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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董4.ボロボロ李朝

(敬称はすべて略させていただきました)


ボロボロ白磁小壺

 このタイトルは長年温めてきたものです。ボロボロという表現は決して李朝陶磁器を見下すものではまったくなく、むしろこれだけ使い込まれるまで愛され使われて、幸せな小壺だという親愛の情からのものなのです。近年における日本の李朝美術の評価は浅川巧、伯教兄弟によって1920年頃に始まりました。その後彼らがのちに民藝論で有名になる柳宗悦(やなぎむねよし)を朝鮮に呼んで李朝美術を見せてから、感銘を受けた柳が民藝運動の主軸に李朝作品を置くことによって「民藝論」という方向性を思いついたのです。民藝とは「民衆的工藝」を略したもので、分かりやすい美術論として、また日本美術の難しい見方や茶道の権威的世界に反発を抱いていた人たちから大いなる支持を得て、順風満帆なスタートを切りました。ところで柳宗悦の民藝論はまったく新しいものなのでしょうか?

  
益田鈍翁旧蔵の李朝刷毛目茶碗と鈍翁自筆の所蔵票に源氏物語にちなむ銘「花散里」とある

 李朝の作品の持つ独特な「侘び寂び」に最初に着目したのは桃山の茶人たちでした。彼らは現在、国宝である大井戸茶碗「喜左衛門井戸」をはじめとして鶏龍山系茶碗、ととや茶碗、御本手茶碗、刷毛目茶碗、卵手茶碗などなどを珍重しました。中国物では村田珠光の愛した「珠光青磁茶碗」や明末清初の古染付などが侘び寂び系のやきものとして珍重されたようです。

 
李朝「ととや茶碗」
 
李朝窯変茶碗

 そうした古来、茶人たちが愛してきた李朝陶磁器や侘び寂びの美術品たちを柳宗悦は民藝論という一定の枠の中にはめ込もうとしたのです。それにはかなりの無理がありました。昨年連載した「こけしの謎を探る」の、こけしの謎を解く 10 「弥治郎こけしのふるさとを訪ねて」に私はほぼ次のように書きました。

 『「民藝論」は柳宗悦や濱田庄司、河合寛次郎、バーナード・リーチらによって始められた運動ですが、一つの美術「論」とするには民藝は区分けがあいまいで、庶民のための魅力ある安価な作品を広げる目的で柳が「民藝」を提唱しますが、それに賛同した同人(仲間)である濱田庄司や河合寛次郎は富裕な生活をおくっており、自分たちの作品を高級美術品に匹敵する大変高額な金額で販売したため、北大路魯山人に鋭くその矛盾を攻撃され、途中で民藝運動が空中分解しそうなくらいのダメージを受けました。その内容は次の魯山人の著作に詳細に書かれてあります。(五月書房発行・北大路魯山人全集に収録の「柳宗悦の民藝論をひやかすの記」)この本は民藝を本当に愛する人たちにとっても、真の民藝の姿を知りたいという人たちにとっても必読の書です)実は柳たち民芸論者はみな貴族や富豪であり、柳は上から目線で民藝の主人公である民衆・庶民を「貧乏人」「土百姓」「焼物は下賤な人間のすることにきまっていた」などと書いていることを考えると、彼は庶民ないしは民藝を生んだ農民たちをどう思っていたのか疑いたくなります(いずれも柳宗悦の著作「喜左衛門井戸を見る」から引用)。
 民藝という言葉のあいまいさ、用の美を重んじはしますが、高額な美術品を民藝としたり、桃山時代の大名茶人や豪商茶人たちが愛好し、現在国宝に指定されている「大井戸茶碗」、別名「喜左衛門井戸」をなんと民藝の最高の作品と評価したり、朝鮮の李朝白磁の白色を朝鮮民族の哀しみの色としたため、韓国の研究者のみならず国内の研究者からも非難されました。それは柳の主張がきわめて感覚的、感情的であいまい不明確なものであったからに違いありません。


国宝・喜左衛門井戸茶碗(大徳寺孤蓬庵蔵)

 私は「民具」を規定する時「生活に必要な最低限の道具類」とし、これを適切な表現であると思っています。ところが国宝という超高額な、茶道具を民藝の最高作品とするあたりに、柳の民藝理論は基本的に大いなる矛盾を抱えているのです。日本で「国宝」に認定されている井戸茶碗が韓国では、どこにでも、至るところにある安物茶碗と同じだという柳の主張に至ってはあきれるほどです。どこにでもある茶碗が国宝になるわけがありません。そうした民藝「論」としてのあいまいさから「民藝」は現在衰退の一途をたどっているように私には思えます。
 東京の一等地である麻布の洋館に住み、美人のオペラ歌手を妻にもち、使用人を抱え貴族的な豊かな生活をおくる柳から見れば、貧しき庶民の生活は体験したことのないまったく未知の珍しい世界であり、驚きの連続だったに違いありません。その貧しく質素な庶民の生活で使われた道具の中に「美」を見つけたのが「民藝運動」であったのです。それが日ごろから難解な「古美術」とその世界が持つ貴族性や独自な金銭感覚に反発を持つ人たちに「分かりやすい庶民の美」として「民藝」が一時期、受け入れられたにすぎなかったのです。

 
北大路魯山人の初期の直筆漢詩入り磁器四方鉢と裏銘文

 魯山人が民藝を攻撃して以来、民藝にあこがれる人はめっきり少なくなりました。民藝運動とは一線を画して個人作家として離れた作家もいます。私は李朝陶磁器を民藝とは見ていません。王族、貴族の愛した白磁の作品群はすばらしい美術品です。とても民藝的なものではありません。また貴族が使った白磁以外の鶏龍山系のやきもの、それらは民藝品かというと、下の写真の徳利などには気品がただよい、独自の美の世界があり、とても民藝品とは思えないものです。それはあくまでも独自な「朝鮮の美」であり、民藝の美ではありません。


李朝鶏龍山鉄絵唐草文徳利

 考えてみれば、封建時代において美の世界は庶民、農民のものではありませんでした。古来一部の特権階級のものであることは歴史が証明しています。李朝陶器は桃山時代の日本において、すでに特権階級の茶道の世界では芸術品、美術品のレベルに到達していたすばらしい作品だったのです。
 先にも書きましたが、私は「民具」の規定として「生活に最低限必要な道具類」という定義を設けています。果たして生活に必要な最低限の道具類に「美」を見いだせるかどうかです。「用の美」と柳はいいますが、使うための合理的な美は一般的な作品全般にいえることであって、特別に「民藝」だけのものではありません。よく民藝の本などに出てくる囲炉裏の鍋を梁の上から支えるひのきの立派な「大黒」といわれるもの(写真)は、庄屋さんとか豪農のものであって、最低限の道具としての庶民の作品ではありません。いわばその手の贅沢品は少なくとも豊かな人たちの生活の場にあるものです。それを民藝とはいいません。私が考える民藝とは本当に純粋に貧しく、装飾などない質素・素朴なものなのです。


民藝ではない自在掛、俗称「大黒」

 ですから今回の「ボロボロ李朝」もそういう面では民藝品ではありません。そもそも釉薬のかかった陶磁器、まして白磁そのものが特権階級の贅沢品でもあり、庶民のいわゆる民藝ではありえないからです。

 そこで本論に入りますが、ボロボロだから民藝というわけではないということが十分ご理解いただけたと思います。
私は使い込まれて、欠けたり、割れたり、満身創痍の作品をいとおしいと思う時がしばしばあります。役割を終えて棄てられたような作品に愛着を感じるのです。一般的な美術品の一面から評価するとそれらは民藝とか骨董とか、美術品という枠からまったく無関係になった作品たちともいえます。その姿には気負いのない、純粋に使い切られてきたよろこび、安らぎ、満足感すら感じられます。

 ここに紹介する、古びて欠けた李朝白磁は使い古された、まさに「ボロボロ李朝」です。この作品を初めて目にした時、私はある感動にとらわれました。

 私がもう15年来通っている韓国ソウルの懇意の骨董店の「オバちゃん」はパンチパーマでかわいい顔をしていますが、なかなかのしっかり者です。韓国では紙幣の使用度が高いですから、商売をしていれば一度に何枚ものお札を数えなくてはなりません。この小壺は幅60ミリ、高さ44ミリという小ささで、オバちゃんの親指がちょうど入る大きさに口が欠けているものですから、彼女は中に海綿を入れて水を含ませ、それを親指につけて札束の勘定をしていたのです。つまりこの白磁小壺(推定制作期は18~19世紀前半頃)はなんといまだに「現役」だったのです。

 その小壺いくら?と尋ねたら「5万ウオン」(当時の為替レートで約5000円)というのです。このオバちゃんはなんでも値段を尋ねると「5万ウオン」スタートなのです。そこで5万ウオンは高いよ、といって小壺を元に戻しました。それから店内を探して、いくつか買いたい品物が揃った時点で、これ全部でいくら?とききながら、さっきの小壺をその中に入れました。ある程度品物が多くなれば値引きも大きくなるのは、どこの骨董店でも同じです。全体ではかなり安くなり、その小壺もその値引きに飲み込まれた感じでした。今まで観た李朝作品の中で、最もボロい李朝白磁でした。そんなわけで「ボロボロ李朝」という言葉が浮かんできたのです。私の持っている李朝白磁で、ボロボロ系のものは他にないかと探したら、お盆一杯くらい出てきました(下の写真)。しかしこのオバちゃんの李朝小壺の上をゆくボロボロ李朝はありませんでした。これは究極のボロ白磁です。


栗の刳り貫き盆にのる、使われてきた李朝白磁たち

 ボロボロといえば、他にもありました。紙を貼り重ねて厚くした上に漆をかけた古箱、竹の骨組みに白い紙を貼り重ねてできた古箪笥、シワシワ皮の古文書箱、たくさんの栗の刳り貫き古盆など、とても安かったです。かつて韓国から運んだものが数限りなくあります。私が最後に行った時、それらはソウルの骨董屋さんでは驚くほど高額になっていました。誰もが買わない時に、ボロボロを美しいと思って買った成果でしょうか。


味わいのある古い皮の箱

 韓国の骨董買いは楽しいものでしたが、昨今は反日政権なので注意して行きません。とても危なくて運べません。大変残念ですが、また行ける日がきっと来るでしょう。オバちゃんを含め、多くの懇意の骨董屋さん、毎日通った安くて美味しい純豆腐チゲ鍋のおじさんにまた会いたいです。みないい人たちばかりです。韓国が親日政権に戻るまでこれらの李朝で楽しみます。

(※写真は大黒、国宝・喜左衛門井戸茶碗以外はすべて筆者所持品です)

掌(てのひら)の骨董
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