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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董52.唐加彩美人俑


唐加彩美人俑

 これまで何回かにわたり、俑(よう)について書いてきました。これからも数回、中国の歴代帝国の中でも、とりわけ美的表現にすぐれた唐時代の作品に的を絞って取り上げてみたいと思います。俑(よう)の定義としては「殉死の代わりに副葬品として陵墓に埋納された人形(ひとがた)を総称していう」としておきます。中国古代権力国家の一つである、殷帝国(商ともいう)の時代から漢帝国時代の王陵には家臣や近しい楽師たちが殉死させられました。私はかって殷王陵から発掘された遺体にショックを受けました。それは正座したまま、生き埋めにされ、白骨化した殉死者の遺体でした。いま考えるだけでも痛ましい事実です。


安陽の遺跡にて

 古代王国は多かれ少なかれ同じ傾向を持ち、王の権力を誇示して巨大な墓を建造しました。中にはエジプトのクフ王のピラミッドのように30年以上の建造期間を誇る墓もあるくらいです。


クフ王のピラミッド

大山古墳(伝・仁徳天皇陵)

 日本の堺市にある大仙古墳(伝・仁徳天皇陵)は最大840メートル、幅654メートルという世界最大で、平均3000人が毎日働いて推定15年から20年経て建造された古墳とされます。幅でも大山古墳が世界最大で、始皇帝陵の350メートルをはるかにしのぐ654メートルです。


エジプトのクフ王のピラミッド

高さではエジプトのクフ王のピラミッドの139メートルで断突の世界最高の高さです。いずれも権力者の地位についたらすぐに自分の墓の造営にとりかからないと、間に合わなくなるほど巨大なものでした。
 天皇陵は現在、宮内庁の管理管轄に置かれ、大半の主要天皇陵の石室は発掘許可が下りません。歴史の真実、天皇の血統、出自を証明するDNA などの多くの手掛かりがまさに古墳の闇の中に存在しているのです。時間が経過すればするほど遺物は劣化して、真実は遠のき、消滅して、真実を知るチャンスは永遠に失われてしまいます。歴史の真実は一つであり、国は真の日本史の解明に努力、貢献すべきであると思います。私も本当の戦後の自由主義の成果としての正しい日本史を知りたいと心から願っています。
 さて王は即位すると、自分の墓を建造しはじめ、亡くなると巨大な地下墳墓に葬送されました。死後の世界は闇であり、孤独な世界と考えられたのでしょう。あの世を幸せに過ごすために豪華な副葬品がたくさん地下墳墓に運び込まれました。ツタンカーメン王の墓を見れば一目瞭然です。人間の歴史と文化、美術水準を知るためにはこんなに素晴らしいタイムカプセルはありません。私はかつて8日間エジプトを旅して、一番感動したのはカイロ美術館のツタンカーメン王の遺品で、特にジュエリーでした。


ツタンカーメン王のジュエリーの一部

 中でも見たことのない素晴らしいネックレス類に眼を奪われました。昔、高校時代に東京上野国立博物館で開催された「ツタンカーメン王の黄金のマスク展」で何時間も並んで観た思い出がありますが、カイロ美術館ですぐ隣に展示されているその黄金のマスクよりはるかに、いくつかのネックレスの方が美術的には素晴らしく思われました。これらは王の遺品の中でももっとも素晴らしいものといえます。
 現在、エジプトでは新たに「大エジプト美術館」を建設中で、展示を一本化するようですから、開館したら素晴らしい彫刻作品群と共に一週間くらいかけて見学したいと思っています。


今回の唐の美人俑

 今回の作品は、唐時代前期の美人俑としては小型で、随の面影を宿す品格高くすらりとした姿をみせる、なかなか凛とした落ち着いた表情の美人俑です。漢時代の俑に似た土を使うとともに、すらりとした隋の俑の雰囲気を持ち、かなり色彩は剥離してますが、当時の色を部分的に残し、土器類の鑑定に必須の土臭もしっかりつき、唐初時代らしい、なかなか奥深さを感じさせる貴重な俑といえます。体をやや左右対称から外し、やや不均衡に表現しているあたりも唐初期らしい特徴と言えます。品格高い表情には随の面影が生きて、魅力的です。仏像、俑などの人物像はいい顔が命です。


唐俑の左右対称を外した後ろ姿

 美術品はそれぞれの魅力を持ちますが、今回の作品は座右に置いてこれからも長く楽しみたい俑の一つです。

掌(てのひら)の骨董
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