つのでしょうか?昨年の連載「東北こけし紀行―こけしの謎を解く」のNO4と最終回NO11をご確認いただけると、輪文様の意味するところはご理解いただけると思います。輪線文様とリングはその考え方は非常に似ています。輪はあの世とこの世をつなぐ重要な空間であり、「茅(ち)の輪くぐり」のように再生・復活のイメージがあります。この金環は大きく、鍍金が厚くて素晴らしいものです。これだけ状態のいい金環は、長い間探しましたが、なかなかありませんでした。金環の大半が古墳の墓室から出土し、被葬者の耳につけられていた可能性は大きいです。指輪はもちろん指にはめられていたことでしょう。もちろんツタンカーメン王の副葬品のように、多く埋納された場合は別の箱に入れられているケースもあります。

 さて掲載の古鈴はかなり腐食が進み、購入当時はルーペで見ても鍍金が一か所小さくキラリとした以外は緑青に覆われて見えませんでしたが、少しためしに腐食を取り除いてみますと、緑青の下には全面に金色が残されていることがわかりました。現在、時間をかけて丁寧に腐食を少しずつ取り除いています。次第に金が古代の輝きを増してきました。

 
緑青を取り除く前と、その後

 きっと製作された時はまばゆいばかりにもっと光り輝いていたことでしょう。この鈴は銅に金の鍍金作品で、金属製の小さな丸い古鈴では現存する最古級だと思います。中には小さな石が入っているのが見えます。耳を澄ませて聴くと、かすかな古代の響きを楽しませてくれます。
 本当に最小の掌の骨董ですが、「鈴」の意味するところは「神」ですから、とてつもなく大きな存在、畏怖する存在ということになるのです。

掌(てのひら)の骨董
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