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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董67. シリアのスフィンクス


写真①・シリアのスフィンクス
(横45㎜、高さ40㎜、幅43㎜)

 何だろうと不思議に思い、偶然手にして興味がわく作品があります。もう随分昔の話になりますが、東京の大きな骨董市で有名な富岡八幡宮骨董市で知り合って、話しをするようになったプロ業者のNさんがいました。彼は毎回朝から富岡八幡宮骨董市に来て熱心に探して歩くので、Nさんは何を探しているのですか?と聞いたことがありました。「ぼくは自分が分からない物を探してます」その意外な答えに私は少なからず衝撃を受けました。それを聞いて相当知識のある方だと想像できました。なぜなら普通は分かる範囲の品を探すからです。分からない物を探す方は、大半分かっているからなのです。

 確かにいろいろ骨董市を歩くうちに、これ何だろう?と思う品に出会うことが時々あります。私も30年以上昔、古美術・骨董のプロとしてスタートした時に露天商を経験しましたが、何回も意味不明な物を仕入れたことがありました。一山まとめて仕入れた中にそうした「意味不明なもの」が混じってました。店に出しておくと、これは何ですか?と尋ねられます。「分かりません。ただ面白そうですね」なんて受け答えしてると、大半の方は買われませんでした。Nさんはそういう「意味不明・用途不明な品物」を専門に探すのです。その日の探索が終わり二人で珈琲飲みながら骨董談義をしました。地下鉄東西線で帰る方向が逆なので、「じゃあ、また」なんて気軽に別れの挨拶をしたその夜に亡くなられたことを、次の回に富岡八幡宮に出ている業者さんから、前回の市の夜に急死されたことを聞きました。あんなに元気なNさんがあの晩に亡くなるなんて、本当に人の世の無常を感じました。彼のみが知る世界を聞く機会は永遠になくなりました。


写真②・トトメス三世のスフィンクス(世界四大文明 エジプト文明展カタログより)

 今回のスフィンクスは名古屋の大須観音骨董市で求めました。店主の後藤さんは懇意の古美術商です。真面目で熱心な、その人柄が大好きです。
 仕入れ先はガンダーラ地方からパキスタン国境、アフガン国境、イラン国境、カンボジア、ラオス国境あたりですから想像がつきます。アッシリアも私の探索範囲に入り、かなり広域になりますが、古くて面白いものをそうした国々の人たちから仕入れてきてくれます。もちろん掘り出して売ったり、物々交換したりする現地の人たちは作品の由来や時代については分からないみたいです。だから仲良くなると安く取引できて仕事になるのでしょう。現地人とのコネ作りに苦労するといいます。一般の古美術商でしたらかなり高額なものも、現地では極めて安く手に入るのもそうした長年に渡る地道な努力の賜物なのです。誰よりも素晴らしい美術品を最初に買い出すことが楽しみらしいのです。

 今回のスフィンクスもそうした現地の知り合いたちから買ったようです。いろいろごちゃ混ぜの作品の中から選ぶ訳ですか、こちらも真剣になるし、楽しいのです。以前、この連載に掲載したメソポタミア文明のコブ牛の本物を見つけた時も嬉しかったです。(第62回「コブ牛土偶 原インダス文明」参照)


写真③・メソポタミアのコブ牛

 意味不明な物に出会うと、先のNさんを必ず思い出します。このスフィンクスもそうした物ですが「スフィンクス」は分かりましたが、時代と国が分かりませんでした。もうそれはNさんのように調べるか自然に解るその時を待つしかありません。

 今回の対象としての「スフィンクス」にはエジプトにはない作風を感じていましたから、後は時代と産地です。前回の鎌倉時代の金銅唐獅子の時に、調査中として写真を掲載しましたが、やはり気になり調べました。まあスフィンクスですからエジプトから中近東、ヘレニズムの流れでパキスタン、アフガニスタンあたりまでに調査地域を絞り、図録を顔の造形から調べました。胴に穴がつながって穿たれてますから、宗教的なネックレスとして使われた可能性もあります。何か不思議な顔だなぁ、何かに似ているなぁと思っていたのですが、そうです「ウルトラマン」と雰囲気が似ています。


写真④・スフィンクスの尖った頭と大きな鼻、眼の表現に注目

 まず大切なのは材質です。石であることは間違いなく、では何の石かですが、この作品はどうも堆積岩として珍重されたアラバスターのようです。アラバスターならかなり古い時代に大切にされた貴重な石で、紀元前1346年がツタンカーメン王の没年とされますが、ミイラとは別に彼の内臓を4本のカノポス壺に分けて埋葬しましたが、そのカノポス壺が横縞の美しい、透明感のある最高級のアラバスター製でした。


写真⑤・出光美術館旧蔵品のアラバスター小壺の底と今回のスフィンクスの底
全く同じ風合いです。丸いのがエジプトのアラバスター小壺の底。

写真⑥・アラバスター製の最高級カノポス壺(18王朝 王家の谷55墓)

 私も東京の出光美術館旧蔵品というアラバスターの小壺(高さ74㎜、幅50㎜)を持っていますが、その目のよく詰んだ縞模様は大変美しいものです。今回まったく初めて2つを並べて同じ風合いであることにびっくりしました。


写真⑦・横縞紋様の美しい出光美術館旧蔵品のアラバスター小壺の底と
今回のスフィンクスの底と全く同じ感じの風合いを持つことを発見しました。

 私のみるところ、アラバスターの最高級品は、白く透明感がある縞紋様の詰んだもので、横線状に作品に使われた物が一番高貴な作品です。それらはほぼ副葬品で、それも高貴な血を引く王族の副葬品の可能性が極めて高いです。イギリスやフランスの高級な古代美術品を扱う名店でもなかなかお目にかかりません。同じ出光美術館旧蔵とされる縦縞紋様の作品もあります。


写真⑧・穀物の副葬に使われた縦縞アラバスター製大鉢(幅260㎜、高さ150㎜)

 これは個人的な見解ですが、縦縞紋様の大鉢ですから、高貴な人の副葬ではありますが、ツタンカーメンのような国王クラスの王族の副葬品ではないと思います。私はこの横縞紋様が平安時代の常滑や渥美の蔵骨器、すなわち三筋壺の横縞三本に関係していると考えています。三という数については以前詳細にこの連載に取り上げました。 (第32回「猿投三筋文小壺 1」第33回「唐・金銅小三尊像」参照)

 話がスフィンクスから外れてしまいましたが、アラバスターはもともとイタリア地域が原産地のようで、エジプトのファラオたちも地中海貿易やアフガニスタン産のラピスラズリやインド製の赤い美しい宝石・紅玉髄などと共に東方貿易の一環として輸入していたのだと思います。特に少ない横縞紋様の詰んだアラバスターが珍重されたように思います。
 今回のスフィンクスにつかわれてますアラバスターには縞紋様はありません。やはり彫刻には縞紋様のない石が使われたようです。
 アラバスターが使われた国は、調べてみると、エジプトを除く古代オリエントの中心をなす、まさに文明の十字路といわれる古代シリアかイラン系の国々で、古代美術の可能性が高いことが分かりました。造形的に繊細、華麗なエジプトやそれに近いアッシリア美術の可能性は少ないと思います。そこで資料を調べました。


写真⑨・奉献板 BC3000~2000年 横顔のシンプルさがよく似ている。

写真⑩・人物像 BC3000年 頭の形と頬のあたりに古い類似性が認められる。

写真⑪・戦士頭部 BC2000年 額から大きな鼻へのラインに類似性が認められる。

 まだまだたくさんの参考資料はありますが、有力な代表的な資料をご紹介いたしました。
 こうしたたくさんの資料を詳細に注意深く見てると、Nさんのように調べることがものすごく大切なことであり、不思議な世界にはいりこめる数少ない体験となり、ますます楽しみが増してきます。興味は尽きません。

 結論としては、本作品と類似した表現様式の資料写真⑨⑩⑪の推定製作年代は紀元前3000年から2000年であり、本シリアのアラバスター製のスフィンクスの製作年代をやはり同じ年代と考えるのが妥当と思います。さらにシリアにおけるアラバスター素材の登場年代はBC3000年からBC2000年と限定されますから、形と素材が重なり間違いない年代と考えます。エジプトのアラバスター初現は初期王朝の階段式ピラミッドで有名なジョセル王時代のBC2800年頃とされますから、シリアの初現が若干早いのかという感じです。放射性炭素C14測定法による極めて専門的な年代測定に基づく美術史の年代ですからほぼ間違いないと思います。


写真⑫・古代シリアのスフィンクス

シリア関係参考文献

1977 古代シリア展カタログ
1988 シルクロード大文明展
    シルクロード・海の道
1988 シルクロード大文明展
    オアシスと草原の道
2009 トリノ・エジプト展
    イタリアが愛した美の遺産
●TUTANKHAMUN THE GREAT MYSTERIES OF ARCHAEOLOGY by R.ROSSI
●LUXOR by Kent R.Weeks

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