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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董48.新羅土器飛雁文蓋付鉢

新年おめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

おめでたい新年にふさわしい作品を・・・と考えましたら本作品が頭に浮かびました。

新年第1回目、通算第48回目は私の好きな新羅土器飛雁文蓋付鉢について書いてみたいと思います。

 この蓋付新羅土器鉢は統一新羅全盛時代の7世紀あたりに製作されたものと思われます。統一新羅時代前の6世紀には仏教文化が最高に花咲き、この時代最高水準の寺院「皇龍寺」が創建されています(553年)。


皇龍寺(復元模型)

 皇龍寺は一塔三金堂式の珍しい伽藍配置の寺院で、新羅最大の護国寺刹が威容を整えました。特に九重の塔がとりわけ素晴らしく、荘重・壮麗さを際立たせます。

 以前から新羅時代の作品は何点かこの「掌の骨董」シリーズに登場してもらいましたが、今回の作品はその中の白眉ともいうべき作品です。

 この飛雁文蓋付鉢はかって我々の大先輩のコレクターで、古瓦、蕎麦猪口、印判の収集コレクターとして有名な料治熊太さんの旧蔵になるものです。当時、昭和8年以前に料治さんは正倉院所蔵品にあるような美しい鳥の姿に惚れ込み、それに似た姿の鳥を博物館の新羅土器に見つけて、それに匹敵する新羅鳥文を求めて朝鮮に渡り、当時の骨董商や盗掘村の数々を探されたらしいのです。このときのことを料治さんは(昭和50年4月発行。最終頁に「小さな蕾」の表紙を掲載)という古美術雑誌に書いておられます。料治さんはこの博物館で観た鳥をこう表現しています。

 「それを見たとき、私は素晴らしいものをこの世で見るものだという気がした。正倉院の古裂や、漆絵にもこれと同じ姿の飛雁の紋様はあるが、それとこれとは全く同じだと思った。もし手に入るなら破片でもいいから、こんなものが手に入ったら、どんな嬉しいかしれないと思った。」

 そして料治さんのすごいのは慶州一帯をその飛雁文の作品を求めて探して回ったという行動力です。敬服します。こういうコレクター、研究者はもう出ないでしょう。しかし手記によりますと、探しても、探しても目指す飛雁文土器は見つからなかったようです。


慶州駅 1918年創建

 帰りに、慶州駅前で汽車の中で食べる甘栗を買うため店に入った料治さんはその甘栗店の薄暗い奥の棚に一つの土器を見つけました。甘栗を包んでもらう間、ふとその土器に手を伸ばしたら、驚くべきことにその蓋に飛雁文がベタベタ押してあり、料治さんは危うく取り落としそうになったほどびっくりしたそうです。売り物かと聞くと「高いですよ」と老人はいう、「高くてもいいが、いくらですか」の問いに「二円」といったという。何だ、二円なら千円に満たない安さだと料治さんは思ったそうです。この本を執筆した昭和50年の千円は果たして今の価値にしていくらくらいかはわかりませんが、常識的には7千円から8千円程度でしょうか。聞くと村の子どもたちから五銭で買ったらしく、4倍で料治さんに売ったわけですが、料治さんには安く、「奇跡の中の奇跡」というよりほかはなかった」と回想してます。その大切な鉢を料治さんは駅のホームのベンチに忘れて大邱(テグ)行きの列車に乗ってしまいます。トイレに入った料治さんは発車のベルにあわてて、列車に飛び乗ってしまったのです。夕日の新羅野をゆく列車のなかで、鉢が無いことに気がついた料治さんは顔の血がいっぺんにひいてゆくような衝撃を受けたと回顧しています。大邱までの数時間、トイレをガマンできそうもないので、ひと気のないベンチに甘栗を入れた土器を置き、トイレに行き、そこで発車のベルにあわてて列車に飛び乗ったのでした。非はすべて自分にあったが、仕方なく熊川(こもがい)駅で乗り換えて慶州駅に引き返しました。

 「たぶんもうそこにはあるまい、と思っていた新聞紙の包みが汽車の窓から見えた時、カッと胸が熱くなった。あった、あった、私はその場に走り寄った。包んだ新聞紙は無惨に破れて、中の甘栗は一粒も残っていなかったが、土器はそっくりそのままそこに健在だった。駅のうす暗い秋燈のもとに、青黒い肌を侘しくさらしていた。私は思わず胸にとりあげた。」


新羅飛雁文土器部分

 私はこの料治熊太さんの文章を読んで、料治さんこそが本当のコレクターであり、研究者だと思いました。美しいものに憧れ、本物に触れ、想いを古き時代に馳せ、感動できる素直な心は素晴らしいです。私も料治熊太さんのような熱意は持ちたいとおもいます。この料治さんが、思わず胸に取り上げたのが、今回の新羅飛雁文蓋付土器鉢です。この作品はかわいい鳥の印判が9羽捺されています。S字スパイラルの装飾文がやはり9個と縦菱形文が蓋口周辺に36個捺されています。4×9=36 4(死)を9回かけると36になります。一つの試みです。


縦菱形文

 この紋様は、私の記憶が正しければ、ツタンカーメン王の副葬品にあったと思います。副葬品ということは復活再生と来世での安住が目的であることが多いです。鳥は人の魂を正確に極楽に運ぶ縁起のよい動物とされています。仏教では迦陵頻伽が有名です。迦陵頻伽はエジプトのバーという人の魂を安楽なあの世に導く頭だけが人間で、あとは全て鳥の姿をしています。(掌の骨董 第10回15回18回25回参照)

 鳥の持つ不思議な帰巣本能を神格化したものと考えられます。S字スパイラルは唐草模様の重要な3パターンの一つです。宗教上のテーマである蓮と関係する重要なモチーフです。さらに縦菱形文は生殖に関わる文様のように思えます。

 王家の谷の「谷」は復活のための母なる子宮への入り口、産道に向かうのが谷です。現代でも、古代でも骨壷は母なる子宮なのです。子宮に入れば復活できます。縄文土器にもよく見るこの縦菱形文は女性器に思えます。お酒の銘柄の「剣菱」の剣は男性、菱は女性であり、性そのものは生命のすべてなのです。空海の真言密教の最後の理趣経はセックスの教えです。性なくしてすべての生命はないし、この世も宇宙も文化も宗教も無くなります。従ってこの蓋付鉢は鉢ではなく、さまざまな文様検証の結果、骨壷といえるものなのです。蓋の上部にある穴は、魂が出入りする穴ということになり、その骨壷説を補強します。


「小さな蕾」表紙に掲載された本作品。
料治さんはこの鳥文を連雀すなはち雀としましたが、私は飛雁でよいと思います。
またこれは彼が主張しているような香炉ではなく、骨壺です。
掌(てのひら)の骨董
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