文化講座
掌の骨董32.猿投三筋文小壺 1

猿投の三筋文小壺
わたしが猿投の作品に魅力を感じたきっかけは、今から35年くらい前に中野のブロードウェイの4階にあった骨董店「あかね」(現在は店主が亡くなって廃業)で見せてもらった奈良時代のスタイルの蓋付碗「宝相華陰刻彫蓋付碗」の本体部分でした。えんじ色をした猿投の土の碗の見込み中央に宝相華が見事に印刻彫りされたすばらしい作品!しかし、くやしいことに当時の私の給与ではとても歯が立たない高額でした。後に美術書に同じような宝相華文の碗を見つけた時には、かなりガックリしたものです。そういった作品の姿は生涯記憶に残るようで、今でもありありと頭に思い描けます。あれ以来ずっと、逃してしまったその逸品を探し求めていますが、いまだ再会できません。ただ、骨董市をめぐっていたら、窯の熱で曲がったえんじ色の蓋だけが安く売られていたのを見つけました。これだけでも素晴らしいものです。

骨董市で見つけた猿投の碗の蓋

割れた断面にみる猿投の厳しい造り方

高台に残る糸切痕と、書かれた佛の字
あるとき、古い友人のS君が伝・東大寺二月堂出土という品をもってぶらりと訪ねてきました。観るとえんじ色というか褐色の小壺で三筋文が入っています。彼は備前作品だといいましたが、私はすぐに猿投と判断しました。三筋文は平安猿投作品であれば十分あり得る文様です。また、下の写真の初期猿投長頸瓶に付いている、「ひっつき」の土を見ると、この赤い土と同じです。(「ひっつき」とは、窯で焼成時にとなりの作品がくっついてしまい、離したときにもう一方からはぎとられて残ってしまった部分の地です)。

長頸瓶と「ひっつき」の赤い土
延喜式には尾張の陶工が中央政府に租庸調の税金の代わりに物納したことも書かれており、中央政府の要請に従って作品を作っていたことがわかっていることから、この小壺が猿投であってもおかしくありません。そして発見場所の東大寺二月堂裏山では、かつて国家的な祭祀が行われていたことから、この壺が祭祀に使用されたものであることは間違いないでしょう。
こうした三筋文ですでに有名なのが常滑三筋壺です。

常滑三筋壺(平安時代から鎌倉時代前期)
そもそも三筋壺とは何でしょうか。かつては五輪塔の地輪・水輪、火輪・風輪・空(くう)輪の仏教思想に由来するという説が有力でした。図1で表してみました。

図1
しかし、最近ではそのことに付随したもっと他の奧深い意味があるのではないかと考えるようになりました。

五輪塔
1.空輪 2.風輪 3.火輪 4.水輪 5.地輪。
五輪の思想とは先に述べたように写真の五輪塔の境目を三として見た結果として三を導き出したようです。私も最初はそのように考えていましたが、最近「三」の持つ意味についていろいろ考えますと、実はもっと深い意味があるのではないかと考えるようになりました。
日本には七・五・三というおめでたいお祝いがあります。女の子は丈夫だから3歳、男の子は弱いから五歳になれば大丈夫という意味から祝われた年齢とされています。また三は古来おめでたい奇数、縁起のいい数として重要視されてきました。ここでその主な意味について書いてみます。
- エジプトのファラオの石像で、女神に両サイドを守られて、後の仏教の「三尊形式」の始まりを表現した三。
- キリスト誕生の時に祝福に駆け付けた東方の三賢人の三。
- ピラミッドの三角形の三。
- カルナック神殿などのオベリスクの頂部分の三角形の三。
- アブシンベル神殿などの祠堂の頂部の三角。
- 日本の板碑の頂部の三角。
- 三重の塔の三。
- 七五三の三。
- アリストテレスの「天体論」において主張される立体としてのたて・横・高さすなわち3次元世界の三。
- 常滑の三筋壺の三。
- 大和奈良の神々の古山、大和三山の三、古事記などの蛇信仰で有名な「三輪山」の三。
古代の直刀の拵え(外装)の柄に使われた「三輪玉」の形。 - 亡くなった方の額につける三角マーク。幽霊の額の三角巾。
- 装飾古墳の三角文様。
- 鼎の足の数、三本。
- ヤタガラスの三本足の三。
- 数字3という形の謎。

三尊形式のファラオ像と阿弥陀三尊仏の三
まだまだあります。
このように三は大変意味深い数字といえます。次回その深い謎について考察してみたいと思います。
