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インターネット公開文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董21.西洋アンティーク 知られざる日本の美の影響
ロイヤル・ウースター・金彩手彩色果実文カップセットと飾り皿


ロイヤル・ウースター・金彩手彩色果実文カップセット

 東京国立博物館に所蔵されている多くの作品群の中に、とりわけ私の注意を惹く作品があります。私が国立博物館を訪れる度に必ず観に行く作品ということです。もちろん国立博物館にはすばらしい作品がたくさんありますが、その中でも法隆寺宝物館の金銅仏群は格別です。それから国宝・渥美秋草文壺。重要文化財・高麗青磁・透彫唐草文箱。重要文化財・足利義政伝来の青磁茶碗(馬蝗絆・ばこうはん)。細川護立氏寄贈・重要文化財・石像菩薩立像(唐時代)。明治1円金貨の型を彫った世界最高の彫金師・加納夏雄作・鯉図鍔、井上良斎の釉下彩紫陽花香炉(絶品です)。子供のころショックを受けた思い出のアンクムートの息子パトリエンプタハのミイラ(掌の骨董18回目写真掲載)などがこだわりの列品です。しかしそれらの列品としてほとんど陳列されない好きな作品が1点あります。それが服部杏圃(はっとりきょうほ)作・上絵花果実図皿(明治7年)です。


服部杏圃の色絵花果実図皿
(「明治七年三月寫 大日本眞着色祖杏圃服部造」銹銘朱印東京国立博物館所蔵)

 江戸時代に有田と瀬戸で培われた日本の色絵磁器。その大半は明治期の殖産興業・富国強兵を支える目的の輸出作品として製作されました。日本画は西洋絵画に比べると質感というかボリューム感に乏しい作品が多いものです。その反面繊細で修練された筆による豊かな詩情をたたえたバランス感覚の良い作品が多いことも特質であると思います。顔料の違いも大きいです。
 今回取り上げる服部杏圃(生没年不詳)は、日本画の一派である椿椿山(つばきちんざん)のもとで修業した後、明治2年に鍋島侯爵家の命を受けて肥前有田で錦手画法を教えたとされます。因みに江戸時代末期に第10代肥前国佐賀藩主となった鍋島閑叟(なべしまかんそう・ 正式には鍋島直正なべしま なおまさ)は、陶器の製作で収益をあげ、藩政改革を行ったことで「佐賀の七賢人」の一人として名を残しました。


椿椿山の花鳥図の部分

 椿山は江戸後期の有名な日本画家で花鳥画を得意としたとされます。そうした師の影響からか杏圃も花の絵が得意だったようですが、油絵的な濃密さで描く技法を考案しました。西洋人が華やかな色彩、金彩、むらのない構図、技法を好むことを長い研究の成果として気が付いて取り入れたのです。
 そうした彼の努力が実って、明治6年(1873年)、満を持して杏圃はウイーン万国博覧会に出品し、日本政府の期待にたがわぬ極めて高い評価を受けました。服部の作品は万博を観に来たイギリスの陶磁器製作者たちに大きなインパクトを与えたようです。
 日本の陶磁器は伊万里の輸出色絵がマイセンの成立を促したことから、フランスのセーブル窯、王立ウイーン窯、ウエッジウッド、ロイヤル・コペンハーゲンに多大な影響を与えました。日本の伊万里の色絵陶磁器がなかったら、それらは生まれなかったといっても過言ではないほどです。


ロイヤル・コペンハーゲン(左)の作品と伊万里唐草の比較

伊万里の花形輸出作品である柿右衛門様式の色絵

 浮世絵、特に北斎、広重、歌麿、写楽の素晴らしさが、ゴッホ、セザンヌ、ルノワール、モネ、マネ、ロートレックにものすごい影響を与え、後期印象派の成立を促したのと同じです。当時の日本の芸術は世界一でした。


ゴッホによる広重の浮世絵習作
(ゴッホ作「花咲く梅の木」と広重の名所江戸百景亀戸梅屋舗)

 その服部杏圃の作品に圧倒的な影響を受けて現実に模倣したのが、イギリスのロイヤル・ウースターでした。言い換えれば杏圃の西洋的な濃密な描き方が、かれの狙い通りヨーロッパで評価されたということになったのです。
 日本の芸術家には見られない杏圃の絵の華やかで華麗な色絵磁器の魅力にかつての私は目をみはりました。こんな作家が日本にいたのだと驚きました。それからしばらくしてロイヤル・ウースターのPainted Fruits (1919~1930年に製造されたペインテッドフルーツシリーズ)のカップ&ソーサーを観てまたびっくりしました。服部杏圃の作品が出てきたのかと思ったほどでした。
 このロイヤル・ウースターの作品群にはやはり日本人の感性の遺伝子が流れているため、日本人に人気が高いのだと思います。伊万里の唐草文をベースに描かれたロイヤル・コペンハーゲンの作品にも伊万里そのものの血がながれています。
 ですからかつてのバブル景気のとき、日本人が大挙してデンマークを訪れて作品を買いまくった理由がわかります。中心の五弁花もそっくりです。
 杏圃は横浜に住んで、居留外人たちの好みを研究したようです。当時神戸と横浜には多くの外人たちが住んでいました。特に東京の中央政府に近い横浜はなにかと便利な場所でもあったようです。また当時やはり有名な陶芸家・真葛香山が製作していたことも杏圃が住んだ理由かもしれません。政府のお声掛りで万博出展作品をつくる博覧会事務局付属磁器製造所を立ち上げ「東京錦窯」(とうきょうきんがま)の所長に就任しました。万博での成功後、西洋の彫刻の魅力に取りつかれた杏圃はあらたに彫刻を目指して勉強したようですが、ここで消息が途絶えました。
 この東京国立博物館所蔵の杏圃の作品は数少ないかれの秀作の一つです。その杏圃の面影を求めて、私はロイヤル・ウースターのいくつかの作品を手に入れました。
 大きさはデミタスサイズで 高さ 約6.1㎝ 直径 約6.1㎝ ソーサー直径 約12.0㎝ほどです。かわいい、まさに「掌の骨董」にふさわしい作品です。


フォートナム&メイソンの本店で紅茶を楽しむ筆者

 昔、イギリス、ロンドンのフォートナム&メイソンの本店で紅茶をいただいたとき、紅茶の本当の味に出会えた気がしました。イギリスの紅茶文化の粋に触れた思いでした。大きなビクトリアンの銀ポットにたくさん入ってきました。お代わりのない日本と大違いです。紅茶や珈琲は好きな器でたっぷり楽しんでこそ至福の時が過ごせます。私はヨーロッパのカップ&ソーサーをたくさんは持っておりませんが、中でも今は廃業した2社のものが気に入っています。イギリス、ウエッジウッド社のまったくの白黒の渋いジャスパーウエアーのデミタスと、それからロイヤル・ウースターのフルーツ絵カップと装飾皿です。これは一見金と赤の派手さの目立つ作品ですが、良く観るとそこに日本の伝統と技術と美意識に支えられた素晴らしき感性があります。温かみのある赤と金に杏圃の面影を宿しているようで、手にするたびに楽しめます。


ロイヤル・ウースターの小皿 絵は名手Townsend の手彩色によるもの

ロイヤル・ウースターカップ&ソーサー
FREEMANの金彩・手彩色、1926年製作 桃ブドウカップ&桃チェリーソーサー

ロイヤル・ウースターカップ&ソーサー A.Shuck&W.Bee筆 カップ・1929年製、ソーサー・1930年製。マスターペインター A.Shuck氏とW.Bee氏のカップ&ソーサー。A.Shuck、W.Bee両氏は20世紀の陶磁器絵付師として最も優れた風景画家といわれたジョンJr,天才絵付師・ハリー・ディビスらと共に戦前のローヤル・ウースターの黄金期に活躍した。
掌(てのひら)の骨董
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