文化講座
掌の骨董123.鎌倉時代 古瀬戸 ミニチュア灰釉瓶子・水瓶・碗セット

鎌倉時代 古瀬戸 ミニチュア灰釉瓶子・水瓶・碗セット
今回は大変小さな鎌倉時代の古瀬戸のミニチュア灰釉瓶子・水瓶・碗セットをご紹介いたします。
よく見ますと、小さいのですが、ほぼ「本作」と同じように大変丁寧な出来映えでつくられています。
古瀬戸にはすべて灰釉が掛けられていまして、原則通りの作行きを示しています。時代の経過から、釉薬の剥がれ「カセ」の現象は生じてます。
よく観察しますと、すべて故意に「欠いて」あります。これは最初から「副葬品」として作られた作品なのです。瓶子は口を、水瓶は注口の先を、皿は縁をすべて欠いてあります。そうです、完全な作品をわざと壊すのです。ではなぜわざと壊すのでしょうか。
餓鬼草子の中央「葬送」の一コマ。出てきた画像を再度クリックして、出た画像を拡大してください。
お棺の一番手前に割られた陶器が見えます。
平安時代から鎌倉時代前期に成立しました「餓鬼草子」を観察しますと、葬送が終わった場面が描かれています。その葬送の場面を細かく調べますと、使った碗が壊れてちらばってます。これは自然に壊れたのではなく、故意に壊されたものです。
葬送をする人たちからしますと、亡くなった方は死んで欲しくはない方で、もっと長生きして欲しいと願っていた方でしょう。しかし亡くなってしまった以上はあの世で幸せに過ごして欲しい、極楽往生して、幸せな後生を生きて欲しい、できれば復活して欲しいと願うより、仕方ありません。

阿弥陀如来(平安時代後期)
「南無阿弥陀仏」(阿弥陀様に帰依いたします・おまかせいたします)平安時代から鎌倉時代は法然上人から親鸞上人の時代で、浄土寺、浄土真宗が社会の底辺に暮らす農民や最下層とされる流民たちから一部の貴族、武士階級に信仰されました。
人は死ぬとどこに行くのか、これは大きな問題でした。当時、世界は「六道」を輪廻すると考えられており、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天に分かれているとされ、そこの中を生まれ変わるとされました。それを「輪廻転生」といいます。死後も努力すれば観音菩薩様に救い上げられて極楽に往生するとされています。
中央第5段右上、観音菩薩に救われ、天上に昇る餓鬼たち(京都国立博物館所蔵「餓鬼草子」より)
死んだ方は、体が病や事故で「壊れた」と考えましたから、葬儀で使い、あの世にお供する道具も一緒に「壊す」のです。壊れた人に壊れたものを同行させないと、一緒に再生復活できない理屈になります。
私はかねてから「阿弥陀如来」はエジプトの冥府を司る神「オシリス神」と更に古い「アミターバ」であり、その思想がメソポタミアからインドに伝わり、更に中国、朝鮮から日本へ、東南アジアへ伝わったと考えています。

欠かれたミニチュアの「碗」作品
お釈迦様は紀元前624年4月8日にルンビニーにお生まれになり、紀元前544年2月15日(80歳没)でクシナーラーにてお亡くなりになったとされています。
お釈迦様は死後人の魂はどこに行くのかは、分からないといいます。すなはち、お釈迦様は死後のことについては何も言ってませんから、阿弥陀如来は死後を司る仏様であり、従いましてお釈迦様とは無関係と考えられます。阿弥陀如来は、歴史的には独自に発達して、仏教に取り込まれた仏様と考えられます。
ですから、エジプトやメソポタミア、あるいは更に古い歴史を持つ阿弥陀如来の歴史がお釈迦様よりもさらに古い信仰としてあったことは確かなようですから、「死を悼む」人たちにより、死者が逝くあの世として考えられて、それが「死」を認識した太古の時代から「死後に逝くところ」、「あの世」として漠然と認識されたようで、私はそれが最も古い時代に花が添えられて「埋葬」されたネアンデルタール人(43万年前から4万年前)の考え方を上限と考え、一番古く優れた「宗教的思考」と考え、認めています。その後、「あの世」のことは永く、さらに永く考えられ続けて来ましたが解決が付かず、お釈迦様が考えてもわからずに至り、そこから死後のことより「現世」、すなはち「今生きているこの人生」が一番大切であると認識されるようになり、以後の「仏教」ではその考え方が深められて今に至ります。親鸞上人は近代思考の持ち主で、「信ずることと、今を生きる」ことに重点を置かれて考えられています。

口が欠かれたミニチュアの「瓶子」
私が具体的な「美術品」としての「宗教的作品」を認識するのは「紅山文化」(紀元前4700年頃~紀元前2900年頃 )の「迦陵頻伽」からです。

紅山文化の「迦陵頻伽」顔は人間で、背中に羽を持つ

同じ「迦陵頻伽」背面
あの世に死者の魂を確実に届けるという「迦陵頻伽」の考え方が、エジプトの一番古い時代のものか、あるいは中国古代の紅山文化のどちらが古いかは、決め手がハッキリしてませんからわかりませんが、推定では古代中国の可能性が高いと思います。エジプト文明の盛期は紀元前1400年頃からと考えられます。

最盛期のエジプト・オシリス神
「死後の世界からの復活」は人間の夢であり、「死後」の世界から戻った人は、一人もおりません。臨死体験という経験をされた方はたくさんおられますが、臨死体験は「死」ではありません。ギリギリ生きていて、意識が戻った方々という訳です。「死」を体験した人は現在おられません。
今回の「死後」の世界に送った作品「古瀬戸ミニチュア灰釉瓶子・水瓶・碗セット」は、死後に復活できるという「希望的観測」から埋葬されたに過ぎません。今考えますと、これまで「復活」した人はいませんから、「復活」はあり得ないものと考えてよいでしょう。ですから、今を生きている内がすべてですから、こうした「古瀬戸」作品から学び、今生きているこの人生を、楽しく、悔いなく生きてゆきたいと私は思います。

古瀬戸 副葬品のミニチュア瓶子・水瓶・碗類
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