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インターネット公開文化講座

文化講座

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掌(てのひら)の骨董

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

掌の骨董20.匈奴の青銅製・鏃(やじり)と泥塔


青銅製・鏃と泥塔

 今年8月初めにモンゴルに行ってきました。私はかねてよりゴビ砂漠のあるモンゴルを訪ねてみたいと思ってきました。なぜなら、そこが匈奴という紀元前3世紀から約500年にわたりモンゴル高原を支配した遊牧系騎馬民族発祥の地であり、一大世界帝国を築いたチンギス・ハーン(支配1206~1227年)の故郷でもあるからです。多くの歴史書や小説を読んでも、私はその空間のイメージがつかめなければ現実感を得られないのです。見渡す限りの草原、澄んだ蒼穹、地平線から上がる星々、満天の星空を横切る大銀河・天の川、草原におけるゲルの生活、それらを肌で感じてみたいと思い続けてきました。我々は定住性社会に生きています。ヨーロッパ、アメリカ、アジアの国々を訪れても、そのほぼすべてが現代では当たり前のように定住性社会となっています。私にとって異次元世界である移動性社会、遊牧系騎馬民族の社会をぜひ体験したいとかねてから願っていました。
 作家、司馬遼太郎さんは日本の歴史小説の大家ではありますが、彼が旧制大阪外国語学校のモンゴル語学科を出ていることを知っている方は少ないのではないでしょうか。彼のペンネームである司馬は、ヘロドトス、タキツス(ツキディディス)とならぶ古代3大歴史家である司馬遷から借用した名前ですし、もともと軍を統括、支配する官職を司馬といい、遼太郎の遼は大陸の無限の広さを表現した漢字です。そうしたことから彼の著書「草原の記」に見られるようにむしろ大陸的な広がりが彼司馬遼太郎の精神的バックボーンなのではないかと思えます。その司馬遼太郎を慕う方々が組織している会に、私の主宰している「日本骨董学院 」の会員さんが属していて、彼からその会がモンゴル旅行を行うということを聞いて、スケジュール、行程に南ゴビ砂漠のゲル宿泊があったので、同行させていただきました。


モンゴル航空最新鋭ジェット機の主翼

 成田から最新鋭ジェット機で約5時間、ウランバートル・チンギスハーン国際空港に着きました。通常時差が1時間あるのですが、今回は夏時間ということで日本と同じ時間でした。ウランバートルでの最大の成果は、モンゴル国立博物館で多くの出土品、民俗学的遺品、美術品を観ることができたこと、またザナバザル美術館での彼の制作した仏像を観ることができたことです。ザナバザル(1635~1723)を「東洋のミケランジェロ」とする触れ込みが日本の大手出版社にありますが、ミケランジェロは真のイタリアルネサンスの芸術家であり、ザナバザルはチベット密教における仏像制作者、宗教家でもあることから、そもそも制作の土俵が違います。理想的彫刻を目指すルネッサンス芸術家であるミケランジェロと約束事のあるラマ教密教仏制作者であるザナバザルとを同等に扱うことは無理だと思われます。ザナバザルの作品を新たに素晴らしい芸術として認めたい、また今まで取り上げられていない彼の作品を世界的に有名なミケランジェロの地位まで押し上げたいという編集者の気持ちはわかりますが、まったく違う世界の彫刻家であり、片方は密教宗教家に近い人間で、表現も様式化されていることから、比較はまったく無理でしょう。ただ今までにない菩薩などの顔の表現にのみ現代的、密教仏に観られる微かな生々しさや官能的な表現に斬新性が感じられます。

 
ザナバザルの美しい菩薩像とミケランジェロの作品

 南ゴビのゲルは写真のように丈夫なテントで、中央に2本の柱があり、多くの骨状の傘が半円形に屋根を形成して、部屋の壁をなす円形壁面は伸び縮みができる斜格子状の木材で作られています。軽量で丈夫な円形テントといったものです。その周りを布や皮が覆います。冬はマイナス40度というものすごい寒さになることもあり、そこではやはり如何に暖を取るかが問題となります。彼らの燃料はまったく自然のリサイクルで、ヤクや馬の乾燥した糞が主体です。基本的に木は生えていないし、移動式ですから重たいものは持ち運ぶ手間になるので、極めて合理的、簡潔な方法です。現代におけるゲル生活はソーラー発電によって蓄電して、夜の灯りや衛星テレビに使われます。パラボラアンテナがゲルの横に設置されています。そこが匈奴、チンギスハーン時代と大きく違うところでしょう。


草原のゲル生活

 長くロシアや中国に支配された時代があったため、民族の英雄であるチンギスハーンを敬うことは禁止された歴史がありました。この数十年の自由化のなかから歴史と民族の英雄であるチンギスハーンへの崇敬の念が高まりつつあるようです。チンギスハーン国際空港や広場もできて、そこに威風堂々とした彼の銅像が置かれており、地方からきた団体さんが記念撮影したり、結婚式の記念撮影が行われたりして民族の英雄への人気の高まりが感じられます。


民族の英雄・チンギスハーン像

 南ゴビへはHUNNU AIR(フン族の航空会社という意味)の最新小型プロペラ機で約1時間かけて移動しました。
宿泊施設であるゲルの中央に大きなゲル風の立派なセンター建物があり、そこで朝のバイキングが食べられます。お湯の出るシャワールームも洋式トイレも完備し、問題ありませんが、長旅に出るとそこは遊牧民の生活ですから、砂漠での青空トイレになります。女性は砂漠の起伏の間がトイレになります。


ゴビ砂漠で、土産品を売る子供たち

 南ゴビは恐竜の発掘でも有名です。発掘された渓谷は観光客が必ず立ち寄るところらしく、地元の子供たちが簡易な店を出して土産物を売っていました。
多くは羊毛でできた動物の人形や革製品、地元の変わった石や水晶、アメジストなどなどですが、隅に鏃(やじり)がいくつか置かれていました。よく見ると青銅製の鋭利な鏃で、どこから発見されたかきいてみたら、近くの遺跡から出たとのこと。この地は砂漠で、歴史的には秦の始皇帝(紀元前3世紀ころ)が匈奴と戦った万里の長城の外側の地域ですから、この鏃は匈奴時代、すなわち中国史における戦国末期の時代から三国志の時代のもの、漢時代末期(紀元3世紀ころ)までのものと推測できます。今から1800年から2200年くらい前のものと推定できます。モンゴル国立博物館に陳列されていた鏃と大きさもほぼ同じ種類のものでした。この時代は歴史的に中国のオルドス式青銅器の影響を受けた時代で、漢との攻防に明け暮れた時代です。匈奴を攻撃した李陵、霍去病、衛青などの漢の武将が活躍した私の大好きな時代です。その時代の三枚翼式の鏃でやや大き目ですし、まだ鏃の歴史を明らかにする編年は学会において確立しておりませんが、ほぼこの時代のものと確信しました。そこでいくらかと尋ねたら、10000トゥグルク、こんなに素晴らしい古代の青銅製鏃が日本円に換算してなんと約500円だというのです。この旅行に誘ってくれた方にも話して、二人で買わせてもらいました。モンゴルは歴史的遺物の持ち出しに厳しい国ですので、たくさんは買えませんから、私は3点だけ選んで買いました。もう1本の鏃は長く、強力で遠くまでを射程距離とした弩という石弓の鏃だと思います。戦いが始まるときに猛烈に射かけるもので、緒戦で相手の戦力を削ぐ戦法として有効で、霍去病が得意とした戦法とされています。このあたりで見つかる鏃は匈奴か漢のものか、断定はできません。そんなことを想いながら支払を済ませて、ふと横を見ると小さな泥塔があるのにびっくりしました。日本では平安時代から鎌倉時代に泥塔が制作されました。日本や新羅時代の韓国の泥塔は私の資料にもありますが、モンゴルの泥塔は初見です。


左から日本の平安時代、鎌倉時代の泥塔、今回のモンゴル泥塔

 南ゴビは敦煌やシルクロードにも距離的に近い場所ですし、砂漠は文明の交差点ですから、この地にも泥塔が伝来したのだと思います。調べてみますが、敦煌の全盛期ですと紀元前2世紀から唐の時代にかけてですから、日本の歴史で考えると弥生時代から飛鳥時代を経て、奈良時代に至る古いものだと思います。平安時代の日本の泥塔の先駆けとしてはぴったり時代に合います。その底に穿たれた穴に小さな紙か皮片に願文などを書き入れて、寺院や塔などに奉納品として収められたものです。誰も見ようともしない、質素な泥の小塔です。値段をきくと、同じ10000トゥグルク、すなわち土産売り場ではこの値段が最低値段みたいです。一番状態の良いものを選んで買いました。仏教美術の珍品がお土産人形と同じ値段ですから驚きでした。


大草原をバックに馬頭琴を奏でる若いモンゴル人奏者2人と筆者 
この暗さが午後10時10分でした。

 さてその日の収穫に心躍らせて、夕食の場所にやってきました。モンゴルの夏の夜は10時くらいに暗くなります。ですから夕食時間といってもまだ昼間の明るさですが、時計を見ると7時くらいなのです。予約してあったせいか、草原の真ん中にあるレストランではお祝いのときにしか出ない羊の特別料理で歓迎をしてくれました。3頭の羊を料理したそうで、ビールで乾杯していただきました。モンゴル人は肉が大好きで、肉さえあれば満足らしいです。やはり遊牧騎馬民族です。極寒の地で寒さに耐えるためには、エネルギー源となる肉が一番みたいです。寒さと食料・栄養の偏りから、平均寿命は短く男性で60歳前後と聞きました。その日は馬頭琴(モリンホール・馬の楽器)の演奏がありました。西洋のチェロの小型のようなもので、中国の2弦の胡弓より大きいです。竿の先端に馬の彫刻がついているのでモンゴルらしく馬頭琴・モリンホールというそうですが、共鳴箱は四角く、弓で弾きます。西洋のチェロ、バイオリンがルーツとしては古そうですが、哀調をおびたいい音色です。調べましたらモンゴル国では1960年代にソ連の楽器職人D.ヤローヴォイの指導により、内モンゴルでは1980年代になってB.ダルマーやチ・ボラグらが中心になって、木製の表板を用いるように改良が加えられ、さらにf字孔や魂柱などの要素も加わったとされていますが、それ以前の歴史は不明です。雄大な草原で、二人の演奏者がこの2弦の楽器で奏してくれる様々な曲を、ビール片手に聴きながら、のんびりとした時間が過ごせるのは幸せです。まだ21歳と22歳の奏者でしたが、チェロとは違った独特の奏法でなかなか上手でした。終わって一緒に記念撮影をしました。


360度の見渡す限りの大草原

 看板、電柱、道路標識もまったくないモンゴル大草原は、日本では決して見ることのできない光景です。道路標識がないことについて、ガイドさんは経済的に余裕がないからと否定しましたが、長く侵略された歴史のあるモンゴルでは意図的に道に標識を立てないのだと私は思いました。

 こうしてモンゴルの見渡す限りの大草原、夜はそこに横たわる美しい大銀河・天の川を満喫することができました。澄んだ夜空に星も大きいです。
ゲルにも泊まり、匈奴の騎馬民族が闘い、チンギスハーンが疾駆したであろう大草原を体験できて、長年の念願が一つかないました。彼らの時代の鏃や泥塔も思いがけず手に入れることもでき、イメージを体験できたすばらしい旅となりました。


テレルジ国立公園に咲いていた可憐な「エーデルヴァイス」

夏のわずかなひととき、かわいい花がいたるところで咲いていました。

掌(てのひら)の骨董
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